2 待ちの間に大発見
子どもたちを見送った当日は、時折「ぴにゃあー!」とか「ふみゅうー!」といった甲高い声が響いてくる以外は、特に緊急を要するような出来事が起きることなく終わった。
ディーオの脳内に展開した〈地図〉に〈警戒〉による魔物を示す光点が浮かび上がることもあったが、向こうが様子を探りに来るだろうことは予測済みであった。
そのため、それ以上のことをしようとしない限りは原則放置するとニアと予め取り決めていたのだった。
基本的には待ちに徹した彼らの一日だったが、それは決して無駄に時間が過ぎたということではなかった。
予想していた通りに深層であること、そして『変異種化』しているであろう魔物たちがいるに相応しい珍品がいくつも発見できたのである。
「か、『神の慈悲』の作成に必要だとされている材料が揃っちゃった……」
呆然として呟いたニアの台詞に、さしものディーオも言葉をなくしてしまった。
『神の慈悲』とは肉体由来の様々な苦痛を取り除くことができる薬品である。いわゆる麻薬とは異なり常習性や依存性はなく、使用時に幸福感が押し寄せるということもない。
元々は末期の重病患者や手の施しようがない重症患者の最期を看取る際に、苦しまないようにと使用されてきたのだが、その効果から『回復魔法』の使い手を抱え込んでいる一部の宗教組織からは『悪魔の唾液』と呼ばれ、存在自体が否定されていた。
宗教組織から目の敵にされる理由は他にもある。処方がとてつもなく簡単なのだ。
素材となるそれぞれを粉末状にして、適正な配分で蒸留した水に混ぜ合わせる。たったこれだけなのである。
材料を無駄にすることをいとわないのであれば、薬学に関しての多少の知識と経験があれば誰にでも作れてしまうくらいの難易度でしかない。
更に悪いことは続くもので、肉体的苦痛を感じなくなるという点に着目したとある国の上層部が戦争に使用したことで、『神の慈悲』は危険性ばかりが広まっていくことになる。
様々な思惑が絡み合った結果、ホーリーグラスやリジェネツリーといった素材となる植物は次々と伐採撤去させられてしまい、ラカルフ大陸では人の住む地からは完全に姿を消してしまったのだった。
余談だが、ホーリーグラスは若葉と花びらが、リジェネツリーは樹皮と種が『神の慈悲』の材料として使用される。
樹皮はともかく――リジェネの名の通り再生力が高く、樹皮を剥いでも一日程度あれば元通りになっていた――他の素材は採取できる季節が異なっているはずなのだが、そこは迷宮の中ということなのか一度に全てを網羅することができていた。
「このまま持ち帰ったりなんかしたら、大騒ぎになるわよね?」
「間違いなくそうなるな……。下手をすれば他の国が攻め込むための体のいい口実にされてしまいそうだ」
『神の慈悲』が作られなくなってから既に久しい。
今では一部の研究機関などを除いてその本来の使われ方も忘れ去られており、市井に至っては『不死の兵を作り出す恐ろしい薬』という認識すら広まってしまっていたくらいだ。
「うーん……。『最上級回復薬』にも使えるらしいリジェネツリーの実だけを持ち帰るようにしましょうか」
「それはそれで騒ぎになりそうだが……。まあ、それを言い出したらきりがないか」
自分たち以外がやって来られないという訳ではないし、何より他の三十四階層にも同じような植生であるかもしれないのだ。
これらの情報は冒険者協会の資料には書かれていなかったが、それは以前やって来た冒険者では貴重な素材であると見抜けなかっただけかもしれなければ、恣意的に隠されたものだったのかもしれない。
何よりマウズの迷宮の深層は、初っ端の三十一階層からしてゴーレムたちが徘徊しているために儲けが得られ難くなってしまっている。
加えて続く三十二階層は同じ魔物の生息域が近くにあることから魔物素材の取引には積極的ではないという面倒な事情を抱えている。騒ぎになる事を恐れて過度に情報を隠遁してしまっては、魅力のない迷宮だというレッテルが張られてしまい、冒険者がやって来なくなるという状況も考えられるのだ。
「二十階層のエルダートレントの枝の取引はマウズの冒険者協会が仕切ることになってしまったし、冒険者のための稼ぎ頭になるような物も必要ってことだよな」
客寄せのための目玉商品としては申し分がないはずだ。深層という場所柄から、供給過多になる程に多くの冒険者が到達する事もできないだろう。
それにようやっとの思いでここまで来たのだ、可能な限り無駄骨となる事は避けたいと思うのは当然の心理だろう。
こうして、リジェネツリーの実を大量に、その他の素材はニアが個人的に研究するため用に極わずかだけ確保して、彼らはその日の活動を終えたのだった。
ちなみに、『最上級回復薬』は四肢の欠損すら癒してしまえる破格の性能であり、回復魔法使い泣かせとも呼ばれていた。
一部の宗教組織が『神の慈悲』根絶を題目に、執拗にリジェネツリーを伐採して回ったのには、そうした裏の事情も存在していたのであった。
さらに余談であるが、ホーリーグラスは摘み取ってすぐのものを火にくべると魔物の嫌がる煙を発生する。それらの事実は古代魔法文明期の崩壊によって失われてしまっており、今日では名前だけがその名残があるのみとなっていた。
魔物避けの効果は乾燥させるどころか摘み取ってから一日くらいでなくなってしまうため、当時は薬草として珍重されている種類と同じように町や村の周辺で自生するに任せたり、時に専用の畑で栽培されたりすることもあった程だ。
今日ではホーリーグラス自体が根こそぎ除去されてしまったために、ラカルフ大陸では『魔境』の一部に細々と残っているだけとなってしまっており、この情報が再び日の目を見る可能性は極めて低くなってしまっていた。
そして翌日。
「どこかで見たことのある光景だな」
「どこかというか、ここだけどね。しかも昨日」
階層上部がすっかり明るくなってからテントより這い出てきたディーオとニアの二人を待ち構えていたのは、ハーピー、アラクネ、ラミアの三種族の魔物たちが〈障壁〉の結界を取り囲んでいる姿だった。
昨日と違う点を上げるとするならば、各個体が大きいことと、それに伴ってたわわに実っていたことだろうか。
後、〈障壁〉を物珍しそうに眺めてはいたが、ちびっ子たちのように押したりよじ登ったりして遊ぶことはなかった。
「昨日やって来ていた子たちの仲間、よね?」
「多分そうだと思う。ちびっ子たちの話の中にも、自分たち以外の集落があるような事は言っていなかったはずだ」
だが、あの子たちのことだ。言い忘れていたということも考えられるので、断定はできないだろうと考える二人だった。
あちらの様子を探ってみると、皆一様に厳しい顔をしている。突然の闖入者であり招かざる客なのだから、これについては仕方がないものだと受け入れる。
そんな鷹揚な心持ちになると、それまで見えていなかったことも見えてくるのだから不思議なものである。
もっとも、これまで何度も繰り返して言ってきたことだが〈障壁〉による結界という安全圏が確保されているという絶対の自信と安心感があって初めて成り立つ心境である。
さて、今回ディーオたちが発見することができたのは彼らを取り囲んでいる魔物たちの微かな心の動きだった。動揺や困惑といった感情が、ほんの少しの体の動かし方や表情の変化によって垣間見えたのである。
「危なかった……。普段なら絶対に見逃していた自信があるぞ……」
「それも仕方ないわ。私でもあのレベルの変化を確実に察知するのは厳しいもの」
元研究者であり、身の回りの些細なことであっても観察することが癖になっているニアをもってしても、魔物たちの心境に起因する変化を見つけ出すことは容易ではなかったのだった。
「一応、種をまいた効果はあったということになるか?」
「そうね。敵意と殺気丸出しで即排除となっていないだけ、意味があったと言えるのではないかしら」
ちびっ子魔物たちを無傷で帰す。持ち込んでいた料理――一歩間違えれば、亜空間に永久に死蔵されることになっていたかもしれない代物だったが――を土産として渡す。ディーオたちの行いは着実に魔物たちの心で芽吹いていたようだ。
「このまま平穏無事に話し合いにも応じてもらいたいね」
せっかく儲けにできそうな貴重な素材が見つかったのだ。障害となる危険はできる限り排除しておきたい。
「それが理想ではあるけれど……。そう上手くいくかしら?」
「また何か料理でも用意しようか?」
〈収納〉している物を取り出すだけだが。
「続けざまにやると食べ物で釣ろうとしていると思われるだろうから、今のままでは逆効果になりそうよ。せめて話し合いができるような状態で、欲を言えばもっと仲良くなってからの最後のダメ押しに使いたいところね」
言葉尻は過激だが、その内容は交渉という点から見れば至極真っ当なものだ。
要求を提示していない状態で持て成してばかりいては、相手は何か裏があるのではないかを勘ぐってしまうことになる。
しかも今はお互いにまだ話し合いの席に着く以前の段階なのだ。
「交渉相手として相応しいと思われなければ、こちらに傾きかけている流れも台無しになってしまうわよ。……どうしたの?」
「いや、なんだか随分場慣れしている、ようだな、と、思って……」
段々と彼女の表情が硬くなるにつれて、ディーオの台詞の歯切れが悪くなっていく。
そしてそれが途切れたところで深々とため息を吐くニア。
「……どうせ部屋にこもって怪しげな実験をしているとか、胡散臭げな本を読んでばかりいるのを想像していたのでしょう?言っておくけれど、そんな夢のような生活、コホン。恵まれた待遇はどこかの国からの要請を受けての研究くらいなものよ。ほとんどの研究者はカツカツの予算でやり繰りしているし、そうなると資料一つ取り寄せるのにも交渉が必要になってくるの」
途中で願望のようなものが聞こえた気がするが、聞かなかったことにしておいたのは賢明な判断だっただろう。
「今の説明だって、どこかの機関や集団に所属していることを前提にしたものだから、まだ恵まれている方よ」
「そうなのか?」
「だって一部を除いて仲間内との交渉で済むのだもの。まあ、百戦錬磨の交渉専門要員を相手にしなくちゃいけないから、楽な訳じゃないけれど」
代表して外部との様々な交渉を行っている専門部署の人間に競り勝つのは容易なことではないのだ。
同じ口で競るにしても、学術的に論破することと硬軟交えて丸め込むのでは訳が違うということなのかもしれない。
「それに何より、少量ではあっても予算が出るのと出ないのでは大きな違いとなるわ」
完全な新説や異端とされる学説の研究には理解や同意が得られないことも多い。
そうなると必然的に孤立することになり、全てを自費で賄わなくてはいけなくなる。投げ打てるだけの私財があれば良いが、道楽で研究が行える者など稀だ。
手っ取り早く金を手にするために危険な副業に手を出す者も少なくない。
怪しげな研究をしている者が裏で犯罪行為を行っている、という図式が成り立っている影には、このような事情も存在しているのだった。




