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ケーキ屋さんでは花より団子

作者: 仁羽 孝彦

初の短編です。是非読んでいってください!

「おいしいケーキ、見つけたぜ!」


 友人の(じゅん)に連れられて、お互い予定が開いていたとある土曜日に、彼おススメのケーキ屋さんへと向かっていた。


 俺と淳は俗に言う甘党で、甘いものが大好きで、特にケーキを好んで食べている。けれどもコンビニケーキじゃ満足しない。コンビニのケーキはお手頃価格で手に入るかもしれないけれども、そこで売られているショートケーキのいかにも工場で作ってきましたって感じの生クリームの味が苦手だった。生クリームが嫌いなんじゃない!工場で作って来たよー♪って言う余計な自己主張をするタイプの生クリームがダメなんだ!


 甘けりゃいいってもんじゃない! 美味しくなきゃダメなんだ! 毎週コンビニケーキを買うくらいなら、月に一回だけ自分へのご褒美でもっとおいしいケーキを食べたいんだ!!!まあ、俺ら二人は揃いも揃って自分へのご褒美を毎週用意してるんだけど……。


 それはさておき、二人していつもそんなことを考えてあっちのお店、こっちのお店とおいしいケーキを探して回っていた。ケーキ屋さんに行くときもあれば、喫茶店で売っているケーキを試すこともあれば、ちょっとお高いデパートでケーキを買うこともある。とにかくおいしいケーキを!


 そして淳が見つけてきたと言うケーキ屋さんは俺たちが通っている大学を出て、家に帰るのとは反対方向の電車に乗って三十分、そこから歩いて十五分のところにあるそうだ。淳(いわ)く生クリームの触感が柔らかいらしい。クリームって元から柔らかいものじゃないかって?本当においしいショートケーキを食べてみればわかる!コンビニケーキの生クリームよりも柔らかいんだよ!いや本当に。業務用クリーム特有のあのもっさりしたような、或いはべちゃってしたようなあの感触がなくって、純粋に舌の上で溶けだすんだ!


 なんでも淳が言うにはそのお店のイチゴのショートケーキはこれまで一緒に食べてきたショートケーキを上回る美味(おい)しさらしい。これは行くしかない!


 胸に期待を乗せてついにケーキ屋さんの前に辿り着く。心の中で「たのもー!」と叫びながら意気揚々と扉を開けた。


「いらっしゃいませー」


 女性の声が耳に入る。売り子の店員さんが笑顔でこちらを見ていた。見た目は俺たちと同い年に感じた。かわいい女の子だと思う。


 だがそんなことはどうでもいい。


 俺の目的は売り子の店員さんじゃない。淳がおいしいとおススメするこのケーキ屋さんのショートケーキなのだ!店員の前に立つなりショーケースにあるケーキを見ずに「イチゴのショートケーキをください」と言う。


「いくつになさいますか?」


「一つ」


「店内でお召し上がりになりますか?」


「え?店の中で食えんの?」と思わず淳を見る。


「ああ。ここは店の中でも食えるぞ」


 生クリームの味にうるさい淳おススメのケーキだ。すぐにでも食べたい。「店内で」とすぐさま店員に言った。


(かしこ)まりました。ご一緒の飲み物はいかがでしょうか?」


「ええっと……。なしでいいや」


「では680円になります」


 事前に淳から値段は聞いていたが改めて店員から値段を聞くと高いなと感じる。けれども、値段相応かそれ以上においしいかもしれない。実際に高いかどうかは食べてから判断すればいい。財布から1000円札を取り出し、店員さんに渡しておつりに320円を受け取る。それからトレーに乗せられたイチゴのショートケーキを受け取って淳の後ろに立った。続いて淳も同じくイチゴのショートケーキを頼み、さらに紅茶をセットにつけた。セット価格で1040円。1100円を支払い60円のお釣りを受け取ってからショートケーキと紅茶がトレーに並べられるのを待っていた。


 店員さんが厨房へと回り、暫くしてから紅茶を持って現れる。その紅茶を淳が受け取る予定のトレーに置いて、トレーごと彼に渡した。


「ごゆっくりどうぞ」


 とても素敵な笑顔で言われる。俺は淳の後ろを追いかけて、店の奥に隠れていた客席へと一緒に入る。奥の客席には、このケーキ屋の近所に住む人たちだろうか?おばさんたちが四人ほどいて談笑に耽っていた。席の数は10席ほどで、おばさんたちから離れた2席を選んで腰を落ち着かせる。


「いただきます」


「いただきます」


 ほぼ同時にそう言って、フォークを手に取りケーキを一口サイズに切った。今度は切り分けた部分をフォークで刺して口の中へと運ぶ。


「!?」


 驚きのあまり声を出すのを忘れてしまった。生クリームが柔らかかった。口に入り次第、実は泡でしたとでもいうかのように溶けだしてしまった。さらにケーキのスポンジも工場生産されたケーキと違って柔らかさがある。生クリームもスポンジも甘さが控えめで甘いのが欲しければイチゴを食えとでも言うように(そそのか)してくる。


 いいだろう!


 そう意気込んで生クリームとスポンジとイチゴのどれもかけることが無いようにうまく切り分けて、フォークでまとめて口の中に運ぶ。


「!?」


 またも驚きのあまり声が出なかった。イチゴがイチゴしてるのだ!紛れもなくイチゴ!単にイチゴの味をしてるのではない!このイチゴはまるでこのケーキと一緒に提供されるために味を調えられたかのように自分の存在を自己主張してくるのだ!


「いい店見つけたな」


 俺は素直に淳を称賛した。


「だろ?しばらくこのケーキ屋でいいや」


 淳も自分が見つけたこのケーキ屋のショートケーキの味がいいことに大変満足しているらしく、まるでここが天国であるかのように優しい笑みを浮かべてケーキの破片を口に運んでいく。鏡が近くにないから分からないけれども、恐らく俺も淳と同じ顔をしているに違いない。


「俺も今度からここに通おう」


 そう言って俺もケーキの破片を口に含めた。


          ※          ※


 次の週の金曜日、大学の講義が終わってから俺はもう一度そのケーキ屋へと赴いた。家とは逆方向なうえ大学からケーキ屋さんまで45分と随分時間がかかってしまうけれども、そして、そのケーキ屋から家に帰るときは、大学から素直に変える時よりももっと時間がかかるのは目に見えているのだけれども、あの味が忘れられず足を運んでいた。


 週の終わりの金曜日。自分へのご褒美に金曜日くらいは遠回りの寄り道をしたっていいじゃないか!


 そんな思いで店に入れば「いらっしゃいませー」と店員の声が聞こえてくる。ふとその店員の顔を見れば、先週の土曜日にもカウンターに入っていた女性だった。週末にここに入るバイトさんだろうか?それともこの店を経営する店長さんの娘さんとかだろうか?


 だがそんなことはどうでもいい。


 俺の目的は先週と同じ。再びショーケースの中を見ずに「イチゴのショートケーキを一つ」と言う。


「店内で召し上がられますか?」との問いにすぐさま「はい」と返した。家まで持って帰ろうとすれば味が落ちてしまうかもしれない。それはもったいない。切り取られたばかりのケーキを今すぐここで食べたいんだ!


 1000円を支払って320円のお釣りを受け取った後、トレーに乗せられたケーキを受け取って店の奥の客席へと向かう。今の時間は偶然にも客席には人がいないようで、二人用のテーブル席を一人で独占した。


「いただきます」


 別に誰に言うわけでもないが、日本人として習慣にさせられてしまった食事前のご挨拶を自然と発してからフォークを手に取り、目の前のケーキから切り出した破片を口へと運ぶ。


「うん。やっぱりおいしいな」


 つい先月までは、家の近くのデパートにある行きつけのケーキ屋と同じく家の近くにある喫茶店でケーキを堪能していたが、それらのケーキに勝るとも劣らぬ味に思わず首を何度も頷かせた。少なくとも先月まで通ってた喫茶店のケーキよりもおいしいと言える。紅茶も飲みたいのなら、ここの紅茶でもいいじゃないか。美味しいケーキ優先だ!そんなことを考えながらパクパクと、同時に味わいながらケーキの破片を口の中へと運んだ。


          ※          ※


 次の週を迎えた。そして金曜日になった。例のケーキ屋に当然向かった。三度目の来訪!今日も自分へのご褒美にケーキを食べよう!ただ、やっぱり遠回りな寄り道であることには変わりがない。今度から本とかでももって客席で時間を潰そうか?そんなことを考えながら店の中へと入る。


「いらっしゃいませー」


 いつもの女性の店員さんがショーケースの後ろに立っていた。どうやら少なくとも週末はこの店でアルバイトをしているそうだ。結構かわいらしい女性なので、もしかすると近所では看板娘とみられているかもしれない。


 だがそんなことはどうでもいい。


 三度目も同様俺の目的はこのショーケースの中に入っているイチゴのショートケーキのみ。


「イチゴのショートケーキ一つ。あと紅茶ください」


 今日はちょっと贅沢に紅茶をつけよう。


「畏まりました。店内で召し上がりますか?」


「はい」と答えると「1040円になります」と返される。財布を取り出し小銭入れを確認する。10円玉は4枚もなかったが、50円玉が1枚入っていた。それを取り出し、ショーケースの上に置いてから今度は1000円札を取り出してそれもショーケースの上に置く。


「1050円お預かりいたします。10円のお返しです。紅茶ができるまで少々お待ちください」


 店員は頼んだショートケーキをお皿に乗せてそのお皿ごとトレーの上に乗せた後、厨房へと消えていった。暫く待つと、湯気をたたせているカップを運んでくる。ここからは中身は見えないが、誰がどう考えても今しがた自分が頼んだ紅茶であることは疑いようがない。


 店員は紅茶をトレーの上に乗せて「お待たせいたしました。お熱いのでお気を付けください。ごゆっくりどうぞ」と言いながら俺にトレーを渡す。トレーを受け取り次第迷わず客席へと向かった。


 客席では四人席を二人で独占する客が二組居たが、奥の二人席が空いていたので、そちらに向かい腰を掛ける。そして前回と同じようにケーキを食した。


「うん。やっぱりおいしいショートケーキは生クリームが違うな」


 一人独白してパクパクと食べた。


          ※          ※


 そして再び一週間が過ぎ、金曜日を迎えた。今日は大学の午後の講義が急遽(きゅうきょ)休講になった。淳は金曜日の午後にバイトを入れているため、昼食までは一緒に居たが、昼食後は別れることになり、そのあとは何もやることのない俺が一人取り残されることになった。


「まあいつもより早いが、ケーキ屋に行くか」と例のケーキ屋へと向かうことにした。


 普段は陽が沈むかどうかくらいの時間帯に店に入るのだけれども、今日は昼食をとってから45分かけてお店に向かっているので、ちょうどおやつの時間ともいえる時間帯にお店に着くことになった。店の扉を開けて中に入るといつもの女性の店員が居た。やはり週末にシフトが入っているらしい。しかも夕方前のこの時間帯にもシフトを入れているみたいだ。もしかするとアルバイトではなく、売り子が本業なのかもしれない。


 ただ今日の彼女は「いらっしゃいませー」といつものように声をかけてはくれなかった。店内は大変混雑していて、他の客もショーケースの前に並んで注文をしていた。おやつ時のこの時間が一番混んでいるのかもしれない。ショーケースの後ろにはあの女性の店員さんの他に店長と思わしき少し老けた男の人が二手に分かれて客を捌いていた。


 俺は行列の一番後ろに立ち、順番を待つ。前には6組ほど客がいて、恐らく家族のために買い物しに来たのだろう。今先頭で注文をしているおばさんが目に見える範囲ですでに5個のケーキを持ち帰り用の箱の中に詰めてもらっていた。女性の店員は急いで捌いているようだけれども慌てたそぶりも見せず、てきぱきと注文を受けてケーキの用意をしており、一組一組丁寧にケーキの提供と会計を行っていた。そして十分もしないうちに俺の順番になる。


 どんな偶然か女性の店員さんの前に立った。


「いらっしゃいませー」


 こんなに忙しい中でも笑顔を絶やさず、てきぱきと客を捌けるのだから、よくできた人なのだろう。さすがである。きっと店長からの評価も高いに違いない。


 だがそんなことはどうでもいい。


「イチゴのショートケーキを一つ。あと紅茶を」


 いつものようにお目当てのものを注文する。


 すると店員は「少しお待ちください」と言って一度ショーケースから離れ客席の方へと向かった。すぐさま戻ってくるなりとても申し訳なさそうな顔で「今お席が満席になっております」と言った。


「マジか」


 思わず戸惑いの本音がポロリと出てしまう。こうなると持ち帰りしかないだろう。だが持ち帰るにしても家までは一時間以上はかかる。保冷材を使えばいいかもしれないが、それでも味が落ちてしまうのではないかと心配になった。味が落ちる前に食べるためには…………。やはりこの近くで食べるのが一番だろう。店に来る途中で公園を見かけた。公園のベンチで食べることにしよう。


「だったら紅茶抜きで。持ち帰ります。もしあればフォークとかつけて」


「畏まりました」と店員が言うと持ち帰り用の箱とプラスチックフォークをショーケースの上に乗せる。


「お持ち帰りにどれほど時間がかかりますか?」


「近くの公園で食べるから保冷材はいらないよ」


「畏まりました」


 笑顔でそう言ってショーケースからいつものケーキを取り出しプラスチックフォークと一緒に箱の中へと入れる。


「お会計は680円になります」


 小銭入れを見てみれば今日は持ち合わせにちょうど680円あったので、そのまま支払った。


「ちょうどお預かりいたします。気を付けてお持ち帰りください」


 店を出て、近くの公園に向かう。途中の自動販売機でカフェオレを買って公園のベンチにどかりと座った。今日は落ち着ける場所でケーキを食べられなかったが、それでもこの美味しいケーキが食べられる。それだけでもよしとしよう。そう考えながら箱をうまく解体して皿のようにし、プラスチックフォークを手に取ってケーキを食べ始める。


「んー。一週間頑張った自分へのご褒美にこのケーキ。最高だね」


 一人公園で呟きながら缶コーヒーと一緒にショートケーキを味わった。


          ※          ※


 そして次の週の金曜日。午後の授業は休講にならず、素直に講義に参加してから一人で例のケーキ屋へと向かった。今日でもう5回目の来店かと感慨深げに思う。店の扉を開けるとやはりこの時間は人が少ないのか目の前であの女性の店員がにっこりと笑みを浮かべて「いらっしゃいませー」と声をかけてくれた。


 笑顔はいい。笑顔は大事だ。以前の四回もそうだが接客態度がいいので店に対して悪い印象を持つことがなかった。客にいい印象を持たせられるように接客することができるのだから、やはりベテランの店員だと言えるだろう。もしかすると先週見かけた男の人ではなく、この人が実は店長なのかもしれない。


 だがそんなことはどうでもいい。


 やはり俺の目当てはあのイチゴのショートケーキ!ショーケースを見ずに店員の前に立つ。


「イチゴのショートケーキ一つ。あと紅茶も」


「あ、申し訳ございません」


 突然店員から謝られ思わず目が点になった。何事かと思えば「ショートケーキは売り切れてしまいました」と言われる。


「マジか」と戸惑いの本音が漏れた。


 ショートケーキ目当てでせっかく来たのにそれが食べれない。残念だ。けれども、ないからと言って「結構です」と言って帰るのもばからしい。さてどうしようかと思いショーケースを覗き込んだ。そういえば5回目の来店で初めてショーケースを覗いた気がする。


 それは置いといて、何があるかを確認してみると、チーズケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、抹茶のシフォンケーキが並べてあった。ケーキ以外の洋菓子も陳列しているが、興味がなかったので商品名も確認していない。さて、この四種類から何を選ぶか?幸いにも俺以外に客がいなかったので遠慮なくじっくり考えることにした。


 甘いものは好きだけれども、何でもかんでも冒険しようとは思わない。昔、冒険して口に合わないものを引き当ててしまったことがあるからだ。この四つの中で外れ率が低いのはどれだろうか?経験上チーズケーキかモンブランだった。だったらこの二つのうちのどちらかにしよう…………。


「んー」と唸りながらチーズケーキとモンブランを見比べてから「モンブラン」と言う。


「あと紅茶も」


「畏まりました。1130円になります」


 ショートケーキのセットよりもほんの少し値段が上がってしまった。だが仕方がない。今日はショートケーキが食べられないのだから。1200円を取り出して70円のお釣りを受け取った。それから店員はモンブランをトレーの上に乗せてから厨房へと向かい、暫くして紅茶をもってきた。


「ごゆっくりどうぞ」


 客席に向かうと一組客がいるだけで、席が空いているので、出入り口に近い席に座る。腰を落ち着かせてフォークを握る。この店で食べる初めてのモンブランだ。味はどうだろうか?


 一口食べてみる。


「…………ふんふん」


 なるほど。悪くなかった。モンブラン特有のざらざらした触感を味わいながらもう一口と口に入れていく。美味しいと思う。悪くはない。悪くはないが…………。近くのデパートで売っているモンブランと比べると、デパートの方が自分の口に合うんじゃないか?と感じてしまった。とはいえ、そのデパートのモンブランを口にしたのもいつ以来かは覚えていない。三ヶ月前だったか?半年前だったか?いつもいつもショートケーキばかり食べていたのでそれ以外の種類のケーキを口に含めるのは本当に珍しかった。


「ま、今度両方買ってみて味比べすればいいか」


 そう言いながら舌に残ったモンブランの甘さを紅茶に流し込んだ。


          ※          ※


 再び金曜日を迎えた。そしていつものケーキ屋へ。


 店に入るなりあの店員が「いらっしゃいませー」と声をかけてくれる。ショーケースの前まで立つと「いつものになさいますか?」と尋ねられた。


「え?」と思わず呆けてしまう。その言葉の意味を考え頭の中で逡巡させてから、どうやら彼女は俺のことを、そして俺が普段頼んでいるものを覚えてくれているらしいことに気づいた。まだ6回目なのに客の顔を覚え、さらに客が普段何を頼んでいるのかまで気を配っている、そんな彼女は本当によくできた売り子だ。


 だがそんなことはどうでもいい。


 とにかくケーキを食わせろ。その思いから「はい。いつもので」とはっきりと彼女に告げる。


「イチゴのショートケーキ一つと紅茶で1040円になります」


 財布から1100円を取り出し、60円のお釣りを受け取る。店員はケーキと紅茶の準備をし、いつものように俺にケーキと紅茶を乗せたトレーを渡してくれた。「ごゆっくりどうぞ」と言われてからそのまま客席へと向かう。客席には二人席を使う客が二組、四人席を使う客が一組居たが、それでも二人席が一つ空いていたのでそこに座ってケーキを食べ始めた。


「やっぱりショートケーキが一番だな」


 うんうんと頷きながら二週間ぶりに口に溶かす生クリームを味わう。この生クリームの味を知ってしまうとそう簡単にここのショートケーキから別の種類のケーキとかほかのお店のショートケーキとか食べようとは思わなくなってしまう。ちょっとお口が贅沢になっているのかもしれない。でも別に毎日ケーキを食べてるわけじゃない。週に一度の自分へのご褒美だ。自分へのご褒美にケーキを食べたっていいじゃないか。


          ※          ※


 次の金曜日を迎え、例のケーキ屋へ向かおうと教室を出ようとしたとき、後ろから声を掛けられた。振り返ってみれば同じサークルに所属している風間(かざま)だった。


「どうした?」と尋ねると「最近、行きつけのケーキ屋があるらしいな」と聞かれた。よく知ってるなと思ったが聞けば淳から聞いたらしい。


「どれくらいの頻度で言ってるんだ?」


「ここ二ヶ月週一ペースだな」と答える。


「俺も行ってみてもいいか?」


「構わないぞ?此処から電車で30分、駅から歩いて15分かかるけど」


「大丈夫だ。行こう行こう!」


 そして二人で例のケーキ屋へと向かった。


 風間もケーキが好きだっけ、と疑問に思ったが行きの電車の中で「かわいい売り子がいるらしいな」と突然声を掛けられる。


「ネットじゃ売り子が可愛いって評判で、俺らの大学でもその子目当てで店に行く野郎が居るらしいぜ」


「へぇ…………」


 やはり他の人たちから見てもあの店員は可愛く見えるのか。或いはあの店員以外にもかわいい売り子がいるのかもしれない。風間曰く売り子目当てで店に来る男性客も多いらしい。ただ、俺が行くときには自分以外の男性客を見つけることはなかったなと思った。他の男性客とタイミングが合わないのだろうか?売り子目当てなら俺みたいに偶然他の客がいないタイミングで行った方が顔を覚えてもらえるだろうに。


 店に辿り着き風間を率いて店の中に入る。


「いらっしゃいませー」とあの店員が声をかけてきた。いつもの笑顔。まっすぐにこちらを見ている。彼女の姿を見て隣の風間は「お、噂以上にかわいいじゃん」と俺に耳打ちをしてきた。


 俺はその噂を知らんと心の中で思いながら、そのまま迷いなく真直ぐ店員の前に立ち、いつものように、プログラムされた機械のように「イチゴのショートケーキ一つと紅茶」と言う。店員は「畏まりました」と言ってケーキの用意を始めた。


 俺のケーキの準備が終わり会計も済ませた後、場所を風間に譲る。


 彼は「おすすめなーにー?」と軽い感じで店員に尋ねた。


「当店のおすすめはこちらのイチゴのショートケーキになります」


「じゃあそれ」


「畏まりました。ご一緒にお飲み物はいかがでしょう?」


「コーヒー。ブラック」


「畏まりました。お値段1020円になります」


 どうやらコーヒーのセットの方が紅茶のセットよりも20円安いらしい。


 店員は風間の会計を済ませた後、彼のケーキとコーヒーの準備を始める。


「お姉さん、大学生?」


 突然風間が店員に声をかけた。


「はい、そうですよ」


 店員は特に驚いたそぶりも見せず、素直に答える。


「どこの大学?」と聞かれると「それはお答えしない決まりなんです」と返した。


「えー、いーじゃん。教えてよー」


「お店のルールですから」


 店員はにっこりと笑顔を浮かべながら風間の質問をかわし、風間の分のケーキとコーヒーをトレーに乗せる。それでも風間は後ろに他の客がいないことをいいことに彼女のことを一生懸命聞きだそうとしていた。対する彼女はナンパに対して扱いなれている様子。「お答えできません」とか「店のルールですから」とか「お答えするとお店で働けなくなっちゃいますから」と笑みを崩さずに答えていた。恐らくこれまで風間以外にも声を掛けられることがあったのだろう。裏を返せばそれだけ彼女が人気だと言うことだ。


 だがそんなことはどうでもいい。


 俺は売り子の個人情報を知りに来たんじゃない。このケーキを味わいに来たんだ。風間が注文を頼んでいる間、勝手に先に食べるのを我慢して彼の手にトレーが乗せられるのを待っていたのだ。この俺にまだ我慢しろと言うのか。


「おい、風間。俺ケーキ食いたい。あと紅茶が冷める」


 風間に苦言を呈すと「先に食べればいいのに」と言われた。


「そっか」


 だったら遠慮なく先に客席に向かおう。


 店員と風間に背中を向けたところで「ごゆっくりどうぞ」と店員から声を掛けられた。さすがにここで声を掛けられると思わず慌てて振り返ってしまい、コクリと頭を下げる。それから客席に向かい近くの二人席にどかりと座った。風間のことなどどうでもいい。とにかく今は一週間ぶりに味わう週に一度の自分へのご褒美だ。フォークを片手にショートケーキを切り取り、そして口の中へと運ぶ。


「うん。やっぱりショートケーキだ」


 自然と笑みをこぼしながらのんびりと味わう。


 半分ほど食べたところで風間が愚痴を漏らしながら帰ってきた。


「ちぇ。途中でおっさんが出てきて話を切り上げさせられたよ。どこの大学か結局聞けなかった」


 おっさんと言うのは恐らく店長、或いは店長っぽく見えるあの老けた男性の事だろうか?あの店員は自分が大学生であることを言っていたので少なくとも彼女は店長ではないから、恐らくあの男性が店長でいいだろうが、いずれにしてもそういう人が出てくる前に素直に引き下がった方がいいはずだ。けれどもまあその辺は風間の問題であって俺の問題じゃない。あとでこいつが煮られようが焼かれようがそれは自己責任と言うことで。俺はこのままケーキを堪能し続けよう。


          ※          ※


 一週間が過ぎた。ただ金曜日から二泊三日で家族旅行に出かけるため、授業が終わってからすぐ家に帰ることになり、ケーキ屋に行くことはできなかった。若干悔しいが、だが仕方がない。


 日曜日の夜に旅行から帰ってきて、翌日を迎え、大学へと行きおやつ時の時間に授業が終わった後、すぐさまお預けになっていたケーキを食べにあのケーキ屋へと向かった。


 おやつ時を少し過ぎたあたりの時間帯。ショーケースの前には客が居たが、一組だけだった。見ると男性三人組でしきりにあの店員に話しかけているようだった。店員は困ったそぶりを見せることなく男性三人組をあしらっている。三人組の後ろに立ち、順番待ちをしようとしたところで店員が俺の存在に気付いた。


「いらっしゃいませー」と俺に言ったあと「申し訳ございませんが他のお客様がいらっしゃいましたので」と男性三人組をショーケースから引きはがす。三人組は「ちぇ」と言いながら俺を睨み舌打ちをして客席へと向かっていった。柄が悪い。そんなに店員さんとおしゃべりしたいのか?俺がそのおしゃべりの邪魔をしたとでも思ってるのか?彼らから逆恨みされてるかもしれない。


 だがそんなことはどうでもいい。


 金曜日にお預けになったケーキだ。あのイチゴのショートケーキを食わせろ!


「いつものですね?」


 注文する前に店員に言われてしまった。


「あ、はい。いつものです」


 呆けたように言うと店員はくすくすと笑いながら「1040円です」と言う。慌てて財布を取り出し、ちょうど1040円あったのでそれを渡した。


「ちょうどお預かりいたします。しばらくお待ちください」


 彼女は笑みを浮かべながら俺の注文の用意をする。用意の途中「先日はいらっしゃりませんでしたね?」と話しかけられた。


「先日って三日前の金曜日?」


「ええ。いつも金曜日にいらっしゃる印象でしたので」


「ああ。用事が入っててこっちまで足伸ばせなかったから」


「そうでしたか」と彼女が言う頃にはケーキの準備が済んでいたので、今度は紅茶をとりに厨房へと消えた。暫くすると湯気をたたせたカップを運んでくる。


「はい、どうぞ。ごゆっくり召し上がれ」


 満面の笑みで渡してくれたので「ありがとう」と初めてお礼を言って受取った。


 客席に向かえばさっきの男性客三人組の他に老夫婦一組が談笑していた。男性客三人組は俺を睨みつけていたが、俺としては本当にどうでもよかったので気にせず空いている席に座る。そしてフォークを手に取り、ショートケーキを口の中へと放り込んだ。


「ああ、やっぱりショートケーキだ」とよくよく考えてみれば意味の取れない言葉を漏らしていた。 きっと幸せそうな顔をしていることだろう。自分でも満面の笑みを浮かべているのが分かる。その様子を見た男性客は不気味に思ったのか、俺を睨むのをやめていた。


          ※          ※


 数日経って金曜日を迎えた。月曜日に行ったばかりだけれども、あれは金曜日に行けなかった分の振り替えであって週に一度の自分へのご褒美をやめる気はないわけだから当然あのケーキ屋に足を赴かせた。店に入ればショーケースの前には客がおらず、いつもの店員が笑顔で「いらっしゃいませー」と声をかけた。


「1040円になります」


 まだ注文してないのにお会計を先にされてしまった。思わず吹き出してしまう。店員もくすくすと笑い「いつものでいいですよね?」と尋ねてきた。「ああ。ショートケーキと紅茶ね」と応じながら1100円を取り出す。店員はケーキの準備を済ませ、俺が取り出した1100円を受け取って60円のお釣りを用意した。


「これから紅茶を持ってくるので待っててくださいね」


 コクリと頷き、紅茶が用意されるのを待つ。


 しばらくして紅茶が現れ、ケーキと一緒にトレーの上に乗せられた。


「ごゆっくり召し上がれ」


「ありがとう」


 客席に向かい、空いている席に座り、腰を落ち着かせる。


 どうやらあの店員はユーモアにあふれているらしい。もう何度来たか忘れてしまったが、いくら常連だからと言ってまさか開口一番勘定を始めるとは思わなかった。もしかすると他の常連客にも同じことをしているのかもしれない。だから人気があるのだろう。風間と言いこの間の三人組と言い、ナンパしてくる輩が他にも沢山いるのかもしれない。。


 だがそんなことはどうでもいい。


 彼女は彼女。俺は俺。彼女は仕事でこのケーキ屋に居るかもしれないが、俺はこのケーキを食べにこのケーキ屋に居る。たまたま一緒の店に居るだけでお互いの目的は全く違う。気にする理由などどこにもない。俺が気にしているのは目の前にあるこのイチゴのショートケーキなのだ!


 そして意気揚々と俺はショートケーキを食し始めた。


          ※          ※


 また一週間が過ぎた。もう七月に入り、期末試験の話で学校中が盛り上がり始めていた。珍しく金曜日にバイトを入れなかった淳と試験対策の情報交換のために、俺の授業が終わってから落ち合って、45分かけてケーキ屋へと向かった。ケーキ屋に入るとショーケースには見知らぬおばさんが立っていた。あの女性店員の姿は見えない。


 彼女は大学生だから恐らくバイトと考えていいはずだ。突然やめることだってある。或いは大学生だからこれから試験の準備をしなくてはならずバイトを休ませてもらっているのかもしれない。或いは都合がつかずシフトが変わったのかもしれない。


 だがそんなことはどうでもいい。


 俺は淳と共にショーケースの前に立った。


「イチゴのショートケーキ一つと紅茶」


「同じく」


「えーっと。会計まとめて?」


 一緒に注文したものだから一括会計と勘違いされてしまった。


「まあ、面倒だからまとめて払うか。(いつき)。あとで払ってくれ」


「あいよー」


 そのやりとりを確認したおばさんは「2080円ね」と言う。淳が2100円を支払って20円のお釣りを受け取った。


「毎度。ちょっと待っててね」


 おばさんは俺たちのショートケーキ二つをまとめて用意した後、厨房へと消えていき、暫くしてから紅茶を2杯用意して現れた。


「熱いから気をつけなさい」


「はーい」と二人で返事をしてトレーを受け取る。客席に向かうと今日は運よく他に客がいなかったみたいで、四人席を丸々占拠した。


「よし。さっさと味わって定期試験対策すっべ」


「うーす」


 のんびりじっくりケーキを味わいたかったが、流石に単位と引き換えに時間を費やす勇気はなかった。名残惜し気にケーキの甘さと美味しさを感じながら、さっさとお皿を空にして、テーブルの隅にトレーをどけてノートや教科書を開く。


「まず千田の計量」


「パネルデータの記述だけって言ってた」


「湯川の概論は?」


「山川が四年分の過去問持ってたぞ?見た感じ近代の学者と現代の学者一人ずつ指定してそれぞれ学説の要約述べろだって」


「佐々木の質的調査論ってどうなってる?試験範囲の情報まったく出てこないんだけど」


「そりゃそうだろ。あいつ試験やんねえもん。出席オンリーだから」


そんな会話を淡々と繰り返す。あの科目この科目と話題が出るたびに鞄の中から教科書が現れて、お互いに試験範囲を確認していく。


 そして気づけば七時になっていた。


「お客さん、熱心なのはいいけどそろそろ店じまいだよ」


 おばさんが客席に入ってきて俺たちに帰るように促した。俺たちは素直に「はーい」と返事をしてすぐに片づけに入る。


「あんたたち大学生?」とおばさんに聞かれコクリと頷くと「もうすぐ期末試験とかかね?」と聞かれたのでもう一度コクリと頷いた。するとおばさんは深く溜息を吐いて「そろそろお勉強お断りってポスター壁に貼ろうかしらね」と呟いた。俺と淳は思わず顔を見合わせてしまう。


「ああ、悪いね。あんたらを責めてるわけじゃないんだ。ただ近所に住む高校生とか大学生が勉強しに客席を乗っ取っちゃうことがあって、それで他の常連さんの席がなくなっちゃってね。迷惑してる時があるんだよ。お宅らもできれば勉強であまり長いしてほしくないんだけど……、いいかね?」


 そういうことなら仕方がない。確かにここはケーキ屋であって自習室じゃない。ケーキを食べる場所であって勉強する場所じゃない。おばさんが迷惑してるって言うのなら、素直に言うことを聞こう。そう思い淳と共に頷きあって「御馳走様」とトレーをおばさんに渡し店の出入り口に身体を向けた。


 と突然扉が開いた。


「ただいまー。もう店じまいだよね、片付け手伝う?」


 あの女性の店員だった。


 女性は俺たちの姿を見て「あ」と声を漏らした。


「きょ、今日もいらしてたんですね」とあたふたとして言うので「週に一度の自分へのご褒美だから」と言った。面白いのはそれを言ったのが俺だけでなく、淳もだと言うことで、思わず互いに顔を見合わせた。


「なんだ?樹も週一で来てたのか?」


「ああ。金曜日に。そっちは?」


「土曜日。サブゼミで必ずこっちいるから帰りに寄ってた」


 だから最初に俺を誘ったときは土曜日だったのかと納得した。


「いつもご利用ありがとうございます」と照れた風に彼女が言う。するとおばさんが「常連さんなのかい?」と彼女に尋ねた。


「うん。右の人が毎週土曜日に、左の人が毎週金曜日に来てくれてるよ?」


「そうだったかい。いつも食べに来てくれてありがとね」


 おばさんの若干感情の籠ってない声に俺たち二人は同時に「ここのケーキ美味(うま)いんで」と言う。


「お世辞かい?それでも嬉しいよ」と言って厨房の奥へと消えてしまった。


「ちょっとお母さん!お客さんが素直に褒めてくれたんだから喜びなよ!」


 厨房へと消えるおばさんに慌てた様子で厨房を覗き込みながら女性店員が苦言を呈していた。会話を聞く限り、どうやら彼女はこの店の娘さんらしかった。


「ごめんなさい。うちの店、時々変なお客さんが来ることもあって、それでちょっとお母さんも擦れちゃって」


 娘さんは手を合わせて頭を下げる。


「変な客って?」と淳が尋ねると娘さんは少し言いにくそうに「ときどき私に絡んでくる人がいるから」と言った。


「なるほど。風間みたいなやつか」と思わず声を漏らしてしまう。


「なんだ?風間、なんかやらかしたのか?」


「この間連れてきてやったんだけど、店に来るなり早速その子にナンパしてた」


 すると淳は鼻を鳴らしながら「ケーキの味も分からんガキはだめだねー」と半目になって呟いた。それには俺も同感だ。


「とりあえず、店出よう。店じまいみたいだし」


「だな。ごちそーさん」


「御馳走様」


「はい!ありがとうございました!またいらしてくださいね!」


 ああやっていつでも笑顔を見せるからきっと一部の男どもから人気が集まるんだろうなと思ってしまった。


          ※          ※


 翌週の金曜日。一人でケーキ屋に向かった。店に入ると今日も娘さんはおらずおばさんが立っていた。


「ん?あんたか。今日は娘は居ないよ」


 恐らく俺のことを娘さんのナンパ目的の客だとでも思ったのだろうか?さすがにそれは風評被害だと思う。


 だがそんなことはどうでもいい。


「イチゴのショートケーキ一つと紅茶ください」


「あいよ。1040円ね」


 お金を渡し、お釣りとケーキと紅茶を受け取る。別にあの娘さんでなくったって目的のものは手に入るのだ。こっちとしては娘さんが居ようが居まいが構わない。肝心なのはケーキが残ってるかどうかなのだから。


 そしていつものようにケーキを食べる。食べて、味わって、幸せな気分になってから、トレーを返しに行った。


「ありゃ?今日はもう帰るのかい?」


「先週長居しすぎただけですよ」


「今日も娘は七時に帰ってくると思うけど、待たないの?」


「え?なんで待たないといけないんですか?」


 キョトンとおばさんの顔を見る。おばさんも俺の顔をまじまじと見ていた。


 暫く何とも言えない沈黙がショーケースの前を支配する。


 最初に口を開いたのはおばさんで「こっちの話。聞かなかったことにしておくれ」と言われた。


「そうすか。じゃ、ごちそうさまー」


「はいよ。またいらっしゃい」


          ※          ※


 そして翌週。さすがに試験期間が目前となってきたため俺も淳もケーキ屋に寄り道する余裕がなくなりつつあった。


「くそ。あのショートケーキが食べたいのに…………」


「仕方ないさ。今日は地元の喫茶店に行こう」


 渋々帰路に就き家の近くの喫茶店に入る。例のケーキ屋に行く前はよくこの店に淳と一緒に来ていた。ケーキも目当てだが、テーブルを占拠しての試験対策相談会が今日のメインだ。さっさと席に座って本題に入ろう。そう思って店に入ると、店の入り口付近に見知った顔が一人いた。


「あ」


「あ」


「あ」


 その人と俺と淳が同時に声漏らしてしまう。


「えーっと……。今日はこちらのお店に浮気ですか?」


 あの娘さんが恥ずかしさを誤魔化すように俺たちをちゃかした。


「もうすぐ試験で、ちょっと寄り道する余裕なかったから。俺たちの家この近くなんだよ」


 淳が彼女にそう説明すると、娘さんは「そうだったんですか」と頷く。


 そうしているところでここの喫茶店の店員が来て「ご一緒の席に座られますか?」と尋ねた。俺と淳は互いに顔を合わせてからチラリと娘さんを見る。すると娘さんは「私は別に構いませんよ」と答えた。


「じゃ、一緒にすっか」


「だな」


 そう言って、四人掛けのテーブルの彼女の向かい側の席に俺たち二人が座った。そう。彼女はちゃっかり四人掛けのテーブルを一人で独占していたのだ。見れば机の上にノートが散在している。


「そっちも期末試験の勉強?」と俺が尋ねると「はい」と返事がきた。淳が「喫茶店で勉強するタイプ?」と尋ねると「いえ。本当は集中できないんですけど」と返ってくる。


「本当は家の方がいいんですけど、家に居ちゃうとお店のお手伝いとか自然とやることになっちゃうし、そういう時に一部のお客さんから声を掛けられるのが少ししんどいので、この近くのお店とかで勉強してから帰ることにしてるんです」


 うまく(かわ)していた彼女であるのだけれども内心ではやはりあの手のナンパは面倒くさいみたいだ。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


 店員が現れて俺たちの注文を聞いてきた。


「ショートケーキと紅茶」


「俺も同じの」


「畏まりました」と言って店員は厨房へと姿を消した。


「お二人はいつもショートケーキを頼まれますよね?ショートケーキが一番お好きなんですか?」


 娘さんに尋ねられて二人そろって首を縦に振った。


「ケーキの中で一番シンプルで余計な味付けをしてないから食べやすいんだよな」


「そのうえで本当においしいものってシンプルでもおいしいしな」


 俺と淳が交互に言うと「私はショートケーキの生クリームが苦手なんですよね」と返ってくる。


「あの甘ったるいのが苦手で…………」


「ん?コンビニケーキならわかるけど、君んちのケーキ全然甘ったるくないでしょ?」


 思わずツッコんでしまった。すると彼女は苦笑いを浮かべながら「あれでも駄目でした」と言う。


「どう手を加えても生クリームがやっぱりダメみたいなんですよね。だから、私はいつもチョコレートケーキです」


 そう言ってテーブルの隅っこに放置されていたチョコレートケーキの乗った皿を手に取り、俺たちに見せた。


「俺たちと好みが真逆だな」


「そういう人もいるってことだろ」


 ちなみに俺たち二人は逆にチョコレートケーキは苦手。そもそもチョコ自体が好きじゃない。だからバレンタインでチョコもらえなくても悔しくないもんねとよく仲間内(なかまうち)で自虐している。


「ショートケーキになります」


 再び店員が現れて俺と淳の前にケーキを並べる。「紅茶の方はもうしばらくお待ちください」と言って立ち去り、数分後にティーポットとティーカップを二つずつ持って現れた。それらが俺たちのテーブルの前に置かれると「こちらが伝票になります」と伝票も置いて行かれ、店員はレジの方へと移動した。


「じゃ、食べるか」


 カップに紅茶を注ぎ、飲み物の準備を済ませてからショートケーキにフォークを刺す。ここのお店のケーキは恐らく三ヶ月ぶりくらいだろう。パクリと口の中に入れる。美味しい。美味しいんだけれども、やっぱりあのケーキ屋のショートケーキのほうが自分には好みかなと感じた。横を見ると淳も同じことを思っていたのか若干物足りなさそうな顔をする。三ヶ月前まではここのお店のケーキが一、二を争うほどおいしいとか言っていたのに、もっとおいしいものを見つけると前言撤回される。本当に随分と舌が贅沢になったものだ。


 二人してさっさと食べ終え、それから机の上にノートを広げた。その様子を娘さんは上目遣いでちらちらと覗いている。が、俺たちは特にそれを気にすることなく、さっそく試験対策を始める。


「山居の微積分は捨てることにした」


「諦めるの早いな」と淳がツッコミを入れる。


「いや、だって無理だ。単に微分の計算するだけだったらまだ何とかなったけど、あいつの授業計算出てこないんだぜ?ずっとイプシロンデルタ論法がどうのこうのばっかり言ってるんだぜ?山の張りようがねえよ」


「マジか…………」


 バイトの都合で授業に出ていない淳は俺の情報頼みだったのだが、出ている俺がこのざまなので顔が引き攣っている。


「よし、山居は捨てよう。来期に亜美(つぐみ)の生物学で教養枠の単位を埋めよう」


「だな」


 淳の提案に俺は賛同した。


「で、何やる?」との俺の問いに「俺は山居の情報を聞くためだけに今日時間空けてたからなぁ」と(うな)るように淳が応える。


「他の過去問は手に入れてるんだろ?」


「ああ。昨日渡したので全部だぞ?」


「で、山居の過去問だけは手に入らなかったんだろ?」


「ああ。誰も持ってなかった。受講者が少ないうえに問題用紙と解答用紙が一緒になってる形式らしいから」


 淳の質問に一個一個答えると、彼は(しま)いには「こんなさっさと終わるんだったら寄り道しときゃ良かった」と目の前にいる娘さんの実家であるケーキ屋に寄れなかったことを嘆いていた。


「やべえ。急にやることなくなったぞ?どうしよう……」


 二人して唸りあっていると娘さんから「あの」と声がかかる。


「お二人は何学部ですか?」


「俺たちは文学部だぞ?文学部の社会学科」


「社会学……。つまり文系の方ですか?」


「まあ……、一応?」


 アンケート調査とか統計分析とかやっているので理系の要素もあるっちゃあるのだけれども、まあ文系と考えて問題ないだろうとそう答えた。すると娘さんは「もしよろしければ文系の教養科目について教えてくれませんか?」とお願いしてきた。


「何履修してるの?」と淳が尋ねる。


「人文は心理学と哲学。社会科学は法学概論とミクロ経済学です。ミクロ経済学は数学なんで何とかなりそうですけど、他が全然で分からなくて…………」


 その話を聞いただけで、彼女が理工系の学部の人なのだと察した。


「心理学と哲学だったらうちの学部の十八番(おはこ)だからな。君理系の学部でしょ?さすがに理系学部でえげつない問題は出されないと思うから、授業でやった範囲さえ教えてくれれば多分俺たちで山張れるよ?」と淳がいい「ただ法学とかは教えられる自信はない」と俺が言うと再び淳が口を開いて「俺も」と続けた。娘さんは「そうでしたか」とほんの少し残念そうな顔をする。どうやら法学の試験が結構厳しいみたいだ。が、教えられないものは教えられない。潔く諦めてもらうしかない。


 向こうもそれを理解しているからなのか気を取り直して「心理学の授業範囲はここからここまででした」と教科書を見せてくれた。それから俺たち二人は娘さんの試験対策の手伝いをしてあげた。


 そして時間が過ぎ、気が付けば夜の八時を回っていた。ここの喫茶店はまだ閉店時間ではないけれども、彼女の帰宅の時間が遅くなってしまう。今からあのケーキ屋に戻っては家に着くのが9時とか10時とかになってしまうに違いない。


「もう8時だよ」と注意を飛ばすと娘さんは慌ててスマートフォンを取り出した。


「お母さんからメールいっぱい来てる……」


 娘さんは慌ててメールの返信をしているようでフリック入力する指の動きが目に入った。


「じゃ、帰るか」と淳が言うのでテーブルの勘定を手に取る。


「そういえば君何年生?」と娘さんに尋ねると「一年生です」と返ってきた。


「お二人は?」


「俺らは二年。つまり君は後輩か……」


 自然と淳と顔を合わせた。そして何の前触れもなく、彼女の伝票も一緒に手に取る。その様子に娘さんはぽかんとしていたが、俺が彼女の伝票と一緒に自分たちの伝票をレジに渡し「一緒で」と言うと慌てて「結構です」と止めに入った。


「気にすんな。年下なんだから。淳。あとで半分な?」


「あいよ」


 娘さんは何度も「自分の分は自分で出します」と主張したけれども俺たちは聞かずにそのまま店を出た。


「は、払いますから!」


「君はお勘定の心配よりも家で待ってるお母さんに怒られないかどうかの心配をした方がいいと思うの」と淳。


「ここで払ってもらったってお母さんに知られたらもっと怒られます!」


「だったら黙ってればいい」と俺。


 淳は財布からお金を出し、ちょうど勘定の半分を俺に渡した。俺はさっさと受け取り、さっさと財布を仕舞う。


「こっから遠いんだからさっさと帰んな」


「俺たちも帰るから」


 駅に背を向けて俺たちは自分たちの家へと返る。娘さんはあたふたとしながら大きな声で俺たちに「ありがとうございました」と言った。それはいつもケーキ屋で聞いているものと同じ声色(こわいろ)だった。


「親御さんに駅まで迎えに来てもらえよ」


 最後に一言それだけ言って俺たちは帰路に就くサラリーマンたちの影の中へと消えていった。


          ※          ※


 試験期間に入った。一週目には語学の試験と少人数クラスの科目の試験が、二週目にはそれ以外の大人数講義の試験が行われる。授業の復習と山張りと過去問演習に時間を追われ、あのケーキ屋に寄り道するだなんて発想は持てなかった。俺も淳も毎日のように試験対策と試験に追われていて、試験が被らなければ顔を合わせることもなく、気が付けば試験最終日を迎え、最後の試験を終えた。


「やっと終わった…………」


 お互い徹夜とかもしていたのでかなり疲れた表情を浮かべている。


「とりあえず山居以外は何とかなる」


「だな。で、どうする?あそこ行くか?」


「行こう多分三週間ぶりになるんじゃないか?」


 言葉は少ないけれども、互いにあのケーキ屋に行こうとの意見が一致し、同時に立ち上がる。


 大学を出て電車で30分。最寄り駅についてから徒歩15分かけてケーキ屋に到着した。


 店の扉を開けると「いらっしゃいませー」と若い女の子の声が聞こえる。


「あ、お久しぶりです!」


 あの娘さんだった。


「あれ?もう店番に戻ったの?試験終わったの?」と淳が尋ねると「一昨日で全部終わりました」と返ってきた。


「心理学と哲学はお二人のおっしゃったところが試験に出されたので何とか解けました。本当にありがとうございます」


 ショーケース越しに頭を丁寧に下げる。


「先々週は勉強のお手伝いしてもらった上に、お茶も奢ってもらっちゃったので、何かお返しを……」


「いらん」


「いらん」


 彼女が言い終える前に二人して自然と言葉を吐いた。別にお礼が欲しくて手伝ったわけでも奢ったわけでもないしな。


 俺たちの返答の様子を見て娘さんは目を白黒させたけれどもそれからくすくすと笑って「息ぴったりですね」言う。まあ伊達に同じケーキ趣味をしてないのだ。勝手に息が合っちゃうのだ。


 だがそんなことはどうでもいい。


 俺たちがこの店に来た理由はただ一つ。


 俺も淳も互いに眼を併せてコクリと頷き彼女の前に立った。


「「イチゴのショートケーキ一つと紅茶をください」」

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