第十六話 怒り
はっとして、彼女を抱き上げるとすぐに家の外に出た。周りの野次馬が叫び声をあげたが気にすることはなかった。
彼女をできるだけ綺麗で安全な少し離れた場所にそっと寝かせると、再び家の中に飛び込もうとジェイコブは踵を返す――。
だが、その瞬間天井が崩れ、あっという間に二階が一階に崩れ落ちてしまって、三人で暮らしたあの家は跡形もなく崩れ去った。
「ま、マシュー!」
声が焼けたのか、元の優しい声はなくなり、しゃがれた声が響いた。
――そこから先の記憶はない。
焼け跡からマシューは見つかることはなく、そしてどこにもいなかった。
事件のあと、ジェイコブはその場で気を失い、その後しばらく入院した。その間に火災の捜査が進められたが、結局火の不始末による事故として結論付けられた。
そして、リリアンの実家からは執拗に過去を問われた。リリアンは気にしないとしてくれたが、彼女の実家はこの一件を問題視した。シェアハウス時代の幼馴染み二人の不審死は醜聞であり、名家たるリカーブ一族にあって相応しいとはいえなかった。
結果として、しばらく時間をおいてから離縁することとなった。すぐに離縁したのではそれも外聞が悪いからだった。
そして、上司は――。
「――そうか。なるほど」
「ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」
復帰したジェイコブは、上司にことの子細を報告した。何も隠すことはせず、今わかっていることをすべて。すると、上司はしばらく黙ったあとに口を開いた。
「リカーブ家との手前、君にはいずれ保健省を去ってもらうしかない」
「……はい。申し訳ありませんでした」
「なぜ君が謝る」
「え?」
「私はジェイコブ君の上司で、私の判断でリカーブ家を紹介した。結果は残念だが、君は何も申し訳無いことはしていないだろう」
自然と涙がこぼれた。
「むしろ上司として君を守ってやれなくてすまない」
「いえ。本当にありがとうございました。今までお世話になりました」
「いや、まだ離縁は先だろう。それまでは保健省でこき使わせてもらうからな」
「……はい」
「ところで、その君の幼馴染みを苛めていたという、彼らの後輩……いや、上司だったな。貴族だという」
「ええ」
「少し気になる噂を耳にしたことがある。偶然だが、関係がある気がするのだが」
噂?
「噂は以前から聞いていたのだが、今話を聞いていて同一人物に関する話のような気がした」
「何の話ですか」
「うむ。貴族家の三男が建設省に入省してから、平民出身の女性官にしつこく言い寄っていたという話で、その後も執拗に付きまとっているというものだった」
それは、ジェイコブが二人から聞いていた話と少し似ていた。しかし、少し違っていた。
「付きまとっていた?嫌がらせではなく?」
「ああ。同じ建設省の話で、その女性官が平民で彼より先に入省していたという話と、彼女の上司になってからはその立場を利用していたという話も後から出てきてな。貴族にもかかわらず平民の娘にストーキングしているという話で、かなり気分が悪かったので詳しく覚えていた」
なんだと?
「もちろん全くの噂で、関係ない人物の話かもしれないが。気になってな――」
――ジェイコブは、マシューの捜索を続けつつその噂について調べた。あらゆる伝を使い、必要なら金を惜しみ無く使って。裏の世界にも足を踏み入れ調べ尽くした。
そして、二人の真実を知ることとなった。
その貴族の名はマテオ・イグニート。イグニート家に連なる一族の家系で、魔力『発火』を使う。侯爵家などではなく領地を持たず、どちらかと言えば廃れたイグニート一族の家の三男。
マテオは、アメリアを執拗にストーキングしていた。特にジェイコブが離れてからは、何度か家にも来ていたらしい。貴族として立場を利用し、アメリアを追い詰めていた。時間をかけて。マシューにもどうすることもできず、田舎へ逃げることを考えたのだろう。
そして、あの火災の時も何かしら関与が疑われていた。しかし、腐っても貴族の一員であり、どうやらイグニート家のいくつかが裏で手を回して、事件を有耶無耶にさせていたらしい。関与のほどは最後まで分からなかったが、限りなく黒に近かった。
だが内々で対処していたらく、マテオは謹慎として他の街の部署に異動となっていた。そして、もうこの街にはいなかった。
その事実を知ったとき、ジェイコブは一つの真理に達したような、そんな達観した何かを得た。
それは一言で表現するなら「怒り」だ。
当然、そこには冷静さも必要となる。前後不覚になるような、何も分からなくなるような愚かな怒り方ではない。この怒りは人をどこまでも強くする。
「ま、まってくれ」
マテオは最初、抵抗して魔力でジェイコブを『焼こう』とした。だが、大したことはない。焼けると同時に一瞬で『治癒』してしまえば、ダメージはなかった。
マテオを両手で押さえつけ、睨み付ける。その瞳の奥に何が見えるのか。いや、何も見えたりしない。
「俺は何もしていない!マシューなんて知らない!」
ジェイコブはマテオをじっと見つめていた。その体は恐怖で震えていた。
「だが、メル……アメリアを執拗に追いかけ、追い詰めていたことに違いはないだろう」
あの日以来、ジェイコブの声は地面の下から聞こえるような響きに変わっていた。その声を聞いたマテオは動けなくなった。
魔力『治癒』をその身に感じたとき、気付いたことがある。傷に魔力流し込み、慈しみを持って制御するとそれを治せる。
一方、人の体はどこか必ず傷がある。小さな傷は跡でしかなくて、それが普段害になることはない。そして、その無数の傷は常に体の基本的な治癒力で維持されているのだ。
そこまで理解しているジェイコブにとって、それは簡単なことだった。魔力『治癒』の制御に、慈しみではなく憎しみを使う。魔力をその全身に潜む傷に憎しみを持って流し込むのだ。
後にはマテオの血塗れの死体が転がっていた。
それを見た時、さらに一つの真理を得た。
世界はこれほどまでに理不尽に振る舞い、それを神々は望まれている。そうであるなら、まさにこの力を得るにいたった自分のすべきことは、その神のご意志に基づく理不尽の体現だろう。
それを成せる力を得たのだ。
余談ここまでです。
次回第十七話 魔法少女は悪の結社と戦うのがセオリー