第十五話 火傷
上司に紹介された彼女がこの帝国でも指折りの名家だったことはお見合いの場で初めて知ったわけだが、その貴族令嬢リリアンとトントン拍子に話が進んだ。
お見合いのあと、二月ほどであっという間に婚約し、結婚式を来月に控えるにいたっていた。
ジェイコブの結婚式に二人は喜び、参加してくれることになっていた。今日、その前祝いとして、二人にジェイコブは招待されて夕食を共にしていた。
「こんなに早く結婚が決まるなんて、びっくりしたけど良かったね」
「ほんとにね。びっくりしちゃった」
「まあ、相手方から断られなければそのまま進めるつもりだったから」
「その言い方はどうなの?」
アメリアは少し睨み付けてきた。
「兄さん、それだと誰でも貴族なら良かったって聞こえるよ」
「あ、いや、そういう意味では」
「気も合ったんでしょ?」
確かにリリアンは貴族的な傲慢さがなく、話しやすい人だと思っていた。
「兄さんはいつも誤解される言い方するから、気を付けた方が良いよ?」
「そうか、そうかもしれないな。気を付けるよ」
アメリアは笑顔に戻った。マシューはそれを確認して向き直った。
「魔力持ちになるんだよね?何って魔力?」
「ああ、『治癒』という魔力で、傷や病を治せるらしい」
「それは凄いね!じゃあ、病院に行かなくていいんだ!今度から兄さんに頼めば治療費いらずだ!」
「マシュー、それだと兄さんが便利な薬みたいじゃない?」
「あ、ごめん、兄さん」
「別にいいさ。そうだと思うし。ただ、俺に魔力が使いこなせるかどうかは分からない」
「結婚したらどこに住むの?」
「ああ、彼女の家のタウンハウスに取り敢えず引っ越す予定だ。ある程度したらまた家を用意することになる」
しばらく歓談していたが、二人が妙にそわそわしている気がした。
「……何かあったのか?」
「……何でもないよ」
アメリアが急に静かになったので、ジェイコブは思い出した。
「もしかして、少し前に話が出ていた後輩貴族に何かあったのか」
「何もないって。兄さん」
二人が動揺したのを見逃さなかった。
「なぜ相談してくれない。もしかしたら、リリアンの実家に相談することだってできるかもしれない」
「それはダメだよ」
「兄さんに助けてほしいとは思うけど、兄さんの婚約者に助けてもらうのはおかしいもの」
「だが――」
「俺たち、建設省辞めようと思っているんだ」
え?
「なぜ?!」
「その後輩はもう俺たちの上司なんだ。嫌がらせも受けている」
「受けているのは私だけだけどね」
「他の部署への異動願いを出すとか」
「兄さんが偉くなってあいつなんか飛ばせるぐらいなら何とかなるかもだけど、まだそれは先の話だろ。異動願いを出す相手がその貴族なんだから」
「辞めるならさすがにそこまでだと思うし。あの町に帰るわ」
ジェイコブはそれ以上かける言葉が見付からなかった。
「兄さんが頑張ってこの国で偉くなってくれたら、それで俺たちは良いんだよ――」
――結婚式当日、貴族らしい式典を進めた。あの日、二人との会話は上手くいかず、最後はケンカ別れのようになって、今日まで二人に会えていなかった。
……来てくれなかったか……。
参加者を確認したが二人の名前はなく。仕事場の関係者や上司、それにリリアンの家の関係者だけだった。
ただ、二人がいなくても、当然結婚式は恙無く進み、ジェイコブはジェイコブ・リカーブに名を変えることとなった。
「これで君も貴族家に加わったわけだ」
「ありがとうございます」
「……どうした、浮かない顔だが」
「いえ、まだ実感がわかないので、正直戸惑っています」
「まあ、その内慣れる」
上司の激励も、ジェイコブにはどこか遠くから声をかけられている気分だった。本当に声をかけてほしい二人がここにいなかった。結婚式は終わり、今は夜の舞踏会が始まっていた。
「ジェイコブさん!ジェイコブさんはいますか?!」
その時、会場係員が飛び込んできた。
「私です!どうしたんですか?」
「貴方の家で火災が!」
「え?!す、すぐに行きます!」
――係員の手綱をとる馬車に乗り、その場所につくと、それは自分の家ではなかった。
え?
燃えるその家は、三人で暮らしていたあの家だった。
「な、なんで!」
ジェイコブは止める係員を振り払い、燃え盛る家の中に飛び込んでいった。
家の中は火と煙が充満していた。だが、ジェイコブが扉を叩き壊して突入した時に風が吹き込み、勢いを増しつつも少し道ができていた。
その道に誘われるように、ジェイコブは中に走り込んだ。天井が炎で剥がれ落ち、ジェイコブに降りかかる。その度に体の至るところで激痛が走ったが、なぜか炎と煙の中でも走り続けることができた。
まるで何かに『包まれている』ような、そんな感覚で、まだ前に進めるとどこかで理解した。
全身の至るところに火傷を負っていたが、そんなことは些末な問題だった。
部屋の奥、アメリアの部屋をこじ開けると、すでに炎で満たされていた。だが、そこにいた。
ジェイコブはすぐに分かった。分かりたくはなかった。
部屋の真ん中、そこに横たわる黒く燃えるものが誰なのか。
その燃える体から炎を手で払いのけた。それが出来ると思ったからだった。抱き上げると、そこにアメリアの顔があった。もはや黒くなっていたが、それでも分かった。
ジェイコブは言葉にならない咆哮をあげながら、彼女の体を抱き寄せた。じゅっという音と共に、自分のすり寄せた右頬が焼けたのを感じた。
次回第十六話 怒り