泉 鏡花「榲桲に目鼻のつく話」現代語勝手訳 一
泉鏡花の「榲桲に目鼻のつく話」を現代語(勝手)訳してみました。
本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。
「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように言葉を付け加えたり、ずいぶん勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。
浅学、まるきりの素人の私が、言葉の錬金術師と言われる鏡花の文章を、どこまで現代の言葉で表現できるか、非常に心許ないのですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。
(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)
全9回。
勝手訳を行うにあたり、「鏡花小説・戯曲選 第四巻」(岩波書店)を底本としましたが、河出書房新社の「榲桲に目鼻のつく話」も参考にさせていただきました。
泉鏡花 「榲桲に目鼻のつく話」
一
私の知り合いに、兄さんがある美術学校の教授で、弟君が陸軍の中尉というのがいる。その中尉が本当に不可思議な事実なんだと言って、いつもよくこの話をする。
何度も聞いていて、話の順序も大概決まっているから、自分もこの話ができるのだ。ところで中尉は乾三と言うのだが……乾という字を書く乾三、言うまでもないけれど、音読だけではいくらでも同じいのがあるから、先ず言っておく。
中尉がこの話をする時、中に出てくる娘を、いつも決まって、白百合に譬える。だが、純白なのではない。鹿子のあるやつだ。娘は色が白く、肌理が細かで、ふっくりして甘く薫ったと言う。歌人か詩人ならもっと斬新な譬えをするだろう。妙齢の娘を百合の花などとは余りにも平凡だが、軍人の見立てだからまあそんなところなのかも知れない。
そんな譬えをする時に中尉はこう言う。――
「で、その百合の花は、ちょうど今から申し上げるお話が起こる頃に、ある邸の庭に――別に花壇がある訳でもないのだけれど――草の中にすっきりと茎が長く、一輪大きく咲いていたのを見ました。が、どうしてもその娘にそっくりな気がしてならないのです。石灯籠がありました。根を、まだ穂の出ない絲薄がすうすう包んだ中に、こう少し俯いて咲いていたのは、大きな結綿(*結婚前の女性が結う島田髷の一種)を結った姿そのままです。それに紅い帯を締めさせれば寸分の違いもないと言っていいくらいです。
立派な邸で庭も裏の土地も小児が一廻りするには草臥れるほど広うございました。昔、三千石取の武士が住んでいた邸だそうで、そこは僕が生まれました町内の氏神の社の奥にある一画で、森と生垣に包まれた場所だったのですが、このお話の頃は、第××師団の某少将の住居だったんです。僕が軍籍に就きました頃、閣下はもう予備になっておられたので、今頃はどうされているのか分かりません。
何しろ随分と経ちますから。
閣下にも男の児がいて、それが遊び友達だったものですから、時々奥庭まで入りました。
そうです……その百合の花は奥庭に咲いていたのです。その奥庭の向いに廻縁の高いのがあって、それに五、六壇の広い階段がつていました。朱塗です。
小児はすることが荒いから、邸では警戒して、普段は奥庭へは入れないのに、その時はどういう拍子か、ゴム鞠のように弾み込んだものなんです。
僕の家など、職人の町家には、地方でも余り庭はありません。瓦鉢の松葉牡丹や、欠擂鉢に植えた鬼百合のあの真紅なのさえ、土から生えたのを直接に見るのは珍しいんですから、石灯籠に薄をあしらった中に、背のすらりとした白いのが咲いた形は、草双紙か錦絵の景色をそのままに見るようで、不思議に思ったたくらいでした。
その時、階段に腰を掛けて、総白髪のお爺さんが一人いました。
相当高齢です。海綿に皺伸ばしを当てたような、少々角張った黄色い顔がぶくぶくしている。夏でも白足袋を穿いて――この時は秋でしたが――鰶色に薄光がする、綿が飛び出るくらいまで着古した着物を着て、いつも羽織なしで、一寸、二寸づつ這うように摺足をします。結付草履で、門内から神社の境内、邸の周囲を生垣とすれすれに、撞木杖(*握りの部分が丁字形になっている杖)を両手に支いて、一歩づつよたよたと歩行いているのを遊び仲間はよく見かけました。
どうかすると、その格好で前町にまでも出て来るのですが、小児たちから見ると、年齢というより、余りにも時代が違う人のせいか、あるいは姿がそんなためか、近くにいても、ずっと離れた所に立った老人みたいで、その歩行くのが、道の方が動いて、ずっと近寄ってくるようで、地の底か、墓の穴からでも、ぽっと現れたという様子です。が、少将のご隠居というために威厳があって、位が備わっているだけに、雲から降りて来るような人に思われて、何となく尊くも感じられ、小児たちには怖かったのです。
この老人は本間家のご隠居、少将閣下の父上なんですが、昼間、寂しい時、社の中や、黄昏の町で、ふとその薄蒼い着物を着た真白な総髪を見ると、伝え聞く、天狗が仮の姿で現れたかと思うほどでした。
いつも苦り切った渋い顔をして、何を見るともなしに、薄目で睨んでいて、口を利いたのを耳にした者はほとんどおりますまい。
よほど機嫌のいい時でしょう、どうかすると頤を引いて、しゃくるようにして、居合わせた小児を呼ぶと、怖いけれど、通力で引き寄せられるようで、おっかなびっくりしながらも、傍へ近づかない訳にはいきません。――行くと、擦り切れた絹衣の、おや? あれは白い毛じゃぁないかと思う綿の噴き出ている袂から、椎の実を五つばかり、爪だらけの手で、だるそうに、こうポタリと指を開いて小さな掌へ落としてくれます。
邸の裏手にある椎の大木で、あいつを揺すったら、小児たちは富士の山ほど椎の実が採れると思う、その実を拾ってくるのでしょうが、こればかりは何となく薄気味が悪くって食べられなかったものでした。
……それはともかく、吃驚したように、その百合の花を見て立っていました。
色が黒から僕は蛼、一緒にいるお邸の坊ちゃんは、ずんぐりしている所がお螻だ。建具屋の鉄公はすばしっこい所が螇蚸だろう。ついでに、内の兄は、ひょろっとして生白いから露虫かなどと思って見ていると、正面のその階段に、ふわりと腰を掛けて、据え付けたようなご隠居が、例の薄目でじろりと見ると、鼠色の唇をぶるぶる動かして、頸窪で白髪を摺りながら、顔を横に向け、頤でしゃくった。
「あっちへ行け……」と言うのです。
一緒に立っていたのが孫の坊ちゃんだから気が強い。その友達が駆け出さないから、僕もいると、朱の撞木杖で、とんとんと、飛石を敲きました。
「ははぁ――」と、友達が突然蹲むと、妙な形で揉み手をしながら、
「ねえねえ、ねえ――」と、後退りをして、そのまま連れだって裏口の方へ飛び出す拍子に、坊ちゃんはぺろりと舌を出して、
「鬼一法眼(*注1)め、ちぇッ――」と言った。
とっさには、何のことだか分からなかったのですが、その折から邸の裏手の大竹藪越しに、――遥かに笛を交ぜた囃子の音が聞こえたので、ああ、そうかと、合点がいったんです。
あまり大きな音を立てないようにしているので、ずっと遠いところのようですが、大藪の裏がすぐに楽屋になっている小芝居があって、当時、女俳優の一座が掛かっていたのです。
小遣いをねだって、立見か何かで、僕もその菊畑(*注2)とか言うのから、続いて忠信の狐(*注3)、鼓を持った美しい静(*注4)の立姿などを見て知っていました」
以上が、いつもこのことについて語る中尉の前置きである。
これからがお話。――
注1~4:いずれも浄瑠璃に出てくる人物。あるいはその浄瑠璃の段の通称。
興味のある方は、お調べになってください。
前書きにも書いた通り、この作品の勝手訳を行うにあたっては、私が持っている「鏡花小説・戯曲選 第四巻」を底本としましたが、作業途中で、河出書房新社から絵本タイプの本が出版されているのを知り、早速購入しました。
この本、まず、何よりも絵が素晴らしい。この作品のエッセンス、凝縮されたイメージが見事に表現されていて、鮮烈でした。
そして、活字のフォントも綺麗で読みやすい。
寄稿文も解説もあとがきも非の打ち所がない。
この愛すべき小品に対する真摯な姿勢が真っ直ぐに伝わってきました。
皆さんが熱い心でもって、この作品に向き合っておられるのに対して、私はどれ程の熱量を持って関わったかと、自信も萎みそうですが、素人の私は私なりにやるしかないと、割り切って、いつもどおりのスタンスで取り組みました。
細かいところでは、分からない部分もありましたが、勝手訳を言い訳に、現代語訳を試みています。
全9回。最後までお付き合いいただければうれしいです。