表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

泉 鏡花「榲桲に目鼻のつく話」現代語勝手訳 一

泉鏡花の「榲桲に目鼻のつく話」を現代語(勝手)訳してみました。

本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。

「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように言葉を付け加えたり、ずいぶん勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。

浅学、まるきりの素人の私が、言葉の錬金術師と言われる鏡花の文章を、どこまで現代の言葉で表現できるか、非常に心許ないのですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。

(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)


全9回。


勝手訳を行うにあたり、「鏡花小説・戯曲選 第四巻」(岩波書店)を底本としましたが、河出書房新社の「榲桲に目鼻のつく話」も参考にさせていただきました。


 泉鏡花 「榲桲に目鼻のつく話」


 一


 私の知り合いに、兄さんがある美術学校の教授で、(おとうと)(くん)が陸軍の中尉というのがいる。その中尉が本当に不可思議な事実(こと)なんだと言って、いつもよくこの話をする。

 何度も聞いていて、話の順序も大概(おおよそ)決まっているから、自分もこの話ができるのだ。ところで中尉は乾三(けんぞう)と言うのだが……(いぬい)という字を書く乾三、言うまでもないけれど、音読だけではいくらでも()()()のがあるから、()ず言っておく。

 中尉がこの話をする時、中に出てくる娘を、いつも決まって、白百合に(たと)える。だが、純白なのではない。鹿子(かのこ)のあるやつだ。娘は色が白く、肌理(きめ)が細かで、ふっくりして甘く(かお)ったと言う。歌人(うたよみ)か詩人ならもっと斬新な(たと)えをするだろう。妙齢の娘を百合の花などとは余りにも平凡だが、軍人の見立てだからまあそんなところなのかも知れない。


 そんな譬えをする時に中尉はこう言う。――

「で、その百合の花は、ちょうど今から申し上げるお話が起こる頃に、ある(やしき)の庭に――別に花壇がある訳でもないのだけれど――草の中にすっきりと茎が長く、一輪大きく咲いていたのを見ました。が、どうしてもその娘にそっくりな気がしてならないのです。石灯籠がありました。根を、まだ穂の出ない(いと)(すすき)がすうすう包んだ中に、こう少し(うつむ)いて咲いていたのは、大きな結綿(ゆいわた)(*結婚前の女性が結う島田髷の一種)を結った姿そのままです。それに紅い帯を締めさせれば寸分の違いもないと言っていいくらいです。


 立派な(やしき)で庭も裏の土地も小児(こども)が一廻りするには草臥(くたび)れるほど広うございました。昔、三千石(さんぜんごく)(とり)の武士が住んでいた(やしき)だそうで、そこは僕が生まれました町内の氏神の(やしろ)の奥にある一画で、森と生垣(いけがき)に包まれた場所だったのですが、このお話の頃は、第××師団の某少将の住居(すまい)だったんです。僕が軍籍に就きました頃、閣下はもう予備になっておられたので、今頃はどうされているのか分かりません。

 何しろ随分と経ちますから。


 閣下にも男の()がいて、それが遊び友達だったものですから、時々奥庭まで入りました。

 そうです……その百合の花は奥庭に咲いていたのです。その奥庭の向いに(まわり)(えん)の高いのがあって、それに五、六壇(だん)の広い階段がつていました。朱塗(しゅぬり)です。

 小児(こども)はすることが荒いから、(やしき)では警戒して、普段は奥庭へは(はい)れないのに、その時はどういう拍子か、ゴム鞠のように(はず)み込んだものなんです。


 僕の(うち)など、職人の町家(ちょうか)には、地方(いなか)でも余り庭はありません。(かわら)(ばち)松葉(まつば)牡丹(ぼたん)や、(かけ)擂鉢(すりばち)に植えた鬼百合のあの真紅(まっか)なのさえ、土から生えたのを直接(じか)に見るのは珍しいんですから、石灯籠に(すすき)をあしらった中に、背のすらりとした白いのが咲いた形は、草双紙か錦絵(にしきえ)の景色をそのままに見るようで、不思議に思ったたくらいでした。


 その時、階段に腰を掛けて、総白髪(そうしらが)のお爺さんが一人いました。

 相当高齢です。海綿(かいめん)に皺伸ばしを当てたような、少々角張った黄色い顔がぶくぶくしている。夏でも白足袋を穿()いて――この時は秋でしたが――(このしろ)(いろ)薄光(うすびかり)がする、綿が飛び出るくらいまで着古(きふる)した着物を着て、いつも羽織なしで、一寸(いっすん)二寸(にすん)づつ()うように摺足(すりあし)をします。結付(ゆいつけ)草履(ぞうり)で、門内(もんない)から神社の境内(けいだい)(やしき)の周囲を生垣とすれすれに、撞木(しゅもく)(づえ)(*握りの部分が丁字形になっている杖)を両手に()いて、一歩づつよたよたと歩行(ある)いているのを遊び仲間はよく見かけました。


 どうかすると、その格好で前町(まえまち)にまでも出て来るのですが、小児(こども)たちから見ると、年齢(とし)というより、余りにも時代が違う人のせいか、あるいは姿がそんなためか、近くにいても、ずっと離れた所に立った老人みたいで、その歩行(ある)くのが、道の方が動いて、ずっと近寄ってくるようで、地の底か、墓の穴からでも、ぽっと現れたという様子です。が、少将のご隠居というために威厳があって、(くらい)が備わっているだけに、雲から降りて来るような人に思われて、何となく尊くも感じられ、小児(こども)たちには怖かったのです。


 この老人は本間(ほんま)家のご隠居、少将閣下の父上なんですが、昼間、寂しい時、(やしろ)の中や、黄昏(たそがれ)の町で、ふとその薄蒼い着物を着た真白(まっしろ)な総髪を見ると、伝え聞く、天狗が仮の姿で現れたかと思うほどでした。

 いつも苦り切った渋い顔をして、何を見るともなしに、薄目で睨んでいて、口を利いたのを耳にした者はほとんどおりますまい。


 よほど機嫌のいい時でしょう、どうかすると(あご)を引いて、しゃくるようにして、居合わせた小児(こども)を呼ぶと、怖いけれど、通力(つうりき)で引き寄せられるようで、おっかなびっくりしながらも、傍へ近づかない訳にはいきません。――行くと、擦り切れた絹衣(きもの)の、おや? あれは白い毛じゃぁないかと思う綿の噴き出ている袂から、(しい)の実を五つばかり、爪だらけの手で、だるそうに、こうポタリと指を開いて小さな()へ落としてくれます。


 (やしき)の裏手にある椎の大木で、あいつを揺すったら、小児(こども)たちは富士の山ほど椎の実が採れると思う、その実を拾ってくるのでしょうが、こればかりは何となく薄気味が悪くって食べられなかったものでした。


 ……それはともかく、吃驚(びっくり)したように、その百合の花を見て立っていました。

 色が黒から僕は(こおろぎ)、一緒にいるお(やしき)の坊ちゃんは、ずんぐりしている所がお(けら)だ。建具屋の(てつ)(こう)はすばしっこい所が螇蚸(ばった)だろう。ついでに、(うち)の兄は、ひょろっとして(なま)(じろ)いから露虫(すいっちょ)かなどと思って見ていると、正面のその階段に、ふわりと腰を掛けて、()え付けたようなご隠居が、例の薄目でじろりと見ると、鼠色の唇をぶるぶる動かして、頸窪(ぼんのくぼ)で白髪を摺りながら、顔を横に向け、(あご)でしゃくった。

「あっちへ行け……」と言うのです。

 一緒に立っていたのが孫の坊ちゃんだから気が強い。その友達が駆け出さないから、僕もいると、朱の撞木杖で、とんとんと、飛石を(たた)きました。

「ははぁ――」と、友達が突然(いきなり)(かが)むと、妙な形で揉み手をしながら、

「ねえねえ、ねえ――」と、後退(あとずさり)りをして、そのまま連れだって裏口の方へ飛び出す拍子に、坊ちゃんはぺろりと舌を出して、

鬼一法眼(きいちほうげん)(*注1)め、ちぇッ――」と言った。

 とっさには、何のことだか分からなかったのですが、その折から(やしき)の裏手の大竹藪越しに、――遥かに笛を交ぜた囃子(はやし)の音が聞こえたので、ああ、そうかと、合点がいったんです。

 あまり大きな音を立てないようにしているので、ずっと遠いところのようですが、大藪の裏がすぐに楽屋になっている小芝居(こしばい)があって、当時、(おんな)俳優(やくしゃ)の一座が掛かっていたのです。

 小遣いをねだって、立見(たちみ)か何かで、僕もその(きく)(ばたけ)(*注2)とか言うのから、続いて忠信(ただのぶ)の狐(*注3)、鼓を持った美しい(しずか)(*注4)の立姿(たちすがた)などを見て知っていました」


 以上が、いつもこのことについて語る中尉の前置きである。

 これからがお話。――



 注1~4:いずれも浄瑠璃に出てくる人物。あるいはその浄瑠璃の段の通称。

 興味のある方は、お調べになってください。


前書きにも書いた通り、この作品の勝手訳を行うにあたっては、私が持っている「鏡花小説・戯曲選 第四巻」を底本としましたが、作業途中で、河出書房新社から絵本タイプの本が出版されているのを知り、早速購入しました。

 この本、まず、何よりも絵が素晴らしい。この作品のエッセンス、凝縮されたイメージが見事に表現されていて、鮮烈でした。

そして、活字のフォントも綺麗で読みやすい。

寄稿文も解説もあとがきも非の打ち所がない。

この愛すべき小品に対する真摯な姿勢が真っ直ぐに伝わってきました。


皆さんが熱い心でもって、この作品に向き合っておられるのに対して、私はどれ程の熱量を持って関わったかと、自信も萎みそうですが、素人の私は私なりにやるしかないと、割り切って、いつもどおりのスタンスで取り組みました。

細かいところでは、分からない部分もありましたが、勝手訳を言い訳に、現代語訳を試みています。

全9回。最後までお付き合いいただければうれしいです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ