~第5幕~
妙子が怒り道場を出てったその日、鳥谷は行きつけにしだした居酒屋に寄った。店主はかつて牛乳配達の仕事を一緒にしていた工藤康子だ。彼女はもう50代になる。趣味の卓球は今もしているのだと言う。こないだの町内の大会で優勝したという。鳥谷は気が付けばその日あった出来事を赤裸々に康子に話していた。
「そうだったの……それは災難ね……」
「私は柔道で勝とうが負けようが楽しんで欲しかった。それだけでとくに厳しく躾けるつもりも何もなかったのに……」
「だけど碧さん、本当に怒るべきなのは妙子ちゃんだけじゃなくて、手を挙げた碧ちゃんに対してじゃない?」
「それは……」
「私も偏見を口にするのは許せないけど、それでも手を挙げる事はもっとしてはいけない事だと思っているわ。それに自分より大きかったり強かったりする相手達と練習することが本当に苦だったのかしら?」
「違うと思うの?」
「ううん、だけど何かが溜まっていて噴火しちゃった気がするのは確かだと思う。だけど女の子って、表じゃその事を素直に話せないことが多いと思うの。ねぇ、その妙子ちゃんって子と一対一で話してみたら?」
「一対一か……」
鳥谷は小さなグラスに入った酒を一口にした。
「あがる! 康子さん、ありがとう!」
店をでた彼女は次の日にすることを決めていた。
翌日、鳥谷は妙子の家を訪問した。彼女の家は担任の月村の言うとおりに魚屋だった。しかし鳥谷が想像していたものと違う光景がそこにあった。
妙子は店の手伝いをしていたのだ。
「いらっしゃいませ!」
「ああ、どうも、今オススメなのはどれなのかな?」
「えっと、値が結構するのですけど、春先だから、えっ!?」
「普段は遊びに出ている子じゃないのね?」
鳥谷はサングラスを外して。その顔を露わにして微笑んでみせた。妙子は父が出てきて逃げようのない状況に追い込まれて渋々家に彼女を招き入れる事にした。
「手を抜かれていた?」
「はい、でもそれは私が弱いからだと思うのですけど……だけど私は本気でやり合いたいと思っていましたし、でも、本気にさせられていない私に理由があるのかなって練習のたびに思って」
「そう、じゃあ碧が黒人だから、嘉子がでかいから嫌だって訳じゃなかったの?」
「私、そんな失礼な奴じゃないです。でもあの時は本当に頭にきて……」
「わかった。妙子を殴った碧にはちゃんと謝って貰うようにする。嘉子にもね。真琴もカツを入れなきゃいけないな(笑)」
「先生、でも私なんかの為にそこまでしなくても……」
「私にとっても、渚にとっても一人一人が大事な仲間だよ! なぁ、ちょっと私にも魚屋の手伝いをさせてくれるか?」
「ええっ!?」
海老原妙子の実像は真面目な女子高生だった。魚屋の手伝いも好き好みやっているようだが、両親は部活や学にも精をだして青春時代を過ごして欲しいと望み、その想いを受けて部活をしている娘だった。ただ彼女の表現の至らなさのようなものが誤解を招いている。魚屋の手伝いの仕方も懇切丁寧に鳥谷へ教えていた。
その晩、鳥谷は柔道部全員に電話をかけて妙子の本音を伝えた。碧に対しては殴った事を謝るようにも言った。
市川高校柔道部が一心高校柔道部道場へやってくる日曜の昼下がり。この日、妙子は部に復帰した。
「このたびは……失礼なことを言ってすいませんでした。傷つけたみんなに謝ります。本当にすいませんでした!!」
「私もぶん殴って悪かった……ごめんなさい」
「私も遠慮して相手していた事を謝ります。これからは本気で組み合います」
「練習サボってばかりすいません……これからはアニメの話は控えます……」
「いや、それは控えなくてもいいものでは?」
「練習中にって意味でしょ?」
道場に笑い声が響く。腕を組んで見守る鳥谷は微笑んだ。
「お願いします!!」
そして市川高校柔道部が道場へとやってきたのだった――




