第三十三話 アディの見た夢
月明かりの中で誰かが自分を抱きかかえているのを感じる。
波の音が聞こえて私は目を開けた。体が熱く火照っているのを感じる。
目の前には海がずっと遠くまで続いていて、上を見上げると自分を抱き抱えた先生の顔が見えた。
『あなたはどうしたいですか。このまま戻りたいですか?それとも何もかも忘れて楽になりたいですか?』
そうだった。
私が笑うとそれだけで人が救われた。私が怒るとそれだけで人が死んだ。いつしか、笑うことも怒ることもしなくなった。それでも何かを言う度に聞く人は怯え、歓喜した。
そんな風になりたかったわけではなかった。
あの日、新しいお友達が出来たと思っていた。けれど、私のドレスが汚れ、彼女の言葉に勘違いしてあの子に魔力をぶつけてしまった。
あの子の方がきっと正しかったのに。
魔力は強すぎた。気が付くと見渡す限りそこにいた人がひれ伏していた。魔力を慌てて解いても、皆、もう「私」を見てはくれなかった。
畏怖。視線に感じるものはただそれだけ。濃淡あってもそれは皆変わらなかった。そして、それは家族でさえも。私はその想いの無さに失望した。
協会からやって来た先生は、そういえばその色が見えなかった。私の魔力を受けてもひれ伏すことはなかった。
『もしあなたが望むなら。その嫌な記憶を全部、私に預けて一時の自由をあげられますよ』
悪魔のように魅力的な囁きだった。そんなことができるのなら。
『望みますか?』
この優しそうな悪魔はその代わりに何を望むのだろう。
私は静かに頷いた。
『これは契約です。あなたは皇女としての記憶に蓋をする。記憶に蓋をしている間、あなたの全ての――』
なんて欲張りな悪魔なのだろうか。
いつもこの男は面倒くさくて、そして唯一自分に畏怖しない。でも、だから私は、我が儘をこの人には言えた。
先生を見つめながら私は答える。
『契約する』
笑顔で頷くと、先生は一言魔力を感じる言葉で呟く。
『契約成立です。これからのあなたは「アディ」です』
* * *
ミニエーラ王国にはディスタード帝国から災害派遣の援助の申し出が届いていた。すでに同盟として国内に駐在する軍がその町に救援物資を持って移動しているという。
災害状況を王国として把握できたのは、発生から少しした深夜だった。そして、夜が明けるのを待たずに帝国からの救援物資提供と人員派遣の申し出である。
ミニエーラ王国の官僚たちは慌てふためいていた。議会に緊急召集された貴族たちは、会議テーブルに拳を打ち付けたリオ・エーデルワイス侯爵を一斉に見た。その表情から事態の深刻さが伝わり、いっそう焦燥感が広がった。
誰が見ても災害は偶然ではない。だがそれはもはや問題ではない。その町の価値を知られたという時点でミニエーラ王国の、リオの敗けだった。
ブラックギアの加工場等、その証拠の破棄が指示されたがこの程度でどうにかなるとは思えなかった。
レオール王国に支援を求めるか、次の一手をどうしたら被害が最小限になるのか。見当もつかなかった。
次回第三十四話 対峙