物集めの闇と光 「骨董品は秘蔵せよ」、って、見せちゃあいけないの? 骨董道楽心得帖 番外編
さて、、
いかにも、気のよさそうなおじいちゃんが時々鑑定団に登場しますね。
収集歴50年だという。
テレビ画面には自宅の映像が映し出されて、押し入れをあけると、、
そこにはぎっしりと、それらしい桐箱が詰め込まれています。
司会者が「なんとかさん、これってしまいっぱなしですか?」
と、、問うと、
「普段はしまいっぱなしで見たことはない」という。
「えー?、飾って、鑑賞すればいいじゃないですか?」と司会者が言うと。
「いやあ、みたことないですね」と答える。
と、、、
実は多くのコレクターが、そうなのです。
理由は、、そもそも「コレクター魂」というのは、
珍品・逸品・傑作・名品を、猟犬のように?掘り出して
それを獲得(買う)することが最高の瞬間であり、それがなんというか、
コレクターの至福の瞬間だからなのです。
猟犬が死んだ(捕まえた)獲物には、もうほとんど、関心を示さないのと同様なのです。
獲得してしまえばもうそれでいいのです。
あとは大事にしまっておけばもう終わりです。
鑑賞したり
飾ったり誰かに見せたりというのは
いわゆる「コレクター魂」にはありえないのです。
第一、、飾れば、、こわれる危険性もあるし、さびるし、、退色するし、、色あせるし、
価値が下がるのです。、
特に日本画とか浮世絵はいけません。かけっぱなしにすると、すぐ色あせてしまいます。
骨董品にとってはいいことは何もありません。大事にしまっておくのが最良なのです。
じゃあ、誰かに見せて自慢すればいいじゃないか?
これもダメですね。
やたらと、誰かに見せると「目垢が付く」という骨董用語がありますが、、
その骨董品の神秘性が?失われるのです。
なんというか、「深窓の令嬢」らしさが保たれなくなるのです。
こういう秘蔵された骨董品のことをを「ウブイ」(初荷・ウブニ)といいます、
だから名品になればなるほど、決してうかうかと他人になんか見せてはいけないものなのですね。
正に「秘蔵」しておくべきものです。
まあ「秘蔵」とは別の言葉でいえば「死蔵」でもあるわけですけどね。
こうして骨董品は誰にも知られずに、どっかの蔵の奥に
あるいはどっかの押し入れの奥にしまい込まれて眠り続けるのです。
でも、、それでよいのです。
というか、それが骨董品なのです。
あと、、例えば10億円の骨董品を持っているとしてそれをあなたは公開して自慢できますか?
危険ですよね?盗難の危険性がありますよね。強盗にでも押し入られて殺されるかもしれませんよね?
自慢なんかできないでしょ?
誰にも言わず秘蔵するのが無難でしょ?
というわけで、、、
そもそもが、骨董品って見たり飾ったり自慢したりするものじゃあないんです。
「骨董品とはしまい込んで決して人には見せてはいけないもの」だったんです。
「え?、、そんな馬鹿な?」
とおっしゃるそこのあなた、
あなたには骨董の世界の深い闇(深い真実?)がお分かりにはならないのですね。
私も。いろいろと骨董品を所蔵していますが
しまいっぱなしで見たことなんてほとんどありませんね。
じゃあ、なんでそんなに次から次に、買い集めるんだよ。という素朴な疑問。
そうですよね。買っても見もせずにただしまっておくだけに大金つぎ込んで、、
馬鹿じゃないの?
って、ハナシですよね。
まあでもそれがコレクター魂、、というしかないでしょう。
やたら出して飾っても、
骨董なんて全く無縁の家族は「なーにこの汚い縁の欠けた壷」としか言わないしね。
実はこれは「朝倉山椒壷」といって400年前の壷で非常に珍しいもので、
時価500万円するものだ。、などと説明するのも面倒くさいしね。
それにそんなこと言えば
「え?あなた500万円も払ったの?」などと突っ込まれるから、
藪蛇ですよね。
まあそういうわけで、
骨董品というのは
密かに、しまっておけばそれでよいものなのです。
でも、
その後、本人が死んだらどうなるのでしょう?
家族も知らないのですよ。
本人が死んで押し入れ開けたら、なんか汚い桐箱がたくさん出てきた、
ということが結構あるようですね、
で、家族はわかりませんから、、「なあに、この汚い壷」とか言って、
粗大ごみの日に出しておしまい、、ということも実際あるようです。
こうなると骨董収集の究極の闇(疑問)ですよね?
集めるのが無意味じゃないのかというね。
集めても見もしないし、飾りもしないし、自慢もできないで、。
ただただ死蔵するだけ。。
これって闇が深くないですか?
そうしてある日ご当人が死ねば、、
家族はわからないので、、無価値と思って捨ててしまう、
これって一体、収集とは、、無意味ですよね?
集める意味がどこにあるの?って、ハナシでしょう。
骨董品ではないですが例えば今はやりの
マニア系なども、その収集品は、遺品となった場合は困りものですよね?
フィギアとか
ソフビとか
おもちゃ系とか
紙のもの系とか
レアもの漫画本とか
そういうのって骨董品以上に、狭い分野、いわゆるカルト系ですから、
ほしい人は金いくら払っても欲しいし
興味ない人はタダでもいらないって世界ですからね。
まあこういうのは遺族がわからずに、粗大ごみ置き場行き、、という公算が高いですね。
もしかしたらそんな中には、、
足塚不二雄の単行本 「UTOPIA 最後の世界大戦」 時価300万円 とか
手塚治虫の 「新宝島」時価200万円 とか
のような高価なレアもの漫画本もあったりして?
マニアのそういう高価値を知らないって。。
ある意味怖い、、というかむなしい?ですよね?
実際、こんな話もあります。、、ある人が粗大ごみの日にたまたまそこを通りかかったら
そこに某有名画家の絵画が額縁のまま捨てられていて、
その人は審美眼があったのでそーっと、それを拾って帰ってきて
画廊に持ち込んで、なんと300万円で買い取ってもらった、、という
ウソのような本当の話もあります。
高級住宅街の粗大ごみの日は掘り出し物が捨てられているかも?
これって案外よくあるらしいですよ。
さて、、
そもそも骨董品には定価というものがありません。
誰が見ても明確にわかるという定価がないのです。
コンビニの値札のついた商品とは別世界なのです。
骨董屋は客の顔を見て値段をいう、、ということわざ?もあるくらいです。
さらに真贋の問題もあります、。
本物なら500万、偽物だと300円。の世界です。
でも?誰が鑑定するのか?
その鑑定は信用できるのか?
鑑定書がついててもそれがニセということも多いのです。
有名鑑定家の鑑定書は特にニセが多いです。
たとえば、、桂又三郎のニセの鑑定書のついた桐箱は沢山、出回っていますね。
ここらへんも骨董の深い闇の世界でしょうね。
先ほどの朝倉山椒壷にしても。実は真っ赤なにせものという場合もあるでしょう。
にせものならまあせいぜい、、5000円でしょうか?
鑑定眼がなければいくら名品の壷でも「ただの縁の欠けて汚い壷」でしかありませんね。
にせものと本物、
このせめぎあいは、例えばレンブラントとかの有名画家でもいまだに決着のつかない絵画があることでもその闇の深さを痛感しますよね。
まして一般市場に流通してる骨董品などは、真贋のつかないものだらけと断言しても過言ではないでしょう。
ところで真贋以前の問題として、
分からない人には全くわからないというのが骨董・古美術の世界です。
実際、今、国宝に指定されている平安期の大壷というのがあるんですが、
これはとある地方の田舎の竹やぶに半分埋もれて長年、放置されていたものです。
一般人が誰もこの壷を見ても「ああ汚い壷が竹やぶに埋もれてるなあ」としか思わなかったということです。そうして何百年も放置され続けてきたのです。
このように骨董品とは、わからない人が見ても全く価値はわからないのです。
そうですね、
例えば金の延べ棒が竹やぶに埋まっていたら馬鹿でもわかりますよね。
1万円札がぎっしり詰まったカバンが竹やぶに落ちてたたらどんな馬鹿でもわかるでしょう。
でも?古い壷が竹やぶに埋もれていてもそこらの人にはわからないのです。
これはさる研究家が偶然発見して「これはすごい」ということで鑑定して
今は国宝です。
ということで、、売れば1億円以上はするでしょう。
1億円が竹やぶに埋もれていたなんて、、
だからコレクターというのはこういう夢を追いかけて
今日もまた収集に熱を上げるんですね。
俺もそういう掘り出し物を見つけたいなあ、、という。
パリの蚤の市で偶然買った古ぼけた絵がゴッホのオランダ時代の絵画だったという話もあります。
その人、1000円くらいで買ったそうです。今では何千万円?
でも?実際そんなうまいハナシがどこにでも転がってるわけもなくて
結局は
にせものばかりを高価な値段でつかまされて
はいオシマイ、、ってのが
まあ落ちですけどね。
さて
冒頭の気のいいおじいちゃんに戻ります。
このおじいちゃんが持ってきたのがなんと
清朝期の官窯の粉彩磁器の優品です。
骨董屋が「これは中国の名品だからぜひお持ちなさい」といって
「本当は1000万はくだらないものだが
今回は特別に200万円で結構です」という。
気のいいおじいちゃん退職金をはたいてかったそうである。
だが、、
私がテレビ画面から見ただけでも,磁胎の発色の悪さ、そして気になる小さな黒点など、
これが官窯であるはずがないものなんです。
明らかににせもの、
そもそも官窯とは中国皇帝の直々の窯ですよ。
作品は皇帝に納めるんですよ。
こんな黒い斑点などの欠点がある品を納めたら、陶工の首が飛ぶんですよ。
ありえないんですよ。こんな作品が官窯であるはずが。
案の定、鑑定結果は
5000円、偽物、
まあこういう気のいいお爺さんコレクターはそもそも勉強しないし、
もう、、ただ、、言うなりに買わされるだけですからこんないいお客はいませんね?
こういうのを「骨董音痴」「骨董メクラ」というのです。
こういう人は結局、
治りませんね。
いくら言ってもダメであり、
まあ、こういう人はやめた方がいいんですが
こういうやつに限って変な自信があったりして
もう手が付けられないんですよね。
いくら騙されても買うことがやめられない、
まあいわゆる骨董中毒
骨董依存症?
まあ、こういう人は、一生かかって大金つぎ込んで、にせものの山を築くしかない運命なのでしょうね?
まあそれもよしか?
別に刑法に触れるわけでもないし、
まあとことんやれば本人も気が済むんですからね。
でも家族はいい迷惑でしょうけどね。
まあ大酒呑んでアル中になるよりはマシか?
あるいは、、
女作って、切ったはったの刃傷沙汰よりはマシか?
そうして無事に?この人が生涯を終えれば
遺族が
粗大ごみの日にそれまでのガラクタ?収集品は
ちゃんと捨ててくれるでしょうから?
なあんにも
心配なんかいらないんですよね?
むなしいような
それでも
なんか
すっきりしたような
これが大方のそこらにいるような
一般人のコレテクターの末路なんでしょうね。
大金持ちの逸品ぞろいのコレクションなら死後は
美術館ができたりしますが、、
まあそこらのおじさんが集めたような
ガラクタに毛の生えたような程度の3級骨董品では
まあ
捨てられてオシマイ
というのが、ある意味、順当な末路?なのかもしれませんよね。
さて だいぶ、
本筋から外れてあらぬ方まで来てしまったので私のお話もここららで
おしまいとしましょうかね。