1 依頼達成と報告
『越境者』となったハイドマンティスを倒した翌日、ディーオたちは予定通りホワイトビーの群れを狩ってシルバーハニー集めを行った。
その数およそ三十。一連の騒動以前に冒険者たちが一度に取って来ていた量は多くても十に届いてはいなかったことを鑑みると、とんでもない数だといえる。
それを二人はわずか数刻で行ったのだった。人目がないのをいいことに、ディーオが『空間魔法』を使いまくったためである。
まだまだ余力はあったのだが、過去の調査によると、マウズの迷宮では一階層辺りに生息しているホワイトビーの数は多い時でも百に満たなかったそうだ。『大改修』によって魔物の補充速度が下がっている可能性も考え、二人はこの辺りで止めることにしたのだった。
その足で『転移石』が設置されている十四階層入り口まで一気に踏破し、ディーオとニアがマウズの町に戻ってきたのは日が傾き始めるにはまだ時間がある頃合いだった。
「おお、二人とも!もう取って来てくれたのか!ささ、こっちに入ってくれ」
市場の一角にある『商業組合』の建物に入った瞬間、それなりに込んでいたにもかかわらず担当者、すなわち先日依頼してきた男性に発見されて奥へと通された。
「よく俺たちだと分かったものだな……」
「まさか、どこからか見張られていたなんてことはないわよね?」
「そんなことするか!こちとら毎日のように冷やかしの連中をあしらいながら本命との接客をやっているんだ。大切な相手がやって来たのを見つけるくらいのことができなきゃ商人なんてやっていけねえんだよ」
「へえ。さすがはマウズでも有数の店構えの大将だな」
「何を言っているんだ。屋台だって雑踏の中から客を発見できなきゃ話にならないんだぞ。店持ちだろうと屋台だろうと商人になるなら絶対に必要なものだ」
言われてみればその通り、商人とは人を見分ける者たちだったのだなと納得、感心する二人だった。
「まあ、ともかく座ってくれ。こんな時間だし、ゆっくりしていけるんだろう?」
「いや。それがちょっと急ぎの要件を抱えることになったんだ」
「そうなのか?だが、茶くらいは飲む時間はあるだろう。用意させているからじきに持ってくるはずだ」
それくらいならと頷き、二人は椅子に腰かける。するとそれを見計らっていたかのように女性がお茶を運んできたのだった。
「それで、どのくらい取って来てくれたんだ?」
「大体三十だ。急いでしまったから正確な数は分からないが、二十五を下回っていることはないはずだ。これ以上は『大改修』の影響もあって補充に時間がかかるかもしれないから止めたんだが……。足りるか?」
「十分だ!連中が言ってきた数は多くても十五だったからな。熨斗代わりに更に二つほど余分に渡してやれば、文句も言えないだろうさ!」
連日のお祭り騒ぎで大量に消費してしまったため、マウズの町自体でも甘味は不足している。
残った分も全て同値で買い上げてくれることになったのだった。
「今回は本当に助かった。何か困りごとがあったら遠慮なく言ってくれ。『商業組合』としてもできる限りの協力をするからな」
上機嫌でわざわざ入口の外にまで見送りに来てくれた男性は、最後にそう言ってから建物の中へと戻っていった。
「商売人が軽々しくあんなこと言ってしまっても大丈夫なのかしら?変に言質を取られたら致命的だと思うんだけど?」
「それだけ感謝してくれているってことだろう。さあ、協会に行こう。面倒事になるかもしれないし、もたもたしていたら晩飯が遅くなるぞ」
「やっぱり、騒ぎになってしまうのかしら?」
これから先の行動に影響してくるかもしれないことに心配を覚えたのか、ニアの眉は不安で歪められていた。
「『越境者』なんて滅多に現れるものじゃないから、確実に騒ぎにはなるだろうな。……しかも遭遇した階層が階層だから、昨日の状況を詳しく聞いてくるかもしれない」
「上手く誤魔化せるかしら……」
「致命傷になったのは首半分まで断ち切ったニアの魔法だ。そこはもっと自信を持っていいと思うぞ。それに、その深手でもすぐには死ななかったことも伝えるんだから、嘘を吐いていることにはならないさ」
残る半分の傷のつき方が違うと指摘されるかもしれないが、それは息絶えた後に切り取ったのだと言えばいい。
最も重要なのは十六階層に『越境者』が現れたこと、そしてそれがもう倒されているという事であって、倒し方などは二の次に過ぎないのだ。
「それよりも説明を終えた後で近づいてくる冒険者の方に用心した方がいいかもしれないな。特に今後の参考のためだとかなんとか言って、根掘り葉掘り聞きだそうとしてくるようなやつは怪しいと思っておくべきだ」
エルダートレントとの取引き開始以来、マウズの迷宮は様々なところから注目されるようになっている。当然中には足を引っ張ろうとする者もいる訳で、そうした連中と繋がっているかもしれないからだ。
「つまり、手早く終わらせて、さっさと準備をして、すぐに迷宮に潜るのが一番安全、という訳なのね……。せめて美味しいものをたくさん買い込んでいきたいところだわ……」
まだ始まってもいない騒ぎに、げんなりとしてしまう二人なのだった。
協会へと入るとすぐに近くにいた手隙の女性職員に「緊急性はなくなったが重大な問題が起きたので、至急支部長に面会をお願いしたい」と用件を告げる。
懐からこっそりと取り出した紙片に書かれていた『越境者』と『討伐済み』の文字が見えたのだろう、女性職員は軽く頷いて支部長室へと向かって走って行った。
その様子にマウズに来てからまだ日が浅い冒険者たちがギョッとした顔をしている。
マウズ支部ではすっかり「支部長の茶飲み友達」として定着していたディーオだが、その等級は未だに五等級と、中位レベルでしかない。
また「とんでもない性能を誇るアイテムボックス持ちのポーター」であることもマウズ以外ではほとんど知られてはおらず、当然顔も売れてはいない。
つまり単なる一介の冒険者がいきなり支部長への面会を要求したのに、門前払いされることなく受け入れられたように見えたのである。
余談だが、ディーオの要求がすぐに支部長へと伝えられるようになっているのは、支部長から職員全員にその旨が通達されていたことに加え、四人組を叩きのめして以来、ディーオを怒らせることは危険だと職員内の共通認識となっていたからである。
そのためニアとの件では女性職員たちが女性冒険者たちと一緒になって騒いでいたのを見て、男性職員一同は常に肝を冷やし続ける羽目になっていたのだった。
そしてこちらもまた余談であるが、ディーオたちのやり取りを見ていた副支部長が、また何か厄介ごとが起きたのだと察して、部屋の奥で小さく呻いていた。
それでも他の職員たちにその声を聞かれることがなかったのはさすがというべきだろう。
そんな彼の頭部、鬘の下では今日も次世代のことを考えることなく森林伐採が続けられていたのだった。
「支部長室へどうぞ。詳しい話を聞かせて欲しいと言っていたわ」
「分かった」
「ありがとう」
女性職員が笑顔だったのは、奥へと通される際にこっそり渡した差し入れの効果もあってのことだろう。
取ってきたばかりのシルバーハニーを使って作ってもらった菓子なので、味に厳しい女性職員たちであっても満足できるに違いない。
そして、あくまで差し入れなのでこのことによって便宜を図られたり図ったりするという事は決してない。
ないのだが、中には賄賂目的で真似をする者や勘違いして文句を言ってくる者が存在するため、こっそりと渡しているのだった。
「やあ、二人とも。よく来てくれたね。色々と聞きたいことはあるけれど、ともかく座ってくれ」
勧められて応接用に置かれたソファに座る二人。
ここ最近では最もその機会が多くなっていたディーオはともかく、この部屋に入ること自体が片手で数えられるほどしかないニアはその座り心地の良さに声もなく驚いていた。
実は向かいに置かれた同型の物と合わせて二脚と、その間に置かれたテーブルのセットは、支部長への就任が決まった際に彼の友人のドワーフたちから贈られた品である。
ごくありふれた安価な素材を、持っている技術だけでどこまで高品質の物に仕上げることができるか追及したもので、市場に出せば並みの豪邸よりも高値が付くのは確実という究極の逸品である。
しかしそれを言ってしまうと誰も座ってくれなくなりそうなので、その秘密は彼らとの友情と共に支部長の胸の内に秘められたままとなっていた。
「ああ、それと市場からの甘味採集の依頼を受けてくれたらしいね。今の段階だと最終的に私自身が取りに行かなくちゃいけないと考えていたから助かったよ」
事の重大さを勘案して『冒険者協会』を通さない非公式な依頼となっていたのだが、町の有力者の一人であり、最高戦力でもある支部長には市場側から話を通しておいたらしい。
「いえ。市場の人たちには世話になっていますから。それに支部長なら問題なく取って来られたでしょうし」
「そこは否定しないよ。ただ、私が不在になることで余計なことをする輩が出ないとも限らなかったからね」
その言葉を聞いてディーオの顔がしかめられる。
「支部長がいなくなる状況を作り出すことが狙いだったという事ですか?」
「ディーオ、違うわ。それも狙いだったのよ」
彼の予想に対して訂正を入れたのは、正面の部長ではなく隣に座るニアだった。
「恐らくはそういう事なんだろうね。覚えておくといい。上策っていうのは一手指すだけで二つも三つも結果を出せるものなのさ」
「……そもそもそんな策の応酬をしなくてはいけない陰謀渦巻く世界には入らないことが肝要なのでは?」
「はっはっは。確かにその通りだ。だが気を付けていたとしても巻き込まれてしまうという事も往々にしてあるものだからね。知っておくことに越したことはないさ」
過去の記憶が蘇ってきたのか、「面倒事や厄介事というものは、こちらの事情を無視してやってくるものなのさ」と悟ったようなことを言う支部長の顔はどんよりと曇っていたのだった。
特級冒険者が珍しく見せた気弱な表情に、まだ年若い二人は一体彼の過去に何があったのかと大いに興味をそそられることになったのだが、同時に聞いたが最後、それこそ陰謀渦巻く世界に飲み込まれることになりそうだという怖気を感じ取り、余計な口は開くまいと無言を貫くことを選択したのだった。
それが賢者の英断だったのか、それとも愚者の迷走だったのかは神のみぞ知るところである。




