第10話.謎を解くⅡ
ちらほらと修正させていただいております、すみません!
「では、その三ヶ月前の夜に――聖女の身には、何かが起こったのだな?」
王の確認に、男はゆっくりと頷きを返す。
「そう考えるのが妥当です」
「……自分が持ち場を離れたばっかりに……」
苦しげに低く唸る近衛騎士。
男はその言葉を否定しなかった。真実を明らかにするためにこの場に立っている以上、つまらない慰めの言葉の用意は男には一つも無かったのだ。
「では、何かがあったとして、三ヶ月前に起こった出来事とは何なのか? それには"あの日"の聖女の軌跡を辿る必要があります」
何人かが居住まいを正す。この場に無関係な人間など誰も居ないが、話が"あの日"のことに迫ったとなれば、さすがに気を抜いている場合でないと察したのだ。
「私は昨日、検死を担当した王宮医師の記録を拝見しました。聖女の腹は裂かれ、現場は一面が血の海に染まっているという惨たらしい状況には、どうしても気を取られがちになりますが……実は腹部以外にも、聖女には外傷があったそうです」
「外傷?」
その件を知らなかった王太子は首を捻った。
というのも、王太子は聖女の死について、彼女自身への怒りを感じこそすれ、同情や疑問を抱いていたわけではなかったので、検死記録にも全く目を通していなかったのである。
男は王太子を含む全員に目配せしながら、自身の頭の後ろをトントン、と指で叩いてみせた。
「頭部です。聖女の後頭部には、鈍器で殴られた形跡があったそうです。
そのことから庭師さんが見たというベンチについていた血は、聖女のものと見て間違いないでしょう」
またこの場で自分の名前が出て、飛び跳ねたのは庭師だった。
「あれが嬢ちゃんの血じゃと? じゃが、どうして……」
「ベンチに座っていて後頭部から出血する理由は、私には一つくらいしか思いつきません。おそらく、背後から何者かに殴られたのでしょう」
国王が獣のようなうなり声を上げたので、真向かいに座っていた王太子は驚きのあまり肩を竦めた。
「そいつが聖女を殺した犯人か」
だが、男はまったく動揺の素振りを見せずに小首を傾げる。
「いえ、おそらくは突発的な行動だったのでしょう。でなければ、目撃者の出る恐れがあるのに暴力行為に及んだりはしませんよ」
「ならば、庭の手入れをしていた庭師が聖女を殴ったのか?」
「国王陛下っ! わしは決してそんなことはっ!」
国王にまで名前を出され、いよいよ庭師は卒倒しそうな顔色になっていた。
庭師を窮地に陥れたかに見えた男は、しかしまたもやアッサリと首を横に振る。
「それならばそもそも、庭師さんは血液がベンチについていたことを私に話さなければ良かったんですよ。王宮の他の方々への聞き取り調査でも、誰もその話は無関係だと思って話してくれませんでしたから」
哀れな庭師は疲れ果て、いよいよ椅子の背もたれに倒れ込むような姿勢になってしまった。
男は気にせず続ける。
「神殿の庭に近づくのは、あなた方の誰でも可能だったでしょう。強いて言うなら、病に臥せっていた国王陛下には難しかったでしょうが……そもそも人を殺害するのに、一国の王が自分の手を汚すことは無いでしょうからね。誰か別の人間に依頼したと想定すれば、可能という話になってしまいますが」
国王はその愉快な言い回しに口角を上げたが、王太子は豪胆というより命知らずな男を前に軽い恐怖を覚えた。
「結局の所、現場不在証明は事件から三ヶ月の時間が経過した今となっては困難です。ですから、もっと分かりやすく考えてみましょう」
「分かりやすく、というと?」
それまで黙っていた侍女が眉間に皺を寄せる。
男は顎に手を当てつつ、テーブルの周囲を円を描くように歩き回った。
「聖女は何故"あの日"、何者かに殴りつけられたのか? それには当然、その直前にあった婚約破棄と、王都追放の件が関わってくるはずですね」
「ええ……自然に考えるなら、そうですね」
「そしてあの時点で、婚約破棄の件を知る人物というのは決して多くは無かったはずです。王太子殿下、如何でしょうか?」
話を振られた王太子は、憮然と応じる。
「……それは、まぁ。だって僕は父上に隠れて、聖女を追放することにしたんだから」
「では聖女を王宮に呼んだとき、彼女に追放を告げたとき、その場に居た人物は誰ですか?」
「誰って、それは僕と、公爵令嬢だな。公爵令嬢の侍女も一人居たはずだが」
しばし、室内に沈黙が降りる。
「……お前、もしかして僕を疑っているのか?」
「いいえ。殿下には聖女を殺す動機がありません」
「では、まさか公爵令嬢を疑っているのか?」
「そのまさかです」
バンッとテーブルの表面が強く叩かれた。
叩いたのは王太子だった。顔を赤くしてぶるぶると震える王太子に、男はにやっと薄暗く微笑んだ。
「愛用の皿にヒビを入れておくのも、子犬を殺すのも、階段から転ぶのも、簡単にできる人物が居ます。公爵令嬢ご自身ですよ」
「彼女に無礼なことを言うな!」
黙ったままの公爵令嬢を庇うように前に出た王太子は、男の胸ぐらを掴む勢いだった。
「公爵令嬢は聖女に嫌がらせをされていた。僕は彼女の相談に乗り、聖女との婚約を破棄し、この王都から追放することに決めたんだ。その時点で、公爵令嬢は満足していたはずだ!」
「そうですね、殿下。本来であれば公爵令嬢にはそれ以上、聖女に手出しする理由は無かったはずです」
「なら! ならば――」
「つまり、こう考えるべきなんです。問題はその後に発生したんですよ」
男の言った意味が分からず、王太子は顔を歪めたまま黙り込む。
その隙に滑り込むように、また男はぺらぺらと喋り出した。
「嫌がらせについては今さら証明する手立てがありませんからね。物的証拠もとっくに破棄されているでしょうし。
ただ最終的に分かっていることは、聖女は公爵令嬢に嫌がらせをしたとして殿下との婚約を破棄され、王宮からの追放が決定したという事実のみです」
「うん。うん……?」
「つまりですね殿下。聖女の追放が公爵令嬢の希望であり、狙いであっただけなら良かったんです。しかし公爵令嬢は"あの日"――神殿の庭で聖女と話をしている内に、意図せず別の問題を知ってしまった」
ようやく、王太子は背後に庇った公爵令嬢を振り返った。
彼女は黙ったままだった。いつもは誰よりも饒舌で、華やかにかしましく話す彼女が、その立場と尊厳を汚されそうになっているにも関わらず、さくらんぼ色の唇を閉ざしたままでいる。
「"あの日"の三ヶ月前に起こった、聖女の護衛の近衛騎士が頭痛と吐き気に襲われ、持ち場を離れた件。そのときに、聖女の身に起こった出来事。それが、公爵令嬢が聖女を許せなかった理由と深く関係している」
男の感情のない瞳が、王太子の肩越しに彼女を見遣る。
今や唇を噛み締め、静かに身体を震わす――公爵令嬢のことを。
男は、淡々と問うた。
確認のための問いだった。
「聖女は妊娠していたんですね?」