第三十五話 火炎
目の前に立っている男をユリウスは知っていた。
三年前のあの日、帝国はユリウスとその恋人リリーが守る軍港を爆破炎上させる作戦を決行した。海と陸の両方から攻める作戦の始まりとして。その日の夜の軍港にはユリウスの代わりにリリーが当直にあたり、そして、リリーはその戦火に命を落とした。
「どうした?来ないのか?」
エクスは長めの湾曲したナイフを逆手に持ち、少し体勢低く構えていた。隙はなく鋭利な殺気がユリウスにまとわりつく。やせ形であまり特徴の少ない顔と印象の男だが、その身のこなしはブレがなく訓練された動きだった。
息を引き取ったリリーにユリウスは耐えきれず叫んだ。その時、見掛けない男が走り去るのを見つけた。お互いにその存在を確認したのがその時だった。その時、ユリウスはエクスを追いかけて戦闘になった。当時も、ほとんどかけた言葉はなかったが敵だとすぐに認識したのだった。
「なら、こちらからいくぞ…!」
ユリウスは剣を正中線上におくように構えた。それを見たエクスは大きく踏み込むように間合いをつめてくる。
しなるように後ろから逆手のナイフが振り込まれ、あっという間に間合いのなかにいた。
早い!
キィンと金属音が森に響いた。ユリウスは剣を素早くナイフに合わせて弾く。しかし、エクスはその勢いを殺さないよう弾かれるまま反転する。逆側からナイフの光が。
軍港での戦いでは、この反対から払うように斬られて腕をやられた。あの時、仲間が来てくれなければ死んでいただろう。ユリウスが傷付いていたからこそ、エクスは逃げおおせていた。
今度はそうはいかない!
ユリウスは剣の柄をそのナイフに当てて再び弾いた。視界の中でエクスの鋭かった目が見開かれる。
体勢が崩れたエクスの腹に蹴りを叩き込むと、くぐもった声をあげて後ろに尻餅をつくように倒れた。すぐに体勢を戻そうとするが、それをユリウスは許さず首元に剣先を突きいれようと踏み込む。
「『燃えろ』!」
エクスの叫び声に目の前で炎が立ち上ぼり、たまらずユリウスは後ろに仰け反るように距離をとって炎をかわした。
エクスは立ち上がって再びナイフを構えた。
「サーベルの間合いの内側だったが。なるほど、柄を使って防ぐか」
「二度も食らうと思うか……!」
今度はユリウスが踏み込むように間合いを詰め、上段から切り払うように、少し弧を描くように剣をふるう。
あの軍港での一戦から、何度も頭の中でエクスの動きをイメージして訓練してきた。いつかの時のため、今このときのため。
その動きはエクスを上回り、ナイフを持つ右腕を切り払い、深手を負わせてナイフを飛ばす。
「……あの時とは真逆になったな」
ユリウスはエクスに剣を向けた。エクスは右腕を押さえてふらついている。
……リリー。あの時の敵を――。
油断していた。ユリウスの足元から再び炎が吹き出し、咄嗟に飛び退くが少し食らった。足に熱を感じ、着火した炎を左手で払おうと――。
その時、炎の後ろからエクスが飛び込んでくるのが見える――。
左手にはエクス自身の血と、それから小型のナイフが握りしめられているのが見えた。飛び退いた際に、ユリウスの体勢は崩れ、剣はそっぽを向いていて構えにもなっていない。
急に世界がゆっくりと動いているように見えた。そして、リリーの笑顔が見え、そのあと、アディの涙と笑顔が見えた。
『話してくれてありがとう。でも、我が儘言っているのは私だから……。私もユリウスのことをもっと知りたいよ』
すまない。君をこれ以上知ることも、これ以上知ってもらうことも出来ない。
――エクスの左手にユリウスの死が見えた。
ぐしゃ!
何かがエクスを上から叩き潰したように、道に敷かれていた砕石にその顔が埋められた。左手のナイフはユリウスに届くことはなかった。
これほどの魔力を感じたことはユリウスの経験になかった。それは絶対的な力。そう感じた。
エリザベスが奥の建物の方を見ながら口を開く。
「アデレード……!」
ユリウスはその名を知っていた。そこを見る。
ユリウスの瞳に、風で揺れている少し長めの漆黒の髪が見えた。そして、ユリウスはその名を口にする。
「……アディ」
次回第三十六話 素直な気持ち




