~第5幕~
市川女子一心高校柔道部に八木顧問を迎えて半年が経った。この間に一心高校問題児の筆頭であった葛城花子は仲間とともに恐喝事件で逮捕され、退学となる。この退学劇で葛城組のほぼ全員が学校を去る事となった。まさに学校をあげての改革であり、決断でもあったと言われた。結果的に学校の雰囲気は見事に変わり、荒れた女子高と言われた面持ちはすっかりなくなった。
かつて葛城組の一員だった鳥谷は柔道部のエースとなって部を牽引。その姿に憧れを抱いて入部する生徒も続出し、市大会に出場。団体戦、個人戦とそれぞれ県大会まで駒を進めた。団体戦、48キロ以下の安藤は準優勝。70キロ級にて鳥谷は優勝を果たし、インターハイ出場も決めた。しかしながら八木が部の顧問として表舞台に立つことはなく、またそれを室橋へ願い出てもいた。
そしてその流れのままに八木は市川女子一心高校の校長と室橋に挨拶をして、学校をあとにした。校門を出ると、誰かに呼び止められた。
「先生、待ってください! 先生!」
「あら、鳥谷さん、どうしたの? 道着を着たまま走ってきて」
「八木先生が今日、学校に来ていると聞いたものですから……」
「そう、そういやインターハイに出るのだって? おめでとう」
「いえ、全国一になるまで祝って貰わなくても結構です。ただ」
「うん?」
「この学校を出たら、先生の元で柔道をしたいです。先生がこれから向かう道場を教えて貰えないでしょうか?」
「ふうん、嬉しいわね。その言葉、待っていたわよ」
「本当ですか!? 教えて下さい!!」
「そういうのはね、自分で調べなさい。自分で調べて納得がいくようなら、来てみなさい。それと貴女、ちょっと思いあがってないかしら?」
「え、私、まだ思いあがっているのかなぁ」
「ううん、柔道のことじゃないわ。知って欲しいのはね、柔道やっているだけで美味しいご飯が食べられる世の中じゃないってこと。私もね、これでも職は色々転々としている。必ず勝つという世界でもないから、そこは貴女もよく知るべき」
「そう言われると……どうしたらいいのです?」
「勉強することね。世の中には色んな物があって、色んな人もいる。それを知ることで出来る事も増える。貴女だからこそ力になれる場所があると思うわよ」
「もっと分かりやすく教えて下さいよ……」
「貴女はちょっと前まで葛城と一緒に悪さをしていた。これから10年先も20年先もそんな子たちは生まれてくる。私が思うにね、貴女はそんな子達の孤独に寄り添える人になれる。私はそう思うのよ」
「それって」
「美空ひばりさんの『柔』を聴きなさい。最近のチャカチャカした歌じゃなくて、そういうのが私は大好きよ。以上! 千葉代表頑張れ!」
八木は鳥谷の肩をポンポンッと叩いて学校を去った。その背中が鳥谷にとって何よりも格好良く思えて仕方なかった。
鳥谷は全国大会でベスト4に残る戦績を残した。準決勝で優勝を果たした町田智子とあたり、返し技を受けて抑え込まれての負けであった。しかし、それまで町田相手に接戦という接戦を繰り広げた彼女は一目置かれる存在にもなった。
「彼女が鳥谷碧か。なるほどこれは惚れるなぁ……」
三ツ橋海上火災保険会社柔道部、青木監督は顎をさすりながら目を細めた。
翌年の全国大会にてはベスト8にて町田へ引込返を決めて、雪辱を果たした。しかしベスト4で優勝者の黒森茜に寝技からの締め技を喰らって、負けを喫した。町田は同学年のライバルであったが、黒森は1学年で強豪をバッタバッタとなぎ倒す高校生柔道に現れし申し子だった。団体戦にても全国大会へ駒を進めた市川女子一心高校だったが、初戦で先鋒に黒森を据えた福岡敬愛高校に全滅を喫した。
また一心高校はこの年の全国高校柔道選手権大会・金鷲旗高校柔道大会に鳥谷碧をはじめ、千葉代表として団体戦にも臨んでいるが鳥谷がベスト8かベスト4ぐらいの結果までを残せてみせるのみだった。またその鳥谷も町田あるいは黒森に敗北するパターンが目立っていた。
いずれも青木総監督は視察に来ていた。
そして地元ではヒーローのように讃えられている鳥谷ではあったが、柔道選手としてのオファーは彼女の元には来なかった。しかしそれを気にする事もなく、彼女は自身の進路を見据えていた――
彼女は夜学の大学に進学し、教員を目指す傍らで柔道を続けた。所属は船橋にある小さな柔道クラブだ。そこで日々稽古に励み、数年後には満を持して千葉県の大会に出場、見事優勝を果たして全国大会に臨むこととなった。
それはいつもどおり稽古をしていた時のことだった。
気が付くとクラブ責任者の白木とその横に白髪の高齢男性が近くにいた。
稽古後に話を聞くと「三ツ橋海上火災保険会社柔道部」からのオファーであり、その話を持ってきたのが青木総監督であった。
「私の恩師は貴社に所属されていると思われます八木真弓先生です。八木先生がそう仰っているのでしたら……それは是非と思いますが……私は私で今目指して頑張っていることもあります。全国大会も社会人としては初めての出場ですし、高校が舞台のソレとは訳が違います。初戦で負けるかもしれません。たいへんに嬉しい話ですが、私は遠慮したいと思います」
「鳥谷さん……それはもったいないよ……!」
「いいえ、白木さん、助太刀は結構です。大丈夫。鳥谷さん、この度のこの話、実は私どもにそもそも条件があった。それを紹介しても良いかな?」
「条件?」
「うん、私は高校時代の貴女をみて、すぐにでも我が柔道部へスカウトしたいと思った。八木さんが言われていたように圧倒的な精神力と体力、そしてスピード、どれをとっても全国トップクラスの実力を持たれている。しかしね、八木さんがこう言い残されてもいた。『あの子が学校を出て柔道を続けていないようならば、絶対誘わないで欲しい』と。おそらく貴女が今目指しているものを支持している。それをわかっていて、そう言われていたのかと思ってね……」
「八木先生が……」
「我々は貴女が柔道に励める環境を最大限に約束する。貴女が目指すものへの支援も約束しよう。勿論断られるのも受け入れる覚悟だ。どうだろうか?」
「………………」
「ここまで言われたらなぁ。ちょっと考えてみるか?」
「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「八木先生は今どこにおられるのです?」
青木は天井を仰いだ。目を閉じている彼は涙を堪えようとしていたのかもしれない。しかしまっすぐに鳥谷と向き合い、事実を告げた。
「彼女はいま、病院にいるよ」
鳥谷は言葉を失った――




