第十一話 ケイトとアデレード
「そこにその土嚢を置いておいて、それから倉庫からハサミを俺たちの人数分持ってきてくれ」
ケイトに対し庭師の一人が指示を出してきた。
皇族の庭を飾る庭師は芸術家として有名な者が担う。そのため、庭師は使用人より格が上だった。使用人達を使って庭師達は事前の準備を進めていた。これから春の園遊会に向けて庭園の整備にはいるのだ。
「今年は10歳になられた皇女殿下の名で執り行われるはじめての園遊会になる。普段もそうだが、普段以上に失敗は許されないぞ」
張り切る庭師の長はそういうと、部下の庭師や使用人を見回していた。
ケイトは言われた通り、倉庫に向かってハサミを取りに行く。
庭園の用具倉庫に行く途中には、城の正門と玄関を繋ぐ大きな直線の舗装路がある。庭園はその舗装路の両側に広がる形になっていて、今回は西側の庭園奥で園遊会が企画されていた。
ケイトは舗装路に脇道から真っ直ぐと入り込んだ。周囲の確認などせず、ただ真っ直ぐに。だが、そんな風に舗装路へ出てはいけなかった。
その道を渡るときはその前に確認しなければならなかった。誰も渡るものがいないことを。
胸にさげたペンダントを昨日受け取った時から、ケイトの思考はぐるぐると回っていた。食事に手がつかず、何度も仕事でミスをしていた。
飛び出したケイトの目の前に、黒い鎧を着た騎士たちが立っているのが見える。
「何をしている!」
騎士の一人が剣を抜いてケイトの目の前に突き出した。
切っ先は首もとに突き付けられ、息を呑んだ。冷や汗が首筋に伝わるのを感じる。
「無礼者め!皇女殿下の御前に御許可なく立ち入るとは!」
あっという間に後ろ手に捕らえられ、両膝立ちにさせられた。首にはその黒騎士が右手に持つ冷たい剣の熱が伝わってくる。
「さわがしいわね」
「殿下、申し訳ありません。すぐに連れて――」
「待ちなさい」
あの時あの地下で見た群青に似た色合いのドレスと黒髪をなびかせ、アデレードが目の前に現れた。
ケイトの前にしゃがむと、胸に下げたペンダントをひょいと取り上げた。
「下女なのにペンダントをつけて仕事をするなんて」
「あ……」
「こちらを見なさい」
顔をあげてその目を見た。強い視線はすべてを見透かすようだった。けれど、あのときを思い出すその暖かさを奥に秘めた視線はケイトを落ち着かせてくれた。
「申し訳、ありません」
アデレードは立ち上がって黒騎士に向き直った。
「なぜ飛び出してきたのか取り調べて。そのあと私の部屋に。私の夕食後に寄越して――」
「お、お待ちください!」
奥に立っていた別の黒騎士が前に進み出てきた。
「このような卑賤な者を殿下の――」
「私の命令にそむくの?」
進み出た黒騎士が、がくりと膝をついたと思ったときにはあっという間に平伏していた。まるで上から巨人か何かに押さえ付けられた様だった。
「取り調べて疑いがあったとしても、その上で連れてくるようにね」
それだけ言うと、アデレードは立ち上がった黒騎士を含めて颯爽と庭園入り口に歩いていった。
ケイトは次々起こる出来事についていけずにただ呆然としていた。相変わらず剣が首もとにあっても、もう忘れていたのだった――。
「――殿下。失礼致します」
皇女殿下直属の騎士だという、黒騎士に連れられてケイトは執務室の扉の前にいた。あの一件の後、取り調べを一通り受けて、今ここにいる。
両開の重厚なオーク材の扉は大きく目の前に立ち塞がっていた。その扉が音をたてて開くと、その奥に青を基調とした豪華な家具や装飾、よく分からないが高そうな絵画が目についた。
アデレード殿下は青が好きなのかな。
ケイトはまだぼうっとしていた。現実感なく、そこに立たされていた。取り調べのとき、何を聞かれて何を答えたのかはもう覚えていない。
黒騎士に引っ張られて中に入った。
「あなたは下がって。必要になったら呼ぶから」
一瞬異論を述べようとしたのか口を開きかけ、しかし押し黙ったままの黒騎士は、敬礼の後に外に出ていった。
ケイトは慌てて背筋を伸ばし、すぐに最敬礼して震えた。振り返ってアデレードを見ると、その目に深淵のような暗さがあったからだった。
「申し訳ありませんでした!」
必死に最敬礼した。胸元に両手の指を絡めて、ぎゅっと固く結んで頭を下げた。
「そうじゃないでしょ…。平伏なさい」
ぐんと、何かに引っ張られる感じがした。そう思ったときには床に頭と両手をつけていて、とっさのことで頭を打ち付けた。
「謝るときはこうしないと」
すると、ふっと頭を押さえている何かが消えた。頭だけ自由になってケイトは顔をあげた。そこにある視線はもうあの暖かさが戻っていた。そして、アデレードは部屋着のポケットに手を入れて、そこからあのペンダントを取り出す。
「お前のような下女がこんなものをぶら下げていたら…。奪ってくださいって言っているのと同じなのよ」
首にペンダントを戻すアデレードの声に怒りは感じなかった。
「次に仕事中にそれをつけてたら…これは私が貰うから。分かった?」
「はい!」
「じゃあ、もう下がって」
「え?」
「それとも故郷を壊した私を殺しに来たの?」
「ち、ちがいます!」
両親の死は確かに辛いし、帝国兵に恨みがないことはない。でも、アデレード殿下を恨んではいない。
それは、アデレードの顔を見て改めて確認できた。恨みは感じなかった。
「ならこれで終わり。下がりなさい」
ケイトはアデレードの部屋をあとにした。そして、長い廊下を歩きながら手の中に帰って来たペンダントを握っていた。
私のことを覚えていてくださった?
* * *
その後、ケイトは知ることになった。
戦争で奴隷となった者達を条件としてアデレードが買い集め、自分の使用人やその候補として召し上げたり仕事を斡旋したりしていたことを。
ケイトはアデレードの忠実な下部である。それは今も昔も変わらない。
馬車の中から窓の外、北の寒空を見つめた。
「どうかご無事で…。アデレード殿下」
想いと涙が自然とこぼれ出て。夜の闇に消えた。
余談ここまでです。
次回第十二話 馬車の旅