第12話.謎を解くⅣ
「これで犯人候補はかなり絞られましたね。――さてここで今一度、三ヶ月前の出来事を振り返ってみましょうか」
その頃には、平常通りの顔色をしていられる者はほとんど居なくなっていた。
中でも土気色の顔をした近衛騎士が、恐る恐ると口を開く。
「あの、つまり……自分が持ち場を離れたことで、あの騎士見習いの男が聖女様に……聖女様に……」
「彼ですか? 彼なら半年前、王都の路地裏で死んでいるのを発見されました」
「……え?」
「口封じでしょうね。ちなみに名前も経歴も嘘っぱちです。もともと、窃盗を繰り返すゴロツキだったそうですよ」
「……それでは、まさか」
「身分を偽らせた人間を騎士団に入れた時点で、あなたの手落ちですよ。騎士団長」
公爵令嬢以外の全員が、唖然とその男を――騎士団長を見つめる。
しかし当の本人は欠伸を漏らし、涙の浮かぶ瞳で周囲の目線を見返すだけだった。
構わず、男は続ける。
「三ヶ月前、あなたは手駒の男を騎士団に引き入れました」
「…………」
「その男は護衛を聖女の部屋から引き離すのに使い、あなたはその隙に眠る聖女を襲った」
「…………」
「そして"あの日"――聖女が自分の子を妊娠しているのを知り、その口を永遠に塞ぐことにしたんです」
「…………」
「聖女の腹を裂いたのは、腹の中の胎児を取り出すためでしょう。万が一にも見つかっては困るからと」
「…………」
「ですが物盗りの犯行に見せかけたのは失策でしたね。物盗りなら目撃者を殺すことはあったとしても、その腹を裂いたりはしないでしょうから。聖女の腹の中に宝石でも詰めてあったなら別ですが」
「……下らない妄想の話は、いつまで続くんだ?」
欠伸をかみ殺しながら騎士団長が問う。
男は揺るぎなく答える。
「いつまでも。強いて言うならあなたが犯行を認めるまで、でしょうか」
「騎士団長……そなたが、聖女を……」
腹心である騎士団長が聖女を殺した下手人と知り、国王は拳を震わせながら――眉間に深い苦悩を刻んでいる。
「いいえ、と否定しておきたいところですが――どうやら今となっては無意味そうですね、陛下。探偵が指を差してオレを指名した以上、オレの言霊には大した力が残っていなさそうだ」
騎士団長は肩を竦めた。
それから乾いた唇を、長い舌でぺろりと舐める。
「それともあの晩、オレが覆い被さった途端に目を覚ました聖女の口に拳を突っ込んで、何も知らない彼女に思いのままに乱暴をした話をこの場で大仰に語るべきでしょうか。加減をするような時間が無かったんでね、ずいぶんと泣いていてオレも可哀想だと思ったんですが」
「……下衆」
ぽつり、と侍女が呟く。怒りのあまりか、その顔は赤く染まっていた。
罵倒されたにもかかわらず、騎士団長は楽しげですらあった。
「下衆だって? なんて聞き慣れた言葉だろう。オレが犯した女の多くはそう叫んで、ヒステリックに泣きわめくんだ。だが機嫌を取るのは簡単でな、というのもまた耳元で甘い言葉を囁いて、腰を抱き寄せてやれば」
「もういいでしょうか? 事件の話の続きがしたいんですが」
そこで男が口を挟んだ。
騎士団長は男の方を向き、ふっと力の抜けた笑いを漏らす。
「アンタは腹が立つヤツだが、その無感動症ぶりにはいっそ尊敬の念を覚えるよ」
「そうですか。俺はこう見えてあなたに対して腸が煮えくり返っていますが」
「…………」
そこで一瞬、騎士団長が口を閉ざす。
男は何事も無かったように、そんな騎士団長に話しかける。
「騎士団長。聖女が妊娠しているとあなたが知ったのは"あの日"のことですね?」
「……ああ。そうだ」
「……そうだったの?」
公爵令嬢が目を見開く。
「聖女の追放の噂は王宮中に素早く広まっても、聖女の追放の理由を正しく知るのはその日の時点では王太子殿下と公爵令嬢だけでした。
王宮の事情に精通した者であれば、追放の理由は公爵令嬢への嫌がらせ行為が露見したからだ、と考えるのが妥当でしょう。しかしあなたは違った。あなたには――聖女が追放される正当な理由として、他に思い当たることがあったのです」
男が人差し指を立てる。
「つまり、妊娠。聖女がその清い身を喪失したことが、王太子殿下に露見したのだとしたら……と、あなたは思ったんです」
「まぁ、さっきの証言とやらによると――どうやらオレの推測は外れていたみたいだがな」
堪えきれないように騎士団長が破顔する。整った顔がぐにゃり、と歪んだ。
聖女は、その秘密を隠すために仲の良い侍女を遠ざけ、信頼していた近衛騎士達を遠ざけ、真夏にもかかわらず厚着をしていた。
そんな聖女の秘密を、彼女を疎んじる王太子殿下や公爵令嬢が知っていたはずもなく……つまり自分が早とちりをしたのだと、騎士団長はこの場で男の話を聞いている間に悟っていたのだった。
「だがそのときは、さすがにマズいと思ったんだ。誰もが味を知らない果実を食べたくなるのは、オレの悪い癖だが……何せ聖女には顔を見られていたし、あの女には公爵令嬢と違ってオレの名を伏せる理由も無かったんだから」
名を呼ばれた公爵令嬢の肩が小さく震える。
騎士団長はそんな公爵令嬢の反応をも面白がるようににやにやと笑った。
「夕食を手早く食って、七の鐘の後……オレは姿を隠して急ぎ神殿に向かった。三ヶ月前にオレが襲ったのが原因だろうが、聖女は近衛騎士を全員遠ざけていたし、侍女も外出したとかで居ないと聞いていたからな」
「窓の蝶番を壊して、二階の聖女の寝所に押し入ったんですね」
こともなげに騎士団長は頷く。
「ああ、そうだ。聖女は寝台の脇に寄りかかって、妙に荒く浅い息を吐いていた。クロークとやらも脱いでいたから、何と無く腹が膨れているのも見て取れたな」
「そして、あなたは聖女に話しかけた」
――『なぁ、アンタが追放されるのは、オレとのことがバレた所為か? そうなんだろ?』
「……本当に、見てきたように言いやがるな」
騎士団長は感心したように呟いたが、男は目線だけで話の続きを促した。
「ああそれで、聖女はこう答えたんだ」
――『許して、罪は無いの……』
――『お腹の子に、罪は無いの。許して、許して……』
悲鳴のような嗚咽がその場に走った。
公爵令嬢が耐えかねたように顔を覆う。
侍女が震えを隠すように自身の身体を抱きしめる。
そんな女たちの反応を、珍妙な動物の仕草に見入るような目で騎士団長はまざまざと見遣り……それから、ふっと肩を竦めた。
「ああ、同じだ、と思ったよ。公爵令嬢も聖女も、オレの子を身籠もった女は同じようなことを口走って懇願してくるもんなんだな」
その顔には、明らかに同情に近い感情が表れていた。というのも騎士団長には、何かの間違いで出来ただけの子供に縋りつく女の有り様が、まったく理解できなかったのである。
「もちろん、許せるわけがないだろ? なぁ探偵さんよ、お前もそう思うだろ?」
「話を続けてください」
淡々と返された騎士団長は頬を掻きつつ、「分かったよ」と渋々頷く。
「といっても、その後のことは振り返るほどのことでもない。次の瞬間にはオレは剣を抜き、聖女の腹を貫いていたというわけだ。聖女は大した抵抗もせず、そのまま息絶えた。
指で潰せる大きさの胎児も、念のために引き裂いた腹の中から臓物ごと取り出しておいた。人間ってのは不思議だな、あんなに小さくて弱っちいのに、ちゃんと人間の形になってんだから。
それとついでに聖女に代々伝わるという杖も奪った。物盗りの仕業に見せかけたのは、我ながら上出来だと思ったが……探偵に言わせりゃ、手落ちだったってことだな」
「……違うわ」
饒舌だった騎士団長の言葉尻を、そこで公爵令嬢が遮った。
興の乗っていたところを中途半端に止められた騎士団長は、眉間に眉を寄せる。
「違う? 何がだ? オレはお前みたいな嘘だらけの女と違って、ひたすら真実のみを話しているぜ?」
公爵令嬢の顔は怒りか恐怖によるものか、蒼白に染まっていた。
それでも彼女は、絞り出すように言葉を繰る。
「それ、その、言葉は……違うのよ……」
「だから違うって、何が――」
「公爵令嬢の言うとおりです。騎士団長、あなたは誤解をしていたんです」
「……誤解だと?」
男の指摘の意味が分からずにいる騎士団長から目線を外し、男は公爵令嬢に向かって言った。
「公爵令嬢。"あの日"のあなたと聖女とのやり取りを、再現してもらえますか?」