第二十二話 先生の午後の紅茶
大きな机の上には隙間なく大量の書類が雑然と広げられていた。
紅茶の準備をと言われ、エリザベスは疲れた体を鞭打って持ってきたのに。そのカップを置くスペースはない。飛んで帰ってきた弟子に対して労いの一つもないのはどうかと思う。
理不尽だ。
「エリー、ありがとう。お茶はその辺に置いてください」
どの辺だ。
「師匠!整理してください!置く場所がないです、カップの!」
「これはこれで整理されているのですよ、分かりませんか?」
何とか書類の隙間を見つけてそこにカップを置き、上手いこと紅茶を注ぎ入れた。
書類は、エリザベスが過去調査した各国要人に関するデータだ。よくみると領地の位置関係に合わせて書類を配置しているようだった。
「あなたがお茶を置いたところに、今は彼女たちがいます」
師匠の手には、その彼女のデータが記された書類があった。
「アデレードを放逐してどうするのです?」
「放逐?……違いますよ。これは来るべき時のための布石です」
「あの人の指示ですか?」
「彼女は指示などしないし、私は彼女の指示で動いたことはないですよ。情報提供と利害の一致です」
「そうですか」
エリザベスは自分が置いた紅茶を見た。湯気をあげるカップのすぐ横の書類には「ユリウス・オブ・レオール」の名があった。
「そういえば一つ疑問があるのですが。なぜ、アデレードの顔をユリウスは知らなかったのでしょうか。敵国とはいえ、第一皇女の顔を知らなかったというのは変ではないですか?仮にもレオールの元王子で現公爵でしょう?」
ユリウスは敵国皇女に対する対応を取っていないように見えた。
「ああ。あなたは早い段階から社交の場には出れていなかったですね」
「立場が変わりましたから。それに師匠が、そういう表の舞台以外で情報収集するようにって私に言うから、潜り込むこともないですし」
「貴方もよく知っている、アデレード様が6歳の時のお茶会、あの事件の際に彼女の強力な魔力が明らかとなりました」
エリザベスはグッと眉間にシワを寄せた。
「よく知っているって、師匠、最初の被害者である私にそれを言うんですか?」
「彼女の魔力『平伏』は、皇帝一族が有する魔力で、一定範囲の対象者複数人の力を奪って強制的に平伏させることができます。そして、アデレード様は、お茶会であの時あの場にいたほぼ全員を平伏させてしまった」
「あの広大な会場には魔力持ちばかり100人以上いたのに……。バケモノですよね」
「ええ。戦争に使えば、どんな戦も有利になるでしょう。ですから皇帝はそれ以降彼女を公の場では顔を出させないようにした」
「そうか、安全のため」
「それもありますが、どちらかというと兵器運用に近いですね。顔を知られていない状態で、戦場に送ることを視野にいれていたのでしょう」
「でも、園遊会とか企画してなかった?」
「例のお茶会以降、彼女はあらゆる場面で常にベールを着けていたのです。特に敵国であるレオールやその関係国に対しては、彼女の顔を知られないように情報統制されていました」
「だから、ユリウスは気付いていない?」
「レオール王国はなんどかスパイを送ってきていたようですが。私も妨害していましたから」
師匠が?
「…珍しいですね、そういうことにはノータッチだと思ってました」
「この件は別なのです。ユリウス殿はアデレード様の顔を知らずに出会う必要があったのです」
* * *
長い歴史の中で、魔力の意味は大きく変化していた。
単なる便利な道具から、今は権威そのものに。
道具であったはずが、まるで主人のようになったものですね。
アデレードはその象徴だった。本当の彼女は、天真爛漫、聡明で誰にも優しく、強い意思のある素晴らしい人だった。だが、歴代最強の魔力は、彼女からいくつかの心のパーツを奪った。
ウリエルは高い天井を見上げた。そこは自室と異なり、とても高く。巨大なステンドグラスが見えた。
「いえ。それを奪ったのは魔力ではないですね」
魔力が露見するまで、皇帝はただ可愛い娘として育てたかった。だが、魔力がそれを許さない。
「だから、彼女はそんな記憶を。立場を忘れたかった……」
魔力『契約』は利害の一致、お互いの納得がなければ成立しない。彼女は記憶と立場を、私は今の状況を求めた。そして、今はある程度計画が進んでいる。
ウリエルは『予知』で知らされていた通り、あの時アデレードに講義していた。そして、知らされていた通り事件が起きた。だからこそ彼女を救うことができた。
だが、そこから先を私は知らない。
「さて、あなたの今の『お考え』をお聞かせいただければ幸いです」
ウリエルの後ろに立っていた女は、目深にかぶった灰色のフードで口元だけが見えていた。口元はただ微笑んでいた。
次回第二十三話 マリアはユリウスとアディをくっつけたい