表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

泉 鏡花「榲桲に目鼻のつく話」現代語勝手訳 九

 九


「乾ちゃん、私にその榲桲(まるめろ)を見せてくださいましな」

 数日経った日、(ゆうべ)も暮れた頃、乾三は音羽に手を曳かれて、不思議な所を歩行(ある)いた。

 夢路を辿るのでもなければ、雲を踏むのでもない。が、町内の深い路地の突き当たりの、まだ入ったことのない(やしき)の中の、広庭を通り抜けるのである。

 ――そこが茶の湯を開催するために借りたという、黒塀の木戸の家であることは、すでに分かるだろう。――

 音羽の言うには、何度も榲桲(まるめろ)の下へ行ってみたが、顔のある実というのは、自分では一顆(ひとつ)も見当たらない。で、乾三の手で見せて欲しいのだと言う。……それはいいが、乾三を呼び出して、この頼みごとをする時、音羽は不思議なことを訊いた。

「乾ちゃん、もしか、そんな榲桲(まるめろ)神官(かんぬし)さんに見せたことはない?……」

 乾三はビクリとした。理由(わけ)は分からないが、とにかく、榎の法印の前に転がした時は、ちょうど音羽がそこを通りかかった時だったから、何か気に掛かることがあったかも知れない。けれども、神官(かんぬし)の、あの様子を知っているはずはない。どうして? と訊くと、

(いいえ)ね、何でもないんですが、あれからこっち、毎晩のように、私、法印の夢を見るのよ。同じように、お宮の神主(かんぬし)さんも、――そして、私をね、(ひど)い目に遭わせるの」

 乾三は、知らない、と言ったが、泣きたくなった。神官(かんぬし)榲桲(まるめろ)の実を渡したことで、音羽の身に何か影響が及ぶなどとは露にも思わなかった。……ご褒美だって、色鉛筆とノートが一冊だったのだし。

 気落ちがしたが、それでも、袖について従って、荒れた庭を通り抜けた。

 と、音羽が塀の内へ()()とついて、(そっ)と節穴から外を覗いた。

「あの目だ」と思ううち、静かにギーッと木戸を()けた。

 町も坂も、裏返しにひっくり返して見るような気がして、物珍しさの小児(こども)(ごころ)に、悄気(しょげ)ていたけれど、威勢よく坂の上へ飛び出した。

(そっ)とよう」と、音羽が低声(こごえ)で制したので、決まり悪く、静かにした、が、さて、同じなら、贔屓(ひいき)をしたくて、この(ねえ)さんには、落ちている実ではなく、いつかのように地主神の屋根に一顆(ひとつ)乗っかっていればいいのに、と(じっ)と見た。……が、月があの時よりも大きく丸いだけ。落葉の他には樹の影ばかりで、何もない。

 振り返ると、音羽が直ぐ傍に引き添っているから、節穴にはもちろん目は無く、その替わりに木戸の内側の(すすき)が透いて見えた。

「見つかれよ、いい榲桲(まるめろ)」と、しゃがんで探せば、乾三が手を動かすよりも(さき)熊笹(くまざさ)がざわざわと動く。……その動くのが、がさがさと激しく響いた。

 垣の中に人の気配。

 真っ先に思い浮かべたのは、白髪の総髪。ヒヤリとして後退(あとずさ)りすると、音羽も浮き腰だって、ひったりと木戸に身体をくっつけた。

「音羽」

「…………」

「音羽」

「あれ、父上(おとっさん)?」

「俺だ。――静かにしねぇよ」と、くぐもった錆声(さびごえ)をして、木槿(むくげ)垣の根を、低く、暗く掻き分けながら、這うようにしてぬっと出たのは……驚いた!……宮本の小父さんである。

 蜘蛛の巣か、土か、汗か、髪の抜け上がった(かく)(びたい)を、平手ですっと横に撫でると、感慨の籠もった深い息をホッと()いて、

「ああ……、久しぶりで」と、乾三に言ってから、

「音羽、やったぞ。……(おんな)俳優(やくしゃ)を殺した奴ぁ、分かったよ」

 …………

「まあ」

「しかも、死骸はこの樹の根にある」

「ああ、父上(おとっさん)

「俺の娘が、こんなことに(おび)えてどうする。いや、(むご)たらしく()りやがってな、この内側のな、土手下の穴に埋めておったぜ。――なあに、……探索も苦心もない。……榎の法印め、この榲桲(まるめろ)を拾って、目鼻がある。……気にするなよ、音羽、お前の味がすると(ぬか)すそうで、不埒(ふらち)な奴だ。それがどんな榲桲(まるめろ)だか見た上で、引っ()らしてくれようと、珍しくもねえ樹の下で、ふと風の吹くように考えた。

 榲桲(まるめろ)に顔がある。ただそれだけのことなんだが、ひょっと浮かんで、一気に任せて、無駄だと知りつつ、ちょっと(もぐ)って、よく探すと、直ぐに分かったぜ。こいつは手柄というよりも因縁事(いんねんごと)だよ。……輪廻というのだ」

「で、父上(おとっさん)、殺したのは?」

「もちろん、隠居だ」

「ええっ?!」

「白髪の狒々(ひひ)よ」

「あの、そしてどうするお(つもり)なんです?……」

「知れたことよ! 引っ(くく)る」と、胸を反らした。腰にひたりと、昔の十手(じゅって)を携えていた。

「しかし、俺はその職分じゃねぇ。……ああ、その職だったらな、少将の親だろうが、大将の子だろうが、この場から踏み込むのにな」と、(うつむ)いて額を撫で、

「警察へ知らせて、(おんな)(かたき)を取ってやろうよ」と、着流しの肩を寂しく、腕を組んで毅然とする。

 音羽がじっと寄り添って、

父上(おとっさん)(おんな)俳優(やくしゃ)のその(かた)は、あのご隠居の言うことを()いて殺されたんでしょうか。()かないので殺されたんでしょうか。ねぇ」

「馬鹿を言え――知れたことよ……柔順(すなお)に自由になった者を殺す奴があるものか」

父上(おとっさん)

「うん?」

(わたし)ゃ、(わたし)ゃ、すみませんが、その方が羨ましい!……親子兄弟……五人のためと、あ、(あきら)めてはおりますけれど、(なぶ)り殺しにされるよりも、私の方がどれだけ辛いか知れません。……女に生まれて、一生に、男は一人でございますものを」と、ぐっと力を籠めて乾三の手を取った。乾三はただ震えていた。


「男は一人でござんすものを、――今日(きょう)はこの()()(はべ)り――御方(おんかた)(さま)たち、おなぐさみ。――」と、声が震えて、はっと泣いた。

 聞くうちに段々と十手を下げた。その(さき)が地につく、と、父親は俯いて、ハタと十手を落とした。中腰で両手を上げ、抱くようにして、音羽の力の抜けた身体を押しながら、榲桲(まるめろ)の根が溢れ出た垣に寄せて立たせたが、(あお)(じろ)む顔に鬢のおくれ毛が掛かり、沁み入る月を暗く包んで、すっと浮く音羽のその姿は、幽霊と少しも違わない。

 墓に(ひざまず)くように、ひたと膝をつき、老いた岡引(おかっぴき)は手を()いた。……

「殺されたご婦人、あなたの霊にお詫びを申します。ああ、娘の言う通り、俺なんぞに(ひと)の罪を(あば)資格(ちから)はない。……なるほど、なぶり殺しの方がましだ。……音羽、お前も(こら)えてくれ」



 榎の法印は、二年後に、(そび)え立つような洋館を営んでいた。摩訶不思議な新薬を(あきな)い、それは内々では媚薬(ほれぐすり)だと噂された。葡萄牙(ポルトガル)伝来の秘薬だと称し、(びん)の商標は人面を描いた果実(このみ)である。これが大いに売れたのである。


 兄は東京へ()げた。


 ――この大商館の細君が音羽である。



                 (了)


今回で、「榲桲に目鼻のつく話」は終了しました。

拙い訳文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


例の「今日はこの家に居り侍り、御方様たちおなぐさみ」の意味は、おわかりになったことと思います。

「おなぐさみ」は「お楽しみ」の意。

月に6回、茶の湯の席を設けると称して、音羽は一家を支えるために、春をひさいでいたのでした。

この文を敢えて現代語に置き換えるのは野暮というものでしょう。


最後の部分で、「兄は東京へ遁げた」とありますが、この「遁げた」という言葉からすると、兄も静御前殺しに関わっていたのでは? との推測もできそうです。とすれば、兄と隠居とはどんな関係にあったのか? 気にもなります。


また、音羽が榎の法印の妻におさまったのをどう見るか。

可哀相と見るか、したたかと見るか。それとも……。

色んな疑問や感想もあります。


で、いつものお約束? できれば、原文を読んでいただければと思います。

この作品はまだ、青空文庫にはないようです。

「鏡花全集 第二十巻」、「鏡花小説・戯曲選 第四巻」に収録されています。

あるいは「国立国会図書館デジタルコレクション」のサイトでも読むことが出来ます。

他には、別に宣伝するつもりはありませんが、個人的には、原文を読むなら、河出書房新社の絵本タイプの本である「榲桲に目鼻のつく話」をお勧めします。

フォントがすっきりして読みやすいし、何よりも絵がとても綺麗で、作品を理解するのに役立つと思います。


是非、原文をお読みになって、鏡花の文章に触れていただければと、思っています。

そして、もしも興味があれば、読者の方、お一人お一人が、自分なりの現代語訳をされるのもいいかと考えています。

実際にこの作業をすることで、鏡花の文章の「あや」を知ることが出来るのではないかと思います。そしてまた、私の勝手訳よりも、ずっと好い訳が出ると期待もしているところです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ