第三十八話 必要悪
アデレードはしばらく沈黙して呼吸を合わせていた。他の者達、ジェイコブや黒騎士たちも静かにアデレードの声を待っていた。
「記憶を一時閉じ込めて今の私では無くなっていた間、私はただのアディとしてレオール王国を旅した。そこでレオールの人々と出会った。その時は私を皇女として接する者はいなかった」
そっとウリエルに視線を送ると、彼は真顔でアデレードを見ていた。あの時、彼に魔力を貸与することを条件に『契約』によって記憶を封印した。それは、ウリエルが神々と交信するための魔力を得て、彼の目的を達するため。そして、アデレードが皇女の重責から一時離れ自由を得るための契約だった。
「その時の経験は私に人としての、本来の私を取り戻すきっかけになったの。普通の感覚、皇女として求められ忘れていた心。そして、皇女としてここにいてもそれを忘れることはなくなったわ」
「人に戻れたと言いたいわけですか」
ウリエルはそう言うとテーブルの紅茶を手に取り口に運んだ。
「そう。そして、魔力を持たない人として、世界を回った。でも、別に普通だった」
「普通?」
ジェイコブはただアデレードを見据えていた。油断なく、いつでも動ける体制ではあったが、警戒より興味の方が勝っているようだった。
「そう普通。別に魔力が無くても有っても、人は人として生きているだけ。勿論、魔力の有無や量による差別が深刻化していることは、今思い返せばよく分かるけれど」
「ならば、なぜ、全てのものに魔力を使えるようにすべきだと?」
「魔力は道具。利用して差別し、貴族、平民が生まれた経緯はあっても、道具であることに変わりはない。たぶん魔力がない世界でも同じことだと思う。人は魔力に代わる何かで差別して社会を動かすはず。魔力を奪ってもただ不便になるだけよ。魔力のあり方を見直した時に……私は考えたの。魔力なき世界、その世界でも差別が無くならない可能性があるのならどうすべきか」
「その答えが逆に全ての人が魔力を使える世界だと」
「国とは本来、人民が生活する箱。そして、文化の揺りかごであれば良い。神々の介入も、国の介入も……人々には必要最小限であるべき。だって、魔力が有っても無くても人はちゃんと生きられるから。この中で最も豊かに暮らしていくのなら、便利な魔力を誰でも使えた方が良いに決まっているでしょう」
「そんな単純な話ですか」
「単純な話よ」
ウリエルは身動ぎせずアデレードを見据えていた。ジェイコブは目をつむり、暫くしてから開きアデレードに向ける。
「それでそれをどうやって実現する?」
「具体的にはまだ。一つ重要なのは、貴方達の存在だと思っている」
「我々?エニグマのことか」
「ええ。敵として。社会や国、神々からも敵視されるエニグマという存在は、私の望む未来の実現に必要」
黒騎士の何人かが驚き、小さく声をあげた。それは驚愕と否定。だが、アデレードは気にせず続ける。
「……なるほど。世界を纏めるための対極の存在か」
「ええ。政治に綺麗事はないから」
「さすがは漆黒の姫」
アデレードは笑顔をジェイコブに向ける。
「確認させて欲しい。貴方がエニグマのボスであり、右腕としてケイレブがいた。それで間違いなく、貴方よりエニグマを動かせるものはいない。貴方が全ての指揮をとっている?」
ジェイコブは口元に不敵な笑みを浮かべ、答える。
「いかにも。君の求めるエニグマは私だ」
「……今の言葉に嘘はなかったかしら、カサンドラ?」
「はい。ありません」
後ろに控える黒騎士の一人が答えた。
「カサンドラ?……土竜の――」
その瞬間、ジェイコブは目の前のテーブルに頭を打ち付けるようにして平伏した。もはや声を出すこともできず、ジェイコブは沈黙してそこにひれ伏していた。
「……先程は手加減されていたのですか」
「もちろん。あと、控えている者達も動けないよ?この部屋の至るところにエニグマの部下を配置していたようだけど」
「魔力『闇』ですか」
「先生、知っていましたか?」
「いいえ」
カサンドラを振り返り見ると、彼女は頷いた。
……先生は嘘を言っていない。
確認してからアデレードはひれ伏すジェイコブを眺めた。
「私のことを勘違いしているようだから教えてあげる。本当は誘拐、拘束されていたとき、私の本気の魔力を広げればエクス含めて全てを平伏させることは容易かった。爆弾で脅されて動けないふりをして、情報を引き出すことに注力していただけ。無差別にあらゆる者を平伏させるだけなら、居場所の特定なんていらない。相手の認識は魔力を広げれば干渉して分かるから」
あの時、確実性が高くなかったからやらなかった。あとエクスに隙を突かれて眠らされたのは誤算だったけど……。ユリウスに助けてもらえたし、まあ、結果オーライ。
「エニグマを利用して世界をまとめるはずでは?」
「ええ。そのつもり。でも、本物のエニグマである必要はないでしょう。コントロール出来ないカリスマはいらないのよ」
笑みを向けると、その場にいた全員が一歩後ろに下がった気がした。
次回第三十九話 終戦