第二十話 痛み
ばん!
アルフレッドは机を叩かずにはいられなかった。憤りが胸焼けとなって吐き気に変わる。
なぜだ。
かつて怪我をして一部白くなった髪を整えると一度深呼吸した。アルフレッドの手には信書が握られていた。封蝋には独特の紋様が刻まれており、差出人は書かれていない。
取り引きをやめるだと?!くそ!そんなことが許されるのか?!
机の上に置かれたコップの中の水をいっきに飲み込んだ。そして、改めて自らの状況を考える。
極めてまずい状況だ。「あれ」は彼らからしか手に入らない。どうする?
壁にかけられた大きな肖像画を睨み付けた。もうアルフレッドに残された手段は限られている。だが、まだ手段が残されているともいえた。結局は、イーサンやメイナードも一蓮托生なのである。彼らや他の貴族も同罪であり国はこのすべてを断罪などできはしない。そんなことをすれば帝国はその隙を見逃したりしない。国が滅ぶだろう。
再び深呼吸した。そして、もう一度水を喉の奥に流し込む。
「次の一手は間違えられない」
まずは速やかな在庫の処分だ。そして、帳簿や証拠を破棄する。最後は片付けも必要だ。彼らの手助けはもうない。つまりは全部をこちらで手配するしかない。
先ほど机を殴った右手を見ると、気付かぬうちに流血していた。
冷静になれ。借入もある。在庫は売り捌くんだ。捨てることはできない。安くても良い。そうだ、闇市を開く。これが最後だ。
信書とそれを入れていた封筒を持って握りつぶすと、カツカツと靴音を大きくならしながら暖炉に近付いた。そして、燃える暖炉の中にそれらを投げ入れた。封蝋がとけていく。
* * *
「珍しいですね、あなたがここに来るなんて」
ウリエルがお茶をいれようと立ち上がる。
「すぐに帰る」
振り返った。その男の右頬にはあの時の痛ましい跡が残されているのが見えた。それを隠すこともせず堂々としていて、かつてのような弱さは感じない。
「最近、漆黒の姫と懇意にしているとか」
「あなたも耳が早いですね」
「協会のルールはどうした?」
「……あなたも目的は同じでしょう」
男は目を合わせることもなく、机の上に活けてある花瓶の花を見ていた。
「いや、お前とは違う。少なくとも歩む道が。何を考えている?何をする気だ」
「あなたと同じ革命ですよ。そのために司教にまでなったのです」
「…『契約』で何ができる。合意なければ何も出来まい」
ウリエルは口を閉じて静かに男を見据えた。しばらくして男はウリエルに視線を合わせる。
「漆黒の姫を手に入れたい。同じ目的だというなら協力しろ」
男の正面のソファーに座ると、ウリエルは視線を窓の外に移した。
「彼女を手に入れてどうするのですか?」
「約束を果たす」
ウリエルは目を瞑り考えた。しばらくして男に向き直る。
「彼女の理解を得られるなら、喜んで協力しましょう」
「……分かった」
男は立ち上がりウリエルの横をすり抜けて部屋の戸口に立った。そして、扉に手をかけて止まる。
「一つ確認するが」
「なんでしょう?」
「お前はあの日の事を忘れたわけではないんだよな」
「もちろんです」
男が出ていった後、ウリエルは紅茶を入れる。
次回第二十一話 仮面舞踏会のその先に