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碧-aoi-  作者: いでっち51号
~鳥谷碧~
8/20

~第7幕~

 崔道鎮が船橋育心道場に入ってきたのは突然のことだった。カタコトの日本語しか話せない彼だった為、後日通訳を入れて話を伺うことにした。



 日本に来たのは柔道の修行であるというのだが、先日の世界選手権で活躍した鳥谷の話を熱心にしていた。「お前さん、鳥谷の事が好きでわざわざ日本に来たのかい?」と白木は聞いてみせたが「ち、違う! 強くなりたいからだ!」と彼は頑なに主張し続けた。



 後日、白木はそのまま鳥谷に彼が道場にやってきた経緯を話す。



「そう、面白い人ね」

「気持ち悪いと思ったりしないのか?」

「私、そういう偏見嫌いです!」

「あ、いや。悪い。そんなつもりで言ったワケじゃあ……あ、そうだ! 私らの道場ではあんなに大きな男はいない。来年の連覇に向けて、君の乱取り相手にもしてみてはどうだ?」

「いいですね! 望むところです!」



 思わぬ方向で話が進み始めた――



 崔が道場入りして、さっそく崔を相手にした乱取りをはじめた。世界選手権で自分よりも大きな相手と戦って苦戦を強いられたことから、鳥谷にとっては良いトレーニングに他ならなかった。そして、何かと自分と親しくなろうとしている彼のぎごちない努力に可愛さを感じることもあった。



 やがて鳥谷と崔は密かに交際を始めるようになった。



 崔は聞いてみれば、かつて韓国の強化選手に選ばれるほどの有能な選手だったらしい。しかしそれもほんのひと時で、彼が20代後半になる頃には更に有能な若手が多く現れて、競争に敗れてしまった。韓国の一団に混じっていた彼だったが、実際は選手のアドバイザー補佐の一人として参列。役割はほとんどなかった。そんな彼は鳥谷のハングリー精神溢れる戦い方に惚れ込んで、両親に嘘をついて日本へ来たらしいが、それはいけない事だと鳥谷から諭され、彼女と共に韓国へ一時帰国もしている。そのなかで日に日に彼は日本語をよく喋るようになった。



 元々圧をかけて組手を制するのが持ち味の鳥谷だったが、崔とのトレーニングでさらにそのパワーは強化された。そして何より彼女自身の生活が充実する事で完全無敵の柔道選手になれたように思われた。



 そしてこのタイミングで彼女は教職員の免許も取得して大学卒業を控えた――




 千葉県の大会は難なく優勝。他関東圏で行われた大会にも自ら出場して、その名を広めた。満を持して臨んだ五輪選考を意識した全国大会、何の運命か初戦はライバルである町田だった。しかしこれを近年得意技としている膝車であっさり突破。続く試合もものの1分弱で1本を決めて決勝まで勢いよく駒を進めた。



 しかしこの講道館にいる中で彼女には妙な肌感覚があった。いくら五輪の代表選考を兼ねているからとはいえ、集ったカメラの数は異様に多く、そして異様な熱を放っているのだ。まるで何かを待ちわびているように。



 その答えは明白であった。



『さぁ、いよいよこの階級も決勝になりました。注目の1戦ですね』

『ええ、今日の鳥谷選手をみるかぎり、勢いは圧倒的にあるようですが……』

『相手も勢いがあるのではないでしょうか?』

『そうですね……ただ、思っていたのと違って、慎重な試合運びが良くも悪くも印象に残っています。火傷しそうな熱が勝つのか、冷静でも切れ味が抜群にある刀が勝つのか、見とどけたいと思います』

『注目の女子70kg級、鳥谷碧(船橋育心道場)VS黒森茜(日本体育大学)、間もなく始まります!』



そして試合が行われた。この対戦カードは実に数年振りだ。叩き上げで栄冠を手にした鳥谷とエリート街道をまっしぐらに無敗で突き進んできた黒森の激突に会場にいる観客は息を呑む。実況者と解説者が緊張しながら試合の模様を伝える。互いに低姿勢で牽制をし合う硬直状態が続く。体格差はさほどない。



 しかし解説者の藤巻芳江氏はどこか妙な予感を感じていた。そして思わず口にだして、それを言った。



『双方譲りませんが、やはり……鳥谷選手は焦りが露骨になっている気が……』

『そうなのですか? それは?』

『さきほどから黒森選手の方が鳥谷選手よりもきちんと釣り手を取ろうとはしています。勿論、その意図は鳥谷選手も同じです。ただ彼女の場合はそれが粗暴になっていて、かえって隙になっています。何でもいいから技をかけたいと目的が定まっていない感じが。それに……』

『ほぉ~すなわちこの試合の中で鳥谷の熱がより籠ってきたと!』

『いや、そういう事じゃなくて……あ!』 



 一瞬の隙をついて黒森は鳥谷を掴んで綺麗に投げ技を決めた……筈だったが、鳥谷は無意識のうちに打ち身の姿勢を崩した。彼女の勝利に対する執念がそんな風にさせたのか何なのか。



 鳥谷の悲鳴とともに骨が折れる音が会場に響いたようだった――



 注目の対戦はまさかの鳥谷碧による棄権敗退で勝敗がついたのだ――。



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