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泉 鏡花「榲桲に目鼻のつく話」現代語勝手訳 四

 四


 ――お(にい)(さん)によろしく……ね――

(けん)(きち)と言うんです」と中尉は、いつもここでちょっと(あらた)めて言うのであるが。――

 その兄に、ことづけを聞いたのも初めてであるし、また、どの程度の知己(しりあい)だか分からなかった。ただ、兄と音羽ちゃんについて、乾三が知っているのは、――同じ年の梅雨の頃であった。

 陰鬱な、しかし雨の晴れ間を、黄昏(たそがれ)時分に夫婦連れらしい(やつ)れた旅の者が二人、どこかからやって来て、乾三の(うち)の仕事場の格子に立ち、

「宮本という旅店(りょてん)はどこでございましょう?」と言って、揃って菅笠(すげがさ)の手を下げて(たず)ねたことがある。

 職人達はもう既に仕事を済ませて帰った後だったので、ちょうどそこに居合わせた兄が丁寧に教えたことは言うまでもない。


 その晩、(あかり)の下で、晩食(ばんしょく)の後、(こう)(めい)がどうの、関羽(かんう)がどうのと、父と三国志か何か話をしていると、雨続きの後の薄寒い夜で、もう(しとみ)を下ろした戸の(そと)へ、この横町の山寄り辻の方から、コトコトと低い足音が軒伝いに近づいて、乾三の店の前に来たかと思うと、はたと止んで、それきり消えたように寂寞(ひっそり)とした。

 と、顔を上げた兄が、何を思ったのか、フイと立ち上がって、トントンと二階へ(あが)った。

 妙に薄淋(うすさみ)しい気がして、部屋が急に殺風景になった気がした。

 ――後で、乾三が二階へ上がると、兄は机に頬杖をついていたが、

「乾三、今来て、戸外(おもて)へ立ったのを当てて見せようか」

「うん」

「宮本の音羽さんだよ。――用事は、祖母(おばあ)さんにお米を借りに来たんだ。きっとそうだぜ。……若い男が居ちゃぁ、()まりが悪くって入れないんだ。可哀相(かわいそう)にな」

 と言ってほろりとした。

 その通りであった。


 もう一つは、つい最近のこと。お互い貧乏暮らしでも、宮本は風流人だから、二十六夜の月待(つきまち)(*正月や 7月26日の夜、供物を備えて月の出るのを待ち、月を拝んで飲食を共にする行事)をする。

「まだちと陽気が早いんでございますが、(すすき)のあります所をご存じではないでしょうか。ちょっとお尋ねに参りました」と、音羽ちゃんが店に使いに来た。

 美しいので、職人達は、

「よう」と、胸を()らせる。……

立野(たての)(はら)だとあります。……ちと遠いから、僕が取ってきてあげましょう」と、兄が言った。

「いいえ、それは、あの、私が参りますけれど、父が申しました通り、おいでをお待ち申しますわ」

「よう」と、また職人が揃って胸を反らして挨拶をする。……

 音羽は火のように顔を染めて、カタカタ駆け出したが、その晩、兄はその月待(つきまち)に招かれて行って、乾三の寝る時分になっても、まだ帰らなかった。


 明方(あけがた)、勢いよく乾三を揺り起こして、

「おい、月の出の話をしてやるよ。起きろよ、起きろよ」と、揺すって、抱いたり、小突いたり、耳を(つま)んだり。

「寝坊め」と、()()()()笑った。

 ――起きるもんか、そんな朝早く。


 あくる日――宮本の表二階から、真正面だという春日山(かすがやま)()竜山(りゅうざん)の峰が分かれる所へ、キラリと鍬形(くわがた)(*兜の正面につける前立物の金具)のように輝いて(のぼ)ると伝わる、その二十六()月待(つきまち)の景色を兄に聞こうとするが、忘れたようにぼんやりしていた。

 ――それだけであった。


つづく

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