【書籍化作品】記憶
とある仲の良い姉妹を襲った、不思議な出来事。
――前世の記憶。
それは、一瞬私の中を駆け巡って、そして消えていった。
沢山の四角。何か私に警告を発しているような不安感。
突然だったし、意味わかんないし、私はその場に凍りつくしかなかった。
「おねえちゃん、どうしたの……?」
妹が、キョトンとした顔で私を見つめていた。
「あ、ううん、なんでもないよ。はい、前向いて」
私に向きなおっていた妹の両肩を持って前を向かせ、私は再び妹の髪に指をもぐり込ませた。
ツルッツルの手触り。ツヤッツヤの煌めき。
私は、この妹のロングヘアが大好きだった。
「ねぇ、今日はストレートでいいでしょ? 一番似合うし、この素敵な髪がもったいないよ」
これは私の本音。妹ほど美しい髪を、私は見た事がない。
「えーやだぁ。いーつーもーのー!」
両手を振ってごねる妹。妹は友達の間で流行っている「両方結び」を要求しているのだ。派手な髪型にあこがれるのは、まだまだ子供なんだから仕方ないけど。やっぱり、もったいない。
妹の髪を半分ずつ左右に分け、両耳のちょっと上あたりでそれぞれ縛る。やだなぁ。せっかくの美しい髪が痛むじゃない。
「ありがと! おねえちゃんっ」
不純物の全くない、ひたすら純粋な笑顔。思わず抱きしめて、頬にキスをしてしまう。
「おねえちゃん……っ、もぉ……!」
くすぐったそうに身をよじらせる妹。……あぁ、もう可愛いっ!
――あの時見えたのは、本当に前世の記憶だったのかな。
あれからずっと気になっている。
宿を出発してから数時間。
時間がたった事もあって、少し頭の中で整理されてはいるけど、やっぱり意味わかんない。
まっすぐの線で全てが切り取られた世界。
四角がいっぱいある世界。
驚くほど明るかったような気もする。
そして、何か私に警告しているような不安感。
でもその中には、何故か甘酸っぱいような、きゅんきゅんするような気持ちも混じってる。
……やっぱり意味わかんない。
ちょっと頭を振った。
「もういい加減、宿に帰りなさい。ここから先は私だけが行くから」
私の右手を掴んでいる妹に声をかける。
「やーだっ! おねえちゃんと一緒に行くのー!」
妹は掴んでいる私の右手をぶんぶんと振るようにして抗議した。
あぁ、可愛いっ! 可愛いけどっ!
「おねえちゃんはこれからお仕事なんだから、ちゃんと宿でお留守番してて?
……一緒に行くのはだめなの。危ないのよ」
「危ないなら、余計ついていかなきゃだめじゃんっ!
あたしがおねえちゃんを守るんだもん!」
妹は余計力を込めて私の右手を握った。
「守ってくれるのは嬉しいけど、本当に危険な所なのよ。
大昔の遺跡って、いろいろと仕掛けがあったり……」
「わぁ、面白そう!」
そう。私は駆け出しの考古学者……じゃなくて、考古学研究室の学生。
今向かっているのは、立ち入りを禁止されている危険地域だ。
そこにある、数万年前のものとも言われている遺跡。
それが、私の最終目的地だった。
目の前に広がる小規模な遺跡。
事前の研究調査によると、この遺跡に危険な仕掛けはない。
という事は、重要な遺物などがあるわけでもない。
大事なものが安置されている遺跡には、それを守るような仕掛けがあるはずだから。
でも、この遺跡は周囲ごと「立ち入り禁止」に指定されている。
その理由は……。
何かに掴まっていないと吹き飛ばされてしまいそうな程の、流れの強さだった。
遺跡に近づくと、視界は驚くほどクリアになった。
地面から巻き上げられるものも、吹き飛ばされてくるものもない。
しかし、流れは相変わらず渦を巻くような強さ。
私達は言葉を交わす余裕もなく、必死でお互いの手を握りしめていた。
半分壊れた、建物。
その表面には、四角、四角、四角……。
これは……まさか。
前世の記憶……?
「ここで、待っててね。流されないように気を付けて」
「おねえちゃん……」
私の真剣な表情に、妹は心配そうにうなずいた。
この流れの強さでは、自分が足手まといになってしまう事がわかっているのだ。
「危ないって思ったらすぐ帰って来てね。おねえちゃんがいなくなったら、あたし……」
「大丈夫よ、あんたを一人になんかしないから」
そう言って、私は初めて妹の唇にキスをした。
……何か、予感があったのかもしれない。
こんな何もない、ただ危険なだけの遺跡に、なんで来ちゃったんだろう。
もちろん、この遺跡を詳しく研究した研究者はいない。必要がないからだ。
だから、まだ誰も知らないものがここに残っているかも知れない。それがくだらない物でもいい。
私だけの発見。私だけの研究成果。
私は振り返って妹の姿を見た。
私だけの、じゃないわね。私達だけの。
でも、それだけじゃなかった。
ずっと、気になっていたのだ。
行かなければいけない気がしていた。
そして、それは前世の記憶に関係しているような気がしていた。
愛らしい妹から目を離し、遺跡に目を移す。
その瞬間、私の身体は突然起きた強い流れに翻弄され、遺跡の表面にたたきつけられた。
「おねえちゃん……!」
微かに聞こえる妹の声。ごめんね、心配かけて。痛いけど、大丈夫。
私がたたきつけられたのは、遺跡表面の四角の一つだった。この四角から中をのぞく事が出来た。
大きな四角。そして無数の小さな四角。
見た事あるような……なんだろうこれ……。
それにしても、この四角、中が見えるのに中に入れない。何かに遮られているような……。
表面には、まだ他にも四角がある。どれか一つくらい、入れる四角があるだろう。
右隣にある四角へ、ゆっくりと動いた。
大きな流れの中でも、その四角へ向かう流れがあるように感じたからだ。
その微かな流れはだんだん強くなり、私の身体はその四角へ吸い込まれていった。
激しい痛みが、右肩を貫いていた。
何かが突き刺さったような、声も出せない程の激痛。
あたり一面が、真っ赤に染まった。
突き刺すような痛みは、切り裂くような痛みに変化していた。
右肩から脇腹、腰、そして尾びれへ……。
私の身体が切り裂かれていくのがはっきりと分かった。
「おねえちゃん!」
遠くで妹の声が聞こえた。
私の血で濁った水と共に流されていく私には、あの妹のつややかな髪も、輝くような尾びれも、もう見る事は出来なかった。
「ごめんなさいおねえちゃん……あたし、おねえちゃん助けられなかった……」
もう痛みは感じなかった。妹の声を聞きながら死ねるなんて、幸せだった。
「でも、今度は……」
その続きを聞く事は、出来なかった。
「はーい、今日は、光の屈折の実験でーす」
仁美先生ののんびりした声が響いた。
……って、え? 何これ。私、さっき死んだはずじゃ……。
「前回、水の屈折率の話はしたよね? 今日はそれを確かめまーす」
仁美先生が私の方を見てる。
ってゆうか、なんで私、この人の名前を知ってるんだろう。
ーー前世の記憶。
そうか、ここは数万年前、まだ「地上」っていうものがあった時代なんだ。
私の前世は、この時代の「人間」だったんだ。
って事は、私、前世の自分に戻ってきてしまったって事……?
窓。そして黒板。大きな四角。机たち。小さな四角。
そっか。あの遺跡は……この学校なんだ。
でも……妹は……あの子は……。
「宮内さん、何ぼーっとしてるの?」
仁美先生が、悪戯っぽい目で私を見ていた。
そうか。この頃はまだ、先生は私を苗字で呼んでいたんだっけ。
「ほら、水とガラスって屈折率が同じだから、水に入れると全く見えなくなっちゃうの。
だから……、今度は気を付けてね?」
……えっ!?
仁美先生は、私の耳元に、そっと口を寄せた。
「先生ね、前世、あなたの妹だったのよ。遠い未来、人魚の国で」
先生の、ツヤッツヤなストレートの美しいロングヘアが、ふわりと揺れた。
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