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第11話.謎を解くⅢ

 


 時間が止まったかのような静寂。

 誰も、何も言うことができなかった。

 呼吸さえ忘れていた人間も多かっただろう。それほどに男の言葉は、彼らにとって衝撃的だった。



「答えてください、公爵令嬢」



 男に促され、それでもしばらくは口を開くことができずにいた公爵令嬢だったが――



「…………ええ、彼女は妊娠していたわ」



 やがて、震える声音で男の確認に肯定を返した。



「お前、まさか……」

「そんな……」



 国王が、近衛騎士が、信じられないという目で王太子を見遣る。

 あらぬ疑いをかけられたことに遅れて気づいた王太子はハッとすると、目を見開いたまま怒鳴り声を上げた。



「ち、違う。僕は違う! だって――そもそも、僕はあの女に触れたこともないんだぞ!」

「ええ、違います。王太子殿下は無実です」



 王太子は、この瞬間ほどにその胡散臭い男を頼もしく思ったことはなかった。



「公爵令嬢を愛する彼のことです。敬遠していた聖女に手を出す理由は無かったでしょうね」

「そ、そうだ。コイツの言うとおりだ」



 だが、当然のことながら、男はいつまでも王太子の味方というわけではなかった。



「では公爵令嬢は何故、聖女の懐妊が許せなかったのでしょう?」

「それは……聖女は清らかな乙女が務めるものと決まっているからだろう。裏切られた国民達のことを思えば……」

「人によってはそれも理由になるかもしれませんが……信仰心の薄い公爵令嬢が、そんな理由で聖女を殴ったとは思えません」



 確かに、と王太子は普段の彼女の様子を思い返して頷きそうになった。

 ただ、何か嫌な予感のようなものが背筋を撫でており――言葉を発することはできなかった。

 だがそれでも、男は王太子の予感など殴りつける勢いで話を進めてしまう。



「簡単ですよ殿下。聖女が身籠もったのが、公爵令嬢にとって許せない相手との子だったからです」



 それは、どういう意味だ?

 とわざわざ聞き返すほど愚鈍でなかったのは、王太子にとって不幸と言えるかもしれない。



 艶然と、公爵令嬢が微笑んだ。



「私と、()()()との子供だったから――ね?」



 その妖艶な微笑を目にして、思わずといった様子で王太子が公爵令嬢に詰め寄る。



「お前……、僕以外の……」



 公爵令嬢は緩く首を左右に振るだけで、王太子には答えなかった。

 固まる王太子の背後から、男が鋭く言葉を投げかける。



「神殿の庭で起こった出来事については、想像に難くありません。

 あなたは追放を言い渡された聖女に会うため、神殿に向かいました。侍女も連れていたでしょうから、何なら後ほど確認してもらえたら確実でしょう。

 そこで公爵令嬢は――ベンチに座り込んで休んでいる聖女に、「ごめんなさい」と謝ったんです」



 国王が訝しげに唸る。



「どうして公爵令嬢が、聖女に謝る?」

「理由は明快です。公爵令嬢は、聖女に対して心底申し訳ないと思っていたからです」



 何人かが首を傾げた。王宮から追い出したいと思うほどに聖女を嫌っていたはずの公爵令嬢が、何故そのように振る舞ったのが理解できないのだろう。



「そして聖女は、俯く公爵令嬢にきっとこう答えたのでしょう」



 ――『いいえ、今はとても良い気分ですから。どうかお気になさらないで』



 それを聞いた公爵令嬢が、おかしそうに微笑んだ。



「……まるで見てきたように言うのね。さすが、世界最高峰と謳われる探偵さん」

「続きを語っても?」

「ええ。是非」



 公爵令嬢の同意を得た男は、さらに続けた。



「庭師さんの話では、夕方に出会った聖女は妙にこざっぱりとして、清々しい様子だったと言います。聖女はきっと、この王宮で渦巻く権謀術数に巻き込まれてうんざりしていた……それにお腹の子をいつまでも周囲に隠し通す自信もなかったでしょうから、殿下からの追放の命は願ったり叶ったりだったのでしょうね」



 今や自分の話題が出ても、王太子は男に目を向けることもせず、どうすればいいか分からない様子で公爵令嬢を見つめているだけだった。



「聖女の回答は、もしかすると公爵令嬢をほんの少しだけ救ったかもしれません。それを聞いた公爵令嬢は、潔くその場を立ち去ることにした。そのとき――両者にとって不運なことがありました。聖女がつわりを起こしたのです」

「つわりって……」

「妊娠初期症状の一つです。吐き気や嘔吐を催すもので、ひどい場合は母体の保護のために堕胎に至る場合もあります」



 そこで、嘶くほどに饒舌であった男の口の動きが止まる。

 侍女が不安げな目で男を見上げる。

 男が何故黙ったか、その理由に気がついた公爵令嬢は無表情のまま呟いた。



「構わないわ。あなたは探偵なんでしょう? わたくしが必死に隠していたものを、何の気遣いも躊躇もなく、全て残らず暴けばいいわ」



 男は、数秒の間だけ瞑目した。

 そうして、舌の根の乾く前に言った。





「公爵令嬢。あなたは、一度子供を堕ろしていますね」





 これまでに何度も止まっていたかに思えた時間は、一度たりとも止まっていなかった。



 だからこのときも当然、部屋の外にあるだろう時計の針は全てが動いていたのであったが、それでもその場に居るほとんどの人間が、時間など二度と動き出さずとも良いと思っていたかもしれない。



「目の下にある隈は、濃い化粧でも隠しきれないほどです。あなたはずっと、睡眠障害に悩まされているのではありませんか?

 だから聖女の様子を見て――以前の、妊娠初期の頃の自分と同じだと、すぐに気がついた」



 公爵令嬢の唇は緩やかな弧を描いている。



「あなたは子を堕ろせと()に言われていたのに、それに従ったのに、彼女はそうじゃなかった。そう思ったあなたは――とっさに手に持っていた傘で、聖女を殴りつけたのです」

「傘?」



 疑問を挟む国王に、男は頷く。



「王太子殿下と散歩をするのが好きだった公爵令嬢に、日傘は必須のアイテムだったのではありませんか?

 "あの日"は夕方とはいえ日射しがあり、暑かったそうですから。日傘の石突で鋭く殴りつけたのなら、出血することも大いにあり得るでしょう。その場に凶器が残されていなかったのは、公爵令嬢が持ち帰って血を洗い流したからでしょうね」

「……ええ、正解よ」



 公爵令嬢が手を叩いた。

 恐ろしいほどに乾いた淡泊な音が、二度、三度と空間を揺らした。



「あなたすごいわ、探偵さん。両親も妹も、誰も知らないままだったわたくしの秘密を全部暴いてしまうだなんて」



 否応なしに集まる同情の、嫌疑の、侮蔑の、悲哀の視線を受け止めながら、公爵令嬢の声は既に震えてはいなかった。

 ただ、そこには数分前まで居たはずの可憐極まりない年若い少女ではなく、年老いて疲れ切った老婆によく似た顔つきの女が座り込んでいた。



「わたくし、生みたいと言ったのよ。愛する人の子だもの。だってもう、わたくしは王太子の婚約者じゃなかったし……彼と結婚するのに、何の問題も障害も、ないと思ったから」

「しかし、あなたの申し出は断られた」

「そう。お前が迫ってくるから、致し方なく一夜を共に過ごす権利を与えてやっただけだと、そう言われたわ。こんなに面倒なことになるとは思わなかったと、呆れたように溜め息を吐かれてね」



 ずっと、公爵令嬢は笑っていた。笑うしかないようだった。



「愛を否定されたわたくしは、殿下のお膝に戻るしかなかったの。もう、それしか無かったの。

 幸い殿下はお酒に弱い方だから、酔った拍子に彼に抱かれたことにすれば、生娘でないのは誤魔化せると思ったわ。

 そのためにわたくしは、わざと自分の周りで小さな不幸を演出したわ。その罪を全て聖女になすりつけて……彼女と殿下の婚約が破棄されるよう仕向けたの」



 全ては男の推測通りだった。

 男はそのことに満足するでもなく、もう一つ気になっていたことを公爵令嬢に訊いた。



「ですが、どうして聖女の相手が、自分と同じ人物だと分かったのです?」

「神秘の少女を抱くなんて――神をも畏れぬふざけた真似が出来る男、私は一人しか知らないわ」

「……なるほど」



 男は得心がいったように頷き、それから七人全員を見回した。




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