需要と供給
ある日の夜更け。
その女性は足元を走る電車を見ながら、無表情にただ涙を流していた。
声をだすでもなく、顔を歪めるでもなく、この世をはかなむような、そのようなリアクションなど一切ないまま、ただ涙を流しつつここまで約十五分、こうしている。
そうしながら彼女の上司が乗っているはずの、オレンジ色に発光する文字で『快速』と書かれた電車が来るのを待っていた。
「あの。お取り込み中、すいません」
彼女が振り返ると顔を覆うフードの付いたマントに巨大なカマを持った男の姿。誰がどう見ても死に神。
仮装の時期ではないし、そもそもが彼女が今立っているこの街は、そのような若者向けのイベントには無縁の住宅地である。
「――いえ、見ての通り。この付近を管轄している死に神で間違い無いですよ、僕は。魂の回収をしている正規の業者です。……最近は不正規の連中も多くって困ってるんですよ、いやマジで」
そう言って死に神がカマをくるん、と一振りするとどうしたものか巨大な首狩り鎌は彼女の前から姿を消す。そうしておいてフードを後ろへとずらす。
「貴女にしか見えていないから、現状を端から見ると、独り言言ってる体になりますかね」
特に恐ろしげな老人でも、骸骨でもなく、フードの下からはごく普通の青年の顔が現れる。
「自殺をお考えだった、そうですね? その辺はプロですから間違えませんよ。――まぁその通り。死に神ですからね、魂を狩るのが仕事ではあるのですが。ただの自殺者では今月ちょっとノルマが足りなくて。……それに貴女、死ぬのを躊躇している。そういう魂は最近、数が出るもんだから買いたたかれるんですよ」
マントを脱ぐと中は地味なスーツにネクタイ。既に来て居たはずのマントはない。
「これで他の方にも見える様になった。……お茶でもごちそうしましょう。あそこのファミレスで良いですか?」
死に神を名乗る青年は、ドリンクバーから彼女の分と二つ。ホットコーヒーを持って席へと戻る。
「まぁ、貴女に死んで頂くのは、僕としてはむしろ問題がないんですけど。但し、純粋に思い詰めて死んだ、と言うのでも無いと。そういう半端な感じの魂ってのは最近多くってですねぇ、正直。値段がつかないんですよ」
死に神は持ってきたミルクを自分のコーヒーへと注ぐ。
「――良い値段のつく魂ですか? ふむ。……殺されたヤツは基本的に高値で取引されます。一番良いのは全く意図せずに突然殺された、みたいな感じのヤツですかね。これだと会社通さないで、マニアックなコレクターに流せればかなり儲かりますけど」
――あぁ、経費でおちるんで気にしないでどうぞ。僕が払うわけじゃないし。死に神は彼女にもコーヒーを勧める。
「でも、何が何だか知らずに死ぬ。と言うのはシチュエーションとしては意外と難しい。逆恨み、なんて言いますけれど。どうあろうと恨まれてるのは事実なわけで、今の世の中だと、それさえなんとなくわかっちゃいますからね」
ボタンを押してウェイトレスにフライドポテトを注文した死に神は、彼女に向き直る。
「ん? ――まぁおっしゃるとおり、自殺も自分を殺す、と言う事でカテゴリとしては殺された扱いなんですけどね。僕の管轄だけでも今月もう7個出てるんです。正直、余ってるわけなんですよ。今月は老衰より多いくらいで、営業も困ってるんですよね。半端な自殺者って言うんじゃ、捌けなくってねぇ」
はぁ、死に神はため息を一つ。
「だから自分を殺すくらいなら、他人を殺しませんか?」
――そうですねぇ。先ずは恨んでる相手とその家族、あとは会社の上層部二,三人、かなぁ。貴女でも捕まらずに簡単に殺せるような方法はレクチャーしますし、もちろん事後の事もありますから、苦しくない自殺方法もお教えしますよ。
死に神はごく普通のことのようにそう言うとコーヒーを飲み干す。
「当然、そこまでして貰えるなら、こっちもただで。とは言いません」
彼女とテーブルを挟んだ死に神は、ずいっ。と身体を乗り出してくる。
「人間で言うところの天国? そこの本局のお客様サービスセンターで係長やってる奴と同級生なんで、優先的に書類が回るように頼んでおきますよ。アイツが承認の判子つけば天国行きの可能性は、自殺だろうが犯罪者だろうが80%越えは確実。……どうです? 悪くないでしょ?」
「二級だけで十二個っすよ? もう営業所では保管出来ないんで支社に。――はい。良いですよ。じゃ、まだ間に合うから、最終の便で上物は課長んトコに送りますね。――え? 本社にも一級を三個? それってどう言う。……誰かコケたんすか? ――じゃ、来年本社に戻ったら次期部長っすね。――あははは、そん時は宜しく。僕も早く本社に呼んで下さいよ? ――あ、伝票番号はメールしときますから。――はい。では失礼します」
彼女が先日立っていた跨線橋に一人で立つ死に神。
足元には前面が真っ赤になった電車が止まり、パトカーや大型の車両が集まりつつあった。
死に神はマントの中にスマホをしまい込む。
「なんであそこまで本質的にガチな殺人鬼が、真面目に仕事をした上で、男女関係如きで世をはかなんで自殺しようとするかなぁ。……もっと自分に素直に生きれば良いのに」
――需要と供給のバランスが狂ってるよ、全く。彼はそう呟いて、マントのフードを被ると、姿がかき消えた。