9 死体
少しばかりショッキングでストレートなタイトルですが、ホラー的な要素などは含みませんのでご安心を。
人の死体を見ることに躊躇いが拭いきれないニアを階段のある小部屋に残して、ディーオは一人で死体のあった小部屋へと赴いていた。
入った瞬間、先程も感じた腐敗臭が漂ってくるのを感じる。一応鼻から口にかけてを布で覆っているのだが、匂いの発生源へと近付かなくてはいけないことを考えると、どれほど効果があるのかは疑問だ。
憂鬱な事実に直面してしまい、既に気持ちが萎えそうになっているディーオなのであった。
動かす前に現状から読み取れるものがあるかもしれないと部屋の中を見回す。
死体は全部で五体。ほぼ部屋の中央で折り重なるようにうつ伏せに倒れているものが二体、その近くで仰向けに倒れているものが一体、そして右側の壁に寄り掛かって座ったまま事切れているものが二体となっていた。
臭い始めていることから死後数日は経過しているものと思われる。
恐らくは同一パーティーの仲間なのだろう。
特筆すべきなのは全員が鎧を着こんでいるという事か。魔法使いとおぼしき服装のものでさえ、その上から魔物の革製の軽鎧を身に着けているし、仰向けに倒れているものに至っては全身金属製の重鎧――兜すらも顔全体を覆う型だった――で身を固めていた。
その体格から男ばかりであるように見受けられたが、顔が見えないため本当のところは分からない。
罠に掛かったのかそれとも魔物に襲われたのかは不明だが、ともかくこの部屋まで逃げ込んできてそのまま力尽きたという流れが一番妥当なように思われる。
ふと、そこでディーオは何かがおかしいと違和感に襲われた。
死体を前に逃避を始めようとする思考を捕まえて、半ば強制的に労働を命ずる。
「……そうか、血がないんだ」
迷宮内で命を失う原因として最も多いのが、肉体の破損である。そしてそれは体外へと血が流出することを意味している。
迷宮の機能によってなのか、壁や床に飛び散った血は時間の経過と共に消え失せてしまうようになっている。これは血痕などによって近辺に危険が潜んでいることを冒険者に察知されないようにするためではないかと考えられている。
ところがその一方で、傷付いた体や衣服などに付いた血はそのままとなる。つまり大抵死体にはその死因となる傷と共に大量の血の跡が残されているものなのである。
だが、今目の前にある五つにはそれらしき跡が見当たらない。更に言えば再三述べてきているように腐敗し始めた臭いはしているのだが、血の臭いは全くなかったのである。
「ただでさえおかしな場所だっていうのに、転がっている死体もおかしな状態なのかよ」
毒づいたところで状況が好転することはないことは理解しているが、それでも言わずにはいられない。
そしてその頃になってようやく思考が観念して働き始めたのか、ディーオの頭に一つの疑問点が浮かび上がってきた。
それは仰向けで転がっている金属製の全身鎧であった。
迷宮内は様々な環境が再現されているため、挑む冒険者の大多数が動きやすい格好を選ぶ。対して目の前のそれは対極の位置にあると言っても過言ではない物となる。
熟練することである程度の緩和はできるかもしれないが、恩恵よりも制約の方が勝ることが多い代物に思えた。
それでもあえて使い続けているということは、そこには何か意味や理由というものがあってのことなのだろう。
さて、迷宮を擁するマウズには数多くの冒険者が集まって来ているが、迷宮の三十階層という深部直前にまで進める冒険者となるとほんの一握りだ。
そしてそんな人物やパーティーであればマウズの町への滞在期間もそれなりに長期のものとなっているはずである。
しかし、だ。金属製の全身鎧という目立つ風貌にもかかわらず、ディーオにはそれらしい記憶が一切存在していなかった。
同じくそれなりに長い期間マウズの町に居座っており、更にはアイテムボックス持ちであることを公言しているために有名であるはずの彼が、である。
これは明らかに異常だと言う事ができる案件だ。
こうなると先刻見つけた『転移石』にも裏があるように思えてきてしまう。少なくともこれまで彼が利用してきた迷宮の入口へと繋がっているのではないと断言できる。
恐らくは限られた者しか知らない隠された入口があるのだと推察された。
「深層に到達できた者への『特典』ってことなら簡単な話なんだがなあ……」
迷宮にはある条件を満たすことで恩恵を得られる『特典』なるものが存在すると言われているのだが、確認されたためしがないので所詮は眉唾物の噂話に過ぎないとされている。
そのためもしも本当に『特典』であるならば、ディーオが言ったように簡単な話になるどころか大騒ぎとなってしまう事だろう。
ともかく、部屋に転がる死体に面倒事の臭いしか感じ取れなくなったディーオは、この件を丸投げしようと画策し始めた。
死体を漁る真似をする気力がなくなっていた、という面もある。
幸いにしてそれらを任せるに値する人物に心当たり――該当する相手からすればたまったものではないだろうが――もあった。
部屋から出るとディーオはニアに遺体の異常性や推察したこと、そしてこれからどうするつもりであるかを話した。
「任せられる相手に判断を委ねるというのは賛成よ。でも、その相手って……」
「支部長だな」
「やっぱりそうよね……」
支部長との付き合いがほとんどないニアとしては、面倒事を持ち込んでしまうことに若干の申し訳なさを感じるのだった。
対してディーオは涼しい顔だ。それどころか丸投げすることが当然だと考えている節すらあった。
まあ、実際に支部長が負っている責任や役割からすればその通りなのであるが、ここまで気安く接することができるのは、例え迷宮内で偶然出会った時だけの臨時のものであったとしてもパーティーメンバーとして対等な関係を築いていた彼くらいなものだろう。
「ところで、支部長に任せるというのは理解したけれど、具体的にどうするつもりなの?」
「死体を丸ごと全部〈収納〉して持ち帰るつもりだ」
「……倒した魔物だってそのまま入れられるのだから、可能ではあるということかしら」
「試したことはないけど、多分問題なくいけると思う」
試してみたいという気すら起きたことがない、というのが本当のところかもしれない。
「それでニアには悪いんだけど、部屋の中にそれぞれの死体がどういう状態であったのかを覚えておいて欲しいんだ」
死体という人であったものを持ち帰る以上、どうしても事件性を問われてしまうものである。せめて複数の視点でもって証言することで、余計な疑惑を持たれないようにする必要があるのだ。
もちろん同一パーティーを組んでいる二人からということで、難癖をつけられたり怪しまれたりしてしまう可能性もある。
だが、そこまで気にしていては身動きが取れなくなってしまう。むしろ最初から何も見なかったことにしてしまうべきなのである。
「仕方ないわね。気乗りはしないけれどこれも見つけてしまった者の責務だから」
人の死が縁遠いものではないこの世界だが、中でも冒険者は特に死が身近にある職業の一つである。
いずれまたこうした機会に遭遇することがないとは言い切れない以上、今の内に覚悟を決めて慣れておく必要があった。
ディーオに倣って漂っている臭いを少しでも抑えるために鼻と口元を布で覆う。
顔面の下半分が隠されている二人の姿は、どこからどう見ても不審者そのものであった。
「こんな格好を誰にも見られないで済んで良かったわ」
「いや、そもそもこんな格好をしなくちゃいけない事態に見舞われている時点で、ついていないと考えるべきなんじゃないのか?」
間の抜けた会話だが、気持ちを落ち着かせるには役に立ったようだ。
顔を見合わせて頷くと、二人は意を決して小部屋の中へと再度――ディーオは三回目――足を踏み入れていったのだった。
無駄口を叩かず余計なこともしなかったためか、確認作業は驚くほど短時間で完了することになる。
そして死体を異空間へ〈収納〉しようかという段になった時、二人は急に背筋を伸ばすと黙祷を捧げたのだった。
死者への哀悼ではない。なぜなら彼らとは何の縁もゆかりもなかったから。
死者への同情ではない。なぜなら何の意味も持たないから。
それはきっと自分たちのため。こうなることはないと誓い、こうなってはいけないと戒めるため。付きまとってくる死を拒絶するための儀式のようなものだったのである。
「よし。それじゃあ、戻るとするか」
粛々と死体を〈収納〉して終えると、ディーオは努めて明るい声でそう言った。
これから二人は未知のものに挑まなくてはいけない。例え空元気であったとしても、気持ちを強く持っておかなくては潰れてしまいかねない。
「もう一度あの虫たちの巣を通り抜けることと比べれば何てことないわね」
彼の意図を理解していたのか、ニアもまた軽口で応える。
部屋から出た二人は歩みを止めることなく向かいにある扉を潜り抜け、『転移石』の前に立った。
「一体どこに繋がっているのかしらね?」
「入口に設置されている『親』とは別だと思うが、かといってそれほど離れている場所でもないはずだ」
中を自在にできる代わりといっては何だが、迷宮は外にはほとんど影響することができないとされている。
過去にある貴族が密かに迷宮へと行き来できるようにと、迷宮都市内に購入した自身の邸宅に『親転移石』を設置しようと試みたことがあるのだが、機能することはなかったという。
また、『冒険者協会』が行ったある調査によると、『転移石』の機能する範囲は入口から十尺以内だと結論付けている。
「入口から十尺以内で、なおかつ人の出入りの規制が容易な場所?随分と条件が厳しいのね」
「まあな。だけど、ない訳じゃない」
ディーオの脳裏に一つの場所が思い浮かぶ。
「正解かどうかは行ってみればすぐに分かるだろうさ」
手を伸ばして『転移石』に触れる。直後、起動した『転移石』の力によって、二人の姿は掻き消えていた。
ぶれた景色が焦点を取り戻すと、そこは見知らぬ空間だった。
「ほお。もうあそこまで辿り着いたのか。思っていた以上に早かったな」
きょろきょろと見回す二人の耳に届いた声は、言葉とは裏腹に面白がる響きが多分に含まれていた。
「やっぱりここだったか」
声の主を見つけた瞬間、ディーオはそう呟いていた。




