第八話 失った記憶を探しに行こう
…つかれた。
アディはユリウスの邸の客間、そこにあるベッドの上に座り息をついた。
客間の窓枠、ドア、壁の隅などには少し豪奢な装飾彫りが凝らされていて、家具も含めて全体に水色系の色合いで統一されている。ベッドはクイーンサイズで部屋の奥にあり、応接用のテーブルと二つのソファーが入り口ドアの正面に配置されている。応接と宿泊を兼ねた客間という構造のため、大きめで完全にベッドを隠せるベッドカーテンがぐるりと囲うように設置されていた。
ゆっくり部屋を見渡したあと、アディは足を床に下ろしたままベッドに背中をあずけるように倒れこんだ。ユリウスに一週間以上援助してもらっていることは感謝していた。だが、なぜそこまで自分に良くしてくれるのか。さすがに今日のプレゼントの量にアディは引いてしまった。
でも、「気持ち悪い」は言いすぎたかな…。
あのあと、ショックを受けたユリウスは静かになってしまった。使用人たちにより荷物の整理が進められる中で、ユリウスはアディを残してどこかにいってしまったのだった。
ドアをノックする音が聞こえた。立ち上がって返事をするとメイドが入ってきた。そのメイドの大きくアメジストに似た綺麗な瞳がこちらに笑顔を向けてくる。
「紅茶をお持ちしました」
「ありがとう」
ソファーに座ると、テーブルにお菓子やお茶が用意されていく。相変わらず端正な身のこなしのメイド。
「…ユリウス様は…これと決めたときに留まらないのです」
メイドは準備しながら少し困ったような笑顔をしていた。こちらには目を移さず、作業を止めずにそうぽつりと声をかけてきたのだった。
「でも、その人のためだと思ったときだけですから。許していただけると幸いです」
「許すなんて。感謝はしてもそんな風には思ってないよ」
「ありがとうございます」
今度はそのまま笑顔を向けてきたメイドは一礼すると「何かあればお呼びください」と出ていった。
紅茶を手に取ってその香りを楽しむ。カモミールの香りが午後の穏やかな波の音と一緒に、アディの心を満たしてくれた。
あとで言い過ぎたことを謝りに行こう。
――ユリウスの言っていたことを思い出していた。
ミニエーラ王国鉱石街でしか作れないペンダント。彼曰く希少石で、最近は帝国にしか卸されていない石。たった一つの記憶の手がかり。
私は記憶を取り戻したいの?
思い出そうとすると頭痛がするため、アディは記憶のことにあえて触れないようにしていた。しかし、もっと自分の記憶に興味を持ったり、思い出せないことに不安になったり、それが普通ではないのか。そう疑問を感じた。
なんで私は記憶を取り戻そうと思わなかったの?
記憶を取り戻したらどうなるのか、いや、記憶を取り戻したくないのか。アディは自分のことなのに他人のことのような気持ちになっていることに気がついた。
それとも私は何かから逃げている?逃げてきた?
お菓子を口に運び、紅茶を手に取り眺める。甘いお菓子の香りが口のなかに広がった。
…甘えてる。私は。
『お前は油断してはならない、誰にも』
ふいに誰かの言葉を思い出した。一瞬頭痛がする。
前を向くならまずは自分を知らなければならない。アディは紅茶を置くと、ぐっと両手を握って立ち上がった。
* * *
丘の上。ここからは港全体が見通すことができて軍港も街並みも俯瞰できた。もうすぐ夜になる。
その突端の近く、彼女の名前が刻まれた十字架がある。
ユリウスは手に持っていた花を墓石の前に置くと、そのままの姿勢で目を閉じた。片膝立ちのまま右手は花に触れていた。
風で髪が揺れる。
『あなたは勝手に進めすぎる』
彼女に何度かたしなめられた。彼女のために城からここに来たときは、さすがに本気で怒られたことを思い出して、ふっと笑みが漏れた。よく、爺たちも付いてきてくれたものだと、ユリウスはいつも彼らに感謝していた。
『人のためにそこまでできるのは、ユリウスの良いところよ』
そう笑ったのも彼女だった。色々なところから彼女には嫌がらせがあった。ユリウスと付き合うことは、彼女にとって本来難しいことだった。しかし、そのことで彼女が不満を言うことはなかった。だからこそ、ユリウスは彼女のために出来ることを徹底的にした。
だが、自己満足だったな。
そのとき、後ろの方から人の気配を感じた。目を開け立ち上がり、ユリウスは振り返る。
「あなたの家の人に聞いて、ここにいるって連れてきて貰った」
奥の方の遠くに爺が見えた。そして、目の前に彼女と同じ漆黒の髪と瞳がユリウスを見つめているのが見えた。
ユリウスは、視線だけ墓石に戻すように少し右後ろに顔だけ向けた。
「さっきは。少しやり過ぎてしまったようだ。すまない」
「そうね。加減した方がいいね…。でも。感謝してる」
ユリウスは、ふっと笑みがこぼれるのを感じた。
「ユリウスの言うとおり、ミニエーラのその街に行ってみようと思う。できれば力を貸してほしい。私には何も持ってないし、なにも思い出せないから」
ユリウスは視線を彼女の瞳に戻した。アディは微笑んでいた。それを見た瞬間、胸が苦しくなる。
「…わかった」
「いつかこの恩は返すから!」
アディは右手を差し出してきた。
そっと息をついて、それから彼女の手をとり、ユリウスは握手した。
「ああ、任せてくれ」
第一節ここまでです。
次回第九話 下女のケイト