5 邪魔者を撃退せよ
開かれた扉の先に通常では考えられない大きさのスライムがいたというのに、ディーオとニアは取り乱すこともなく冷静なままだった。
どのくらい落ち着いていたのかというと、
「あれって一体の巨大なスライムなのかしら?それとも何十何百というスライムが一塊になっているだけ?」
「何百程度ではここまでのサイズにはならないだろう。何千、いや、何万という数が必要になるんじゃないか。核さえ見つけることができたら簡単に分かるんだが、さすがにそこまで親切設計にはなっていないようだな」
「不透明の方が消火途中の映像を見せられないですむから良いと思うのだけど」
などとのんびり観察していられた程だ。それというのも、その巨大スライムはこちらに気が付いた様子もなく、その場から動こうともしなかったからである。
いや、より正確には身動きが取れなかったと言うべきか。
「ところで素朴な疑問なのだけれど、スライムの体って曲面じゃなかった?」
「ああ。だがそれ以前に平面の体を持つような生物自体いないだろう」
「ということは、やっぱり?」
「そういうことになるんだろうな」
まるで見えない壁に阻まれているかのように、こちら側へと侵出してくることはなかったのだった。
ちなみに一口にスライムといっても、その生態や大きさなどは環境によってかなり異なっている。
小さいものであれば大人の握り拳一個分ほどだが、研究用に飼い慣らされたものであれば一尺四方までの大きさに成長することも多々ある。
ディーオとニアでスライムの数が大きく異なっていたのはこれに由来していた。
また、その適応能力は多種と比べても群を抜いて高く、「スライムに住めない土地はない」と豪語する研究者もいるくらいである。
しかし、体のつくりが単調であることから何かしらの弱点を持っており、比較的対処のしやすい魔物であるともされている。
例えば人里近くの平原や森、水辺などで発見されるスライムは火に弱い。が、その持ち前の適応能力によって高温の火山地帯で生息できるようになった個体群となると、逆に水や冷気に弱くなっているのである。
ディーオたちが冷静でいられることの一因に、スライムのこうした特徴があるのは間違いのないことだった。
要するに、どんなに巨大であっても弱点を突くことができれば倒すことは可能だと考えていたのである。
それでも問題点はある。
「必要なのは弱点の特定と攻撃手段の確立、というところか?」
逆説的に弱点を突けなければスライムはかなり厄介な魔物ということになるのである。
幸い核となる部分には武器での攻撃が通用するため、魔法が使えない者であっても十分に倒すことはできるのだが、核に当たるまで切り刻むという労力が必要となってしまうのだ。
当然スライム側も抵抗してくるため、一筋縄ではいかないのである。
「色々と試してみるしかなさそうね」
ニアの言葉に頷くと、ディーオはさっそく『空間魔法』の使用し始めるのだった。
そうしてスライムと扉の奥の部屋を、二人は一日かけて調べていった。
その結果いくつか重要な点が判明することになった。
まず、スライムとの間にはやはり壁となるものが存在していた。壁と言っても物理的なものがある訳ではなく、魔法的な結界らしきものだということも判明している。
透明な強化ガラスなどが設置されていたのであれば異世界からの干渉を疑う必要があったので、その点ではこっそりと胸をなでおろすディーオなのだった。
結界らしきものが魔法により形成されているとニアが判断した要因は主に二つある。
一つは調査のために使用した魔法のことごとくが結界付近で掻き消えてしまったためだ。それもただ消されたのではなく、魔力へと強制的に還元された後に吸収されてしまったのである。
「俺たちが魔法の妨害だと思っていたのはこれだったのか。……ってどうした?」
ディーオが納得する隣で、ニアがわなわなと体を震わせていたのだ。
「どうもこうもないわよ!魔法として一度現象となったものを魔力へと還元するだなんて未だかつて誰も成し得たことのない快挙なのよ!」
研究者としての知識がある分、それがどれだけ非常識かつ有用なものかを見抜いてしまったが故のことだった。
「この技術が公にされたなら、様々な変革が起きることになるわ……」
戦いにおいて魔法使いの優位性が著しく低下することは間違いないだろう。
蓄魔石と併用することで魔道具作成や利用に拍車がかかるかもしれない。
「……なんにせよ、事が大きくなりすぎることだけは間違いなさそうだな」
「ええ。だからこそ、誰もこのことについて口外していないのだと思うわ」
「支部長が勿体付けたのもこれが原因か……」
先人たちに倣い、ここでのことは自分たちの胸の内にだけ仕舞って置こうと決める二人だった。
さて、魔法による結界だと判断したもう一つの理由であるが、こちらは先のものと比べると少々情けないものがあった。
「えい」
ディーオが取ったその行動は、決して深い訳があったものではない。何となく足元にあった小石が目に付いただけのことだった。
強いて言うならばその小石が掴みやすく投げやすい形状をしていた、ということになるだろうか。
ともかく彼は拾ったその小石を扉の奥へと向けて放り投げたのだった。
そして、
ぶづん。
投げられた小石は結界によって弾かれることも止められることもなく、巨大スライムへとぶち当たり、沈み込んですぐに見えなくなってしまった。
「ちょっとー!?」
ニアが悲鳴じみた叫び声をあげたのも仕方のない話だ。なにせスライムと自分たちを遮るものがなくなってしまったように思えたのだから。
結果的にそれは見間違いであり、結界は依然としてそこに存在したままだったので事なきを得ることになったのだが、あの投石はスライムから敵対行動だと取られてしまってもおかしくないものであった。
最悪の場合、弱点も分からない巨大スライムと魔法なしで戦わなくてはいけない羽目になっていたかもしれない。
「何をやっているのよ!?襲われたらどうするつもりだったの!?」
「ご、ごめんなさい」
軽はずみな行動を取ったディーオはその場で正座をさせられた上、ニアから長い長い説教を受けることになったのだった。
「それにしても、どうして小石は素通りしたのにスライムは通り抜けられないんだろうか?」
疑問を口にしたディーオをじろりと一睨みしてからニアが考え込む仕草をする。
確かにその点は彼女にとっても気にかかる部分であった。
「スライムの体内にある魔力に反応している、ということなの?」
ふと思い浮かんできた仮説をぽつりと呟く。この世界では量に差はあれども生き物にはすべからく魔力が宿っているとされている。
一方で小石などの自然物には特定の物――蓄魔石など――を除いて、魔力を内包することはないと言われている。
その違いが結界の反応の違いへと繋がったのではないかと推測したのだった。
「体内にある魔力?それじゃあ俺たちも通り抜けられないということか?」
「このままならそうでしょうけれど、それを解除するための仕掛けがどこかにあると思うわ」
支部長を始め幾人かの冒険者がこの階層を超えて更なる深層へと進んでいることからも、ここで行き止まりということにはならないはずだ。
「その仕掛けを安全に探すためにも、まずはあいつを倒すことが先決ってことか」
「ええ。だけどそれも案外簡単にいくかもしれないわ」
「どういうことだ?」
「さっきの投石よ。攻撃だと思われてもおかしくない行動だったのに、スライムにも結界にも変化はなかった。つまり、結界が消えるような動きをしない限り一方的に攻撃できるかもしれないのよ」
「なるほど。だが魔法は結界によって無効化されてしまうから、攻撃方法は限られてくるぞ。あの大きさだから、石を投げたところで核に当たるとも思えない」
先にも述べた通り、弱点を突かない限り核以外の部分への攻撃は効果が薄い。
十尺を超えようかという巨大さを誇るスライム相手に小石を投げつけたところで、倒せる確率は果てしなく零に近い数字にしかないらないだろう。
しかしディーオの意見を聞かされてもなお、ニアの顔には微笑みが浮かんだままだった。
「ねえ、支部長のくれた助言、これのことだったとは思えないかしら?」
「照明器具の燃料を使うのか!」
「正解。これなら魔法じゃないから結界を超えることができるはずよ!」
そして火は大半のスライムにとって弱点となっている。例え巨大スライムであっても相当な大打撃を与えることができるのではないかと予想できるのだった。
「しかし、今はこちらの結界にへばりついているが、さすがに弱点を突いた攻撃をされたと分かれば逃げたりするんじゃないか?」
「その時は本格的に結界を解く方法を探るようにすればいいわ。いくら大きくてもスライムには違いなさそうだし、結界さえなければ私たちの魔法で倒すことができるはずよ」
「ふむ。どうせやるなら、変化がありそうなことを試してみるということだな」
「ええ。現状この場でできることはやり尽くしてしまったと思うの。それなら何かが起こりそうなことをしてみる方が楽しそうじゃない」
悪戯っぽい表情を浮かべたニアに、ディーオもニヤリと笑い返す。既に三十階層に着いてから二日が経っており、二人とも飽き始めていたのだった。
しかし、やるからには万全を期さなくてはならない。中途半端に手出しをしては手痛いしっぺ返しを受ける羽目になるということは、ディーオもニアもよく理解していたのである。
〈収納〉で仕舞いこんでいた照明器具の燃料だけでなく、道中で狩ってきた魔物の遺骸のなかで燃えやすそうな部分を剥ぎ取っては巨大な松明をいくつも作り上げていく。
だが、二人とも解体経験が豊富ではなかったために、少なくない量の素材をダメにしてしまっていた。もしもきゃーきゃーと喚きながら作業する彼らの姿を見る者がいたならば、場所も弁えずにじゃれ合っているように思えたことだろう。
「命の危険を感じて、逆に襲いかかってくることも考えられるな」
という思い付きから、結界間際に油をまいたり先程の解体で使えなくなった部位を並べたりもしていた。いざという時にはこれらを燃やして防衛線にするつもりなのである。
四人組を始めとした中・低等級の冒険者たちが見れば、血涙を流しながら「もったいない!」と叫んでいただろうこと請け合いな光景だったが、ディーオからすれば「異空間の掃除ができた」程度にしか思っていないのであった。
「これだけ準備しておけば、何が起きても対処可能ね!」
何やら怪しげな出来事が発生する前振りのような台詞だが、本人にそうした意識は全くない。
ディーオもまたそうしたお約束やジンクスと言ったことには無頓着な性質であったために、ニアの台詞は誰に咎められることもなく消えていったのだった。
「……なあ、ついでに試してみたいことがあるんだけど、やっても良いか?」
そしていざ巨大松明に火を付けようとしたところで、突然ディーオがそんなことを言い出した。
「……構わないわよ」
ディーオの思い付きは時に自分の想像を遥かに超えた事態を引き起こすことがあると理解していたのだが、停滞している現状よりは悪くなることはあるまいと、ニアは安易に認可を出してしまった。
肩透かしを食らわされた形となったことで、知らず知らずのうちに焦れてしまっていたということもあるだろう。
結果として、ディーオが行ったこの「ついで」の一仕事が大惨事を招くことになってしまう。




