9 まずは子どもたちから……
突如ニアから向けられることになった疑惑の眼差しに、ディーオは多いに困惑していた。
「あなたは誰」。
物語の中ではよくある台詞だが、実際にそれを向けられる機会などそうあるものではない。
だからなのか、いきなり代役を押し付けられて出来の悪い舞台に強制的に上がらされているような気分であった。
「誰だ、と言われてもな……」
「俺はディーオだ」などと答えたところで、彼女が聞きたいのはそういうことではないだろうから、納得はしてはもらえまい。
しかしながら、彼としては『異界倉庫』の片隅に置かれていた書物に記載されていた、それらしい仮説を偶々覚えていただけに過ぎない。
細かい内容や小難しい理屈などは一切分からない、というのが本音のところなのであった。
「ニア?俺の知っていることなんて『異界倉庫』に捨てられていたことの聞きかじりに過ぎないんだぞ」
得てしてそういった物にこそ真実が描かれていたりするのであるが、話がそれてしまいそうなのでここでは割愛する。
「異世界の知識に触れられるがゆえの不安定さということ?……それならまあ、分からないでもない?」
ディーオの説明に感じるところがあったのか、ニアは深く思考の海へと沈んでしまっていた。
こうなってしまうと再び浮かび上がってくるまでに時間が掛かることは、これまでのコンビ生活でよく分かっていた。
その間の時間つぶしとして、彼はちびっ子魔物たちの観察を続けることにしたのだった。
ちびっ子たちは人間の年齢換算でおおよそ五歳から十歳くらいだろうと思われた。偶然なのかアラクネ、ハーピー、ラミアの三種族がほぼ同数となっている。
仲良くパンに舌鼓を打っている姿から、種族同士の関係は良好なものと容易に推測できた。
おそらくは集落全体としても同じで、このまま規模を拡大したものなのだろう。
問題はその規模であるが、他の魔物が存在しないという迷宮の特性上どうしても食料が頭打ちになってしまう可能性は高い。
集まっていた子どもたちは皆痩せ気味ではあるが、血色の方は悪くない。満ち足りてはいないようだが最低限必要な食事量は十分に超えることができているのだろうと考えられる。
〈地図〉や目に見える範囲、それにこれまでの階層の広さから、多くても二十倍程度、五百人くらいまでの人数なのではないかと、ディーオは予想するのだった。
「そういえば、あれがパンだと理解していたようだったな。……つまり麦に似た植物を栽培しているってことか」
更に身に着けている物も、簡素ではあるが決して質が悪いものではない。
「これは本格的に人間種と同じくらいの知能を持った存在だと思っておかないとまずそうだ」
人間種並みとなると、言葉巧みにこちらの思考を誘導するくらいのことはやってのけるはずだ。
「歓迎する」という台詞を額面通りに受け取り連れだって行ってみれば、大勢に取り囲まれてしまったなどという展開も発生しかねない。
「でも、どうしてもこの子たちを見ているとそんな腹芸が得意な連中だとは思えないんだよなあ……」
当のちびっ子たちはニッコニコと満面の笑みでパンにかぶりついている。時折近くの子どもたちと笑い合ったり、食べさせ合ったりしていて何とも微笑ましい光景である。
「前向きに捉えるとしようか」
人間種並みの知能を持つとすれば、交渉なども可能であるはずだ。いくばくかの食料などを渡せば安全にこの三十四階層を通り抜けることも可能だろう。
それだけではなく、もしかすれば彼女たちの集落の中には『越境者』となっている者もいるかもしれない。ここまで高い知能と社会性を獲得していることから、集落全体が『変異種化』していると考えられる。そうであれば『越境者』の一人や二人くらいいたとしても全くおかしなことではない。
交渉次第では次の三十五階層やさらにその先の階層についても知ることができるかもしれないのだ。これを活かさない手はない。
ニアが復活したら、最優先で話し合わなくてはいけない。これからの段取りを考えながら、一人ほくそ笑むディーオなのだった。
「――という訳で、出来ることなら大人たちと交渉をしてみたいと思うんだが」
「戦わないで済むのならそちらを模索するのは当然ね。賛成よ。でも、乗ってくるかしら?」
幸いなことにニアが思考を中断したのはその直後のことだった。
ちびっ子たちはというと、それぞれ残り少なくなったパンを名残惜しそうにしながらも美味しそうに食べているところである。食後の余韻までも含めるならば、今しばらくの時間的猶予があるだろう。
「絶対とは言わないが、それなりに反応は得られるんじゃないかとは思っている」
再びニアが妙なことを言い出さないように、早口でまくし立てていく。
「何か策があるの?」
それが功を奏したのか、彼女の意識も魔物たちとの交渉へと向いたようだ。
「策っていう程のものでもないけどな。ほら、あの子たちがあれだけ美味そうに食べていたんだ。土産でも持たせたなら少しは警戒も緩まるかもしれない」
チラリとちびっ子たちを見ては「ああ」と納得するニア。一方で、餌付けしたようになってしまっているためにかえって危険視されるかもしれないとも考えていた。
「結局は出たとこ勝負になりそうね……」
相手がいることであるため仕方のない部分はあるにせよ、最近こういう状況になることが多いなと小さく嘆息してしまう。
元研究者の性分なのか、彼女としてはもう少ししっかりと道筋を立ててから行動に移りたいと思ってしまうようである。
「まあ、それ以前にあの子たちに拒否されてしまえばそこでお終いなんだけど。……ちょうど食べ終わったようだし、少し話をしてみるか」
子どもたちを観察する中でリーダーらしき三人に目星を付けていたディーオは、真っ直ぐ彼女たちの方へと向かった。
そして〈障壁〉越しに向かい合うと、膝をついて目線の高さを合わせる。
一方の三人、ディーオが予想した通り子どもたちのリーダー格であるラミー、アーラ、ハーはというと、生まれて初めて間近で見る人間種――しかもオス!――に興味を示しながらも、得体のしれない相手ということで警戒心も露わにしていた。
具体的に言うと、
「そ、それ以上近寄らないで!」
と言葉による牽制を行ったのだった。
もしも二十階層でのエルダートレントとの接触がなければ、ディーオとニアはかつてないほどの驚きに包まれていたことだろう。「一部の魔物たちはこちらの言葉を理解しているのではないか」という仮説は以前からあり、それを証拠づける事例もいくつも発見されている。
が、魔物が人間種と同じ言葉を話すという例はほとんど見つかっておらず、お伽噺やほら話の類だと思われていたからである。
魔物は魔物独自の言葉によって会話を行っているというのが、現在の定説なのだ
実はエルダートレントとの取引についても、支部長やマウズの冒険者協会職員たちはエルダートレントが人間種の言葉を喋ることができるという点は公にしていない。
それを口実にグレイ王国を始め様々な組織が横槍を入れてくることが目に見えていたからである。
「安心していい。この壁を越えてこちらから手出しをする事はできないから」
まずは話ができる状態に持っていくことが先決だろうと、〈障壁〉の仕様について話す。
もっとも、子どもたちにパンを与えた時のように一部を消してそこから攻撃するということはできるのだが、現状、完全に味方という訳でもないちびっ子魔物たちにそこまで教えてやる必要もない。
「さて、最初に言っておく。俺たちの目的は迷宮の最深部へと向かうことだ。だから手出しをされない限りお前たちやその仲間とも戦うつもりはない」
「次の階層へと繋がっている階段さえ見つけられれば、すぐにでもあなたたちの居場所から離れるわ」
ディーオたちの言葉に顔を見合わせる三人とその他の子どもたち。
外からやってきた者がいると知って取り乱す大人たちの反応から、てっきり目的は自分たちの村にあるのだと思っていたのだ。
「め、迷宮の最深部?……に行って何をするの?」
ハーの発した言葉に、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりにディーオの目がきらりと光る。それを見た瞬間、三人はやってしまったことを悟った。
その目の輝きは大人たちが自慢話をしたい時や、長老たちが昔のことを語りたい時のものと同じだったからである。
「迷宮っていうのは不思議な所なんだ。例えば倒しても倒してもいつの間にか階層内に魔物が復活している。この階層みたいに大きくて広い空間では、不思議な明かりに照らされていたりする。迷宮の一番奥に辿り着きダンジョンマスターになることができたなら、そうした色々な謎も全て解明できるようになるかもしれない!」
喜々として語り始めるディーオにげんなりとした顔を向ける子どもたち。
「と、まあここまでは建前なんだけどな」
「ええっ!?」
「建前だったの!?」
すっかりそれが目的なのだと思い込んでしまっていたちびっ子たちから突っ込みの声が上がる。
対してニアは、今までそんな素振りを一切見せてはいなかったことについて語っていることに大いに違和感を抱いていたため、やはりという思いの方が強かった。
「ところで、さっき食べたパンは美味かったか?」
「え?あ、うん。美味しかった」
「やわやわだったね!」
「うん。ふかふかだった!」
唐突に話題が切り替わったことに疑問を感じたが、すぐに幸せな記憶によって塗りつぶされてしまう。
魔物でも子どもは子どもということか。内心で「チョロイな」と悪い笑みを浮かべるディーオだった。
「世界にはな、美味い物が沢山あるそうだ」
「美味しい物が一杯!?」
おおっ!と沸き上がる子どもたちに顔を近づけていく。
そして「ここだけの話だが……」と前置きしてから小声で話し始めた。
「迷宮の最深部に辿り着ければ、それを腹いっぱい食べることだってできるかもしれないんだ」
効果はてきめんであった。子どもたちはまだ見ぬ素晴らしい食材や料理の数々を思い浮かべてはうっとりとしていたのだ。
中にはそんな夢見心地だけでは止まらずに、だばーっと涎が垂れてしまっている子どももいる。
後日、ニアはその時のことをこう語っている。
「あれは純粋な子どもたちを唆して堕落させる悪魔の囁きそのものだった」
と。




