第十二話 狩猟祭前夜
「アデレード様――」
「アディよ。今は」
夕食を終え、シャワーを浴びたアディはホテルの一室で髪をとかしていた。鏡に映る姿は黒髪ではなかった。
「メイナード侯爵とイーサン第一王子については意外でしたが、分かってみれば色々と納得がいきました」
「エリーに協力してもらわなければ、こんなに早く分からなかったかもしれない」
「はい。あの魔力はとても有用です。エリザベス殿は魔力の弱さを気にされているようですが、逆にそれが適しているように思われます」
そう。エリーは魔力の量が多くない。でもだからこそ、ネズミにでも化けている間は誰にも認知されない。エリーを貸してくれた先生には感謝するしかない。しゃくだけど。
「もし叶うなら、我々の一員にほしい人材です」
「白い土竜か。でも、彼女にはもっとすべきことがあるから」
「承知しております。それで、明日は誰を使いますか?」
整え終えた髪をさわりながら、闇のなかに向けてアディは答えた。
「…そう。帝国内の方はエイデン侯爵の協力でほぼ目的は達しているから、あなた達も動けるのね。では表にはティアを回して、裏にあなたが控えて」
「承知しました」
「この姿でいるためには魔力は使えないからね」
「お側でウィリアム殿とティアの二名でお守り致します。私は緊急時にポータルを開けるよう、会場を確認できる場所に待機します。ただ――」
「分かってる。ここは敵国、派手には動けない。そのために彼女に話を通したのだから」
ため息をついた。
「一回、ユリウスには反省してもらわないといけない」
アディは同時に「この問題」も解決しなければならなかった。
* * *
ベッドの中で仰向けに寝るクリスティーナは、舞踏会でのことを思い出していた。突然抱き寄せられた。懐かしい匂いとルーカスの優しい声はクリスティーナの胸をえぐった。この想いはずっと前に仕舞い込んだはずだった。
横向きになると、暗闇のなか部屋の片隅に置かれた歪な形の人形が見えた。普通の人が見たなら、不気味で手放しそうな人形。子供のころルーカスが『作って』プレゼントしてくれたものだった。
横向きのまま両足を折り曲げて丸くなった。
――10歳の時、突然御父様からユリウス様の婚約者として決められた。その時から自分の未来は固まり、必死に妃教育に耐え続けていた。
それなのに、ユリウス様はいつまで経っても自分を妹のように接してきた。それに怒りを感じたこともあった。
ユリウス様が学園を卒業するより少し前、彼はこの家にやってきた。そして、婚約を破棄することを願い出た。私や我が家には落ち度はなく、ユリウス様の落ち度として我が家の方から破棄してほしいと彼は土下座して頼んできた。
その時、ユリウス様は王位継承を辞しても手に入れたいものが三つあると言われた。一つは国の安定。二つは本当に好きな人と一緒になること。
そう話すユリウス様に、御父様は何て破廉恥な男なのかと彼を殴り付けた。娘の目の前で、婚約者がいる身でなんという裏切りなのかと。
最後まで御父様の理解は得られなかったが、彼は自分の考えを強行してしまった。卒業後も、浮気を続けるユリウス様には怒りよりも呆れてしまっていた。
……私も学園に入った。そして、ルークは卒業を控える先輩だった。彼の卒業までの一年間、彼とは生徒会で一緒となってよく話をした。
ルークとの会話は楽しかった。昔から彼とは気が合ってよく一緒に遊んでいたけれど、それを思い出した。そして、卒業パーティーで一緒に踊ったことは御父様には秘密だった。誰にも見られないように、パーティー会場ではない庭園の片隅で彼と踊った。遠くに聞こえるパーティー会場から漏れてくる音楽を頼りに。
その時にはもう私だって自分の気持ちに気がついていた。でも、いけないことだった。だから、彼の卒業と一緒に心の何処かに仕舞い込んだ。
……なのに。思い出してしまった。彼の匂いと声で。
そして、ユリウス様のあの日の言葉も思い出した。
ユリウス様はあの時、婚約破棄を願い出て土下座していた時、確かにこう言っていた。
『王位継承を辞しても手に入れたいものが三つある。一つは国の安定。二つは本当に好きな人と一緒になること』
――クリスティーナを包む柔らかな掛け布団が揺れていた。
それでも私にはどうすることもできないの。
次回第十三話 狩猟祭の開幕