5 女性型魔物
大規模な戦闘になってしてしまったせいか、それとも何かしら他の要因があったのかは不明だが、イビルハウンドの群れを退けた後はほとんどの魔物と出会うことなく探索が進むこととなった。
そして階層探索開始から一日足らず、もっと詳しく言えば朝から開始して日が落ちるよりも早い十刻ほどで、次の階層への階段を発見することができたのだった。
「ようやく三十四階層ね。……合同組の人たちはどのくらいまで進んでいるのかしら?」
のんびりと階段を下りながらニアが呟く。先が見通せない緩く湾曲したその様子に、ふと三十二階層へ降りる際の不安な気持ちが蘇ってきたのかもしれない。
三十一階層で分かれた一団については、それに連想する形で思い出したのだろう。
「さて、どうなんだろう。まあ、ほとんどのメンバーが男だったから、俺たちと同じかそれ以上の速度で進んでいたとしても次の三十四階層で苦労しているんじゃないかな」
ニアよりも先を歩きながら、ディーオはマウズの冒険者協会で閲覧した資料について思い出していた。
三十四階層はこれまで踏破されてきた深層に該当する五階層の中でも、一際異なる特徴を持つ階層だとされている。
とはいっても『変革型階層』という階層全体についての部分は変わらない。三十四階層を特別なものとしている理由、それは生息している魔物にあった。
艶蜘蛛、美怪鳥、そして惑女蛇。この階層に生息している三種の魔物は全て女性の半身を持つ魔物たちなのだ。
彼女たちの美醜は伝承や目撃情報などによって異なるが、このマウズの迷宮三十四階層に限って言えば全員が極上の美女たちばかりだとされている。
しかも厄介なことに彼女たちが身に纏っているのは、体の線が露わな薄布だけなのだという。魔物であるということを理解していても、生物としての根源的な欲求をもよおす者は少なくないのである。もっともこれには主に人間種の男を捕獲することで種の存続を保つという彼女たちの生態が大いに関係しているとされているのだが。
三十四階層に生息する三種を始め、女性型のみが存在する魔物は男性を欲情させる何かを持つとされているのだが、それが一体何なのか、何を媒介にしているかなど全く分かっていないのが現状である。
余談だが、その際に精を絞り尽くされるだけで解放されるか、それとも命すらも糧にされるのかはこれまた伝承や体験談によりけりとなっている。
いずれにしても彼女たちが男性冒険者にとって大いなる壁になってしまうことは間違いない。
そして構成員の大半が男だったあの一団にとっては苦戦を強いられることになるだろう。
「それ以前に、あの連中はどのくらいこの深層のことを知っているんだろうか?俺たちが支部長からの依頼を受けてからの間に、それらしい人物が資料室にいるのを見たことがないんだが?」
「それなりのことは支部長から説明があったんじゃないかしら。あの人の性格からして、無理を言って呼び集めた冒険者たちをみすみす見殺しにするようなことはしないと思うのだけど」
「確かにそれはないな」
ディーオとて、かつてこの迷宮で直々に彼からの指導を受けたことのある身だ。面倒見の良い彼の性分については良く理解していた。
そしてディーオ自身は気が付いていないが、これこそが後に四人組の世話を焼いたりニアとコンビを組むことになったりした最も大きな要因となっていた。
冒険者になる際や冒険者になってすぐの頃に先輩冒険者たちの世話になったこと、そして支部長から迷宮内で指導された経験が、後に続く者たちへの世話という形で表れていたのである。
「どこかにいるあの連中よりも、俺たち自身の事を考えなくちゃいけないな」
「私たちっていうより、ディーオの問題よね」
「……その通りだ。だが、特殊個体っていうのがいるかもしれないだろ」
「怖いこと言わないで。ただでさえ深層なんていうとんでもない場所なんだから、これ以上苦労しそうな展開は御免よ」
「悪かったよ。だけどそういう可能性も一応頭に入れておかなくちゃいけないってことだ。まあ、早々何度も特殊個体に遭遇することなんてないだろうさ」
むくれるニアに言い訳がましい言葉を口にするディーオ。しかし、それが止めになってしまったことに気が付くことはなかった。
もしもとある世界の者たちがこの時の二人の言動を見ていたとしたならば、きっとこう言うはずである。「ああ、フラグを建ててしまったな……」と。
結果、三十四階層へと降り立った二人は揃って頭を抱えることになった。
「これを予測しろというのは無茶振りだと思うわ……」
「『変革型階層』に大部屋だと?一体どうなってるんだ……」
出入りする度に形が変わるという性質から迷路状しかないとされていたはずなのに、彼らの前には大地と見紛うばかりの広大な床と霞んで見えなくなる高さの天井が広がっていたのだった。
魔物以前に、階層の方で非常に特殊な状況を引き当ててしまったらしい。
「土に草……。ざっと見る限り私たちの周囲の植生はマウズの町の外と変わらないようだわ」
床というか地面そのもののように見える足元へとしゃがみ込んでは、土や生えている草を手に取るニア。
「あっちに見える森とか、その奥に見える山のような場所はどうなっているんだろうな……」
ぐるりと見回した後に固定されたディーオの目には、鬱蒼と茂る木々とそこから飛び出すように突き立つ岩山らしきものが映っていた。
岩山はともかく森の密度はかなり濃く、一番外周に立つ樹の幹くらいしか見えない。
上空からの光が地面にまで差し込むように調整された二十階層のエルダートレント配下のトレントたちの林どころか、二十六階層からの『樹海迷路』で壁や天井代わりとなっていた部分よりも更に密度が高そうだ。
足を踏み入れるのであれば、相当の覚悟が必要になってくるだろう。
「とりあえず〈地図〉と〈警戒〉。……対面どころか両側の端にすら届かないとかどれだけ広いんだか。これは最悪出直すべきかもしれないぞ」
「出直すにしても上への階段は消えているわよ?」
背後の今しがた自分たちが下りてきたはずの階段があった場所を見やりながらニアが問う。
「大部屋型の階層はその形から外周の壁沿いにしか登りの階段がない。だからこのまま外周に沿って進んで行けば見つけられるはず……、だ」
途中でそれはあくまでも普通の階層であればの話かもしれないと思ってしまい、ディーオの言葉は徐々に勢いがなくなってしまった。
ただ、終わりの見えない階層内を闇雲に歩き回るよりかは、遥かに現実的であることも確かだ。
強いて一つ問題点を挙げるとするならば、この壁面自体がどれほどの距離があるのかが分からないということだろうか。
もしかすると勘を頼りに歩いた方が、上の階層へと戻る階段を見つけるよりも早く次の階へと続く階段を見つけられるかもしれない。
自身の運に任せて階層のど真ん中へと足を向けるか、それとも多少は堅実的な外周に沿って歩くか。
どちらを選んでも間違いではないが、これまでの冒険者としてのどのような経験を積み重ねてきたのかが如実に表れることになるだろう。
果たして、ディーオとニアはどちらを選択するのか?
「あら?少し暗くなってきたかしら?」
「ああ、どうやらもうすぐ夜になるみたいだな。焦って動いても碌なことにならないし、今日はここで野営だな」
「そうね。三十三階層でも色々あったことだし、しっかりと体を休めておきましょう」
まさかの第三の選択肢、「この場に留まる」ことを選んだのであった。
そうと決まれば二人の動きは早い。あっという間に〈障壁〉による結界を作り、テント等を取り出しては快適な寝床を作り上げたのだった。
「平和ね……」
天井からの光量が減り薄暗くなっていく中、出来立てそのものといった熱々のシチューを口に運びながらニアが言う。
「『空間魔法』を駆使して作った安全圏内だからな。平和じゃないなんてことになったら洒落にならない」
「そうじゃなくて、周りの事。相変わらず魔物の気配はないんでしょう?」
「そっちの話しか。ああ。〈地図〉にはそれらしい反応はない」
「周りは草原だし、遮る物もないからすぐに発見されるかと思ったのだけど。ちょっと警戒し過ぎていたのかしら?」
二人の間で小さくパチパチという音を立てながら燃える焚火へと視線を向ける。
こうして話をしている間にも順調に周囲は暗闇へと包まれつつあり、相対的に焚火の存在感は増していっていた。
当然遠くからでもその様子を見ることができているはずであり、すぐにでも魔物たちが現れるはずだ、と思っていたのだ。
ところが現実は真逆で、ディーオの〈警戒〉の範囲にすら入ってくる者はいなかったのであった。
「油断したところをいきなり襲われるよりは余程マシだろう。後々に影響が出ない程度には気を張っておいた方がいい」
翌日に疲れが残るのは論外だが、十分に回復できるのであれば用心は続けておくべきだ。それは例え安全地帯にいたとしても変わらない。
むしろ安全地帯だからこそ、それを破られた時のことを常に念頭に置いておかなくてはいけない。信頼することと寄りかかることは違うのだ。
などと会話しながらも一刻後にはテントの中で熟睡をしている二人なのであった。
一応、三十二階層で拾った魔力充填式の結界発生装置も展開していたのだが、第三者に見られていたならば間違いなく「油断のし過ぎだ」と唖然とされた事だろう。
そして翌朝、外界の時間に合わせるように光量を上げる天井に釣られて起き出してきた二人は、再び想定外の光景を目にすることになる。
ディーオが張った〈障壁〉は破壊されることなく存在しており、その向こう側には沢山の魔物たちが、それも種族問わずに集まって来ていたのだった。
が、二人が驚いた原因はそれだけではない。
「いくら美形揃いでも、これなら誘惑されるようなことはないだろうな」
「当り前よ。この状況でフラフラと靡くような人なら、即付き合い方を考えなくちゃいけないわ」
どの魔物も小さく幼い姿であり、障壁の壁に手をついては押してみたり、または天井部分に上っては踏んづけてみたりしていたのである。
「どこからどう見ても遊んでいるわよね?」
「ああ。俺にもそうとしか見えない。多分俺たちのことも気が付いていないと思うぞ」
ちびっ子たちは揃って目の前の――無色のため見えている訳ではないのだが――〈障壁〉に興味を引かれてしまい、それ以外のことは頭に入っていないようだった。
実際、これまで何度もディーオたちと目線が合う子どもたちはいたのだが、何の反応も示すことはなかった。
「どうするかな。いきなり消したりしたら怪我する子もいそうだよなあ……」
「いくら魔物とはいえ、ちびっ子たちを怪我させるっていうのは……」
特に天井は三尺以上という高めに取っていたので、その上にいる子たちなどは大怪我の恐れもある。
翼を持つハーピーの子どもたちだけならまだしも、どうやって登ったのかアラクネにラミアの子どもたちもいたのである。
三十四階層で迎えた初めての朝は、想定外の方向で波乱尽くめのものとなったのであった。
タイトルに反して、登場したのは女の子モンスターたちでした!




