9 『越境者』討伐
ディーオとニアが頭を突き合わせて考えること数十拍。とりあえず唯一思い付いた策を試してみようという事になった。
別に考えることが面倒になったという事ではない。のんびりと考えていられる状況ではなくなってしまったのである。
彼らの状況を思い出してみて欲しい。
初戦にはちょうど良い数だと狙いを付けたホワイトビーの群れ近くへとやって来てみれば、そのすぐ近くには先約ともいえる『越境者』のハイドマンティスが潜んでいたのである。つまり、同じ得物を狙っていたということだ。
そしてホワイトビーたちが蜜の収集を終わらせようとしている今、ついに状況が動き出そうとしていた。
「ホワイトビーたちは『越境者』の存在に気が付いたら必ず逃げることになる。ハイドマンティスにだけ集中しておけばいい」
「分かったわ」
ニアの返事を背中に、ディーオは咲き乱れる花々に紛れるように背を低くして走り出す。素早く移動するには不向きな体勢だが、見つかってしまっては元も子もない。
大鎌状になった腕の形からマンティス系の魔物は『死神』とも呼ばれている。その鎌によって命を刈り取られた冒険者の数は数知れない。
しかも今回彼らの前に現れたのは、そうした冒険者や他の魔物を喰らって『越境者』にまで進化した存在だ。迂闊な行動は即、死に繋がることになるだろう。
そんなディーオの無事を祈りながら、ニアは自らの役割を果たすために目標となるハイドマンティスの姿を常に捉え続けていた。
二人が建てた作戦はこうだ。
まず、ディーオが囮となってハイドマンティスに近づいて攻撃を仕掛け、そしてその際にできた隙を突き、ニアが魔法で作り出した風の刃で首をはねるというものである。
もちろんこれは最も上手くいった場合の話だ。
同じ虫型の魔物でも甲殻を持つ種と比べれば柔らかい類に入るが、それでもハイドマンティスの外皮は鋳型で作られる量産品の剣では傷が付けられないくらいの硬さを持っている。
鋭い切れ味を誇る魔法の刃であっても、通用するかどうかは分からない。全てはニアの力量にかかっているのだ。
「中階層初心者にやらせる仕事じゃないわよね……」
悪態を吐きながらもニアの顔には笑みが浮かんでいた。コンビを組む相棒として信頼されたことが、きちんと戦力として扱われたことが嬉しいのだ。
対等と呼ぶにはまだ力不足だけれど、すぐにその横に立ってみせる。人知れず彼女は決意を抱いていたのだった。
ハイドマンティスから約五尺の位置でディーオは近付くのを止めた。これ以上はいくらホワイトビーへと意識が集中しているとはいっても勘付かれる恐れがある。
逆に言えば、獲物を狙っている最中だからこそここまで近づくことができたのだった。
手にした短槍を握り直し、息を落ち着かせる。
そして、
「らああああああ!!」
自身を鼓舞するように大声を発しながらハイドマンティスへと躍りかかる。
囮役ではあるが、馬鹿正直に魔物からの危険な一撃を受ける必要などない。ディーオの攻撃で倒すことができるのであれば、それに越したことはないのだ。
直近の後方からいきなり聞こえてきた蛮声に驚いたハイドマンティスは、碌な防御もできずに腹部へと短槍の穂先を深々と突き入れられることとなった。
「キショアアアアアア!!」
悲鳴じみた奇声を上げている間に、突き刺さった槍先を抜く。もちろん傷口が広がるように捻り、引き裂くようにして引き抜くことも忘れない。
運良く後ろ足へと繋がる筋を傷つけることができたらしく、ハイドマンティスの動きが目に見えて悪くなった。
そしてこれだけの騒ぎになったことでようやく天敵たちの存在に気が付いたのか、ホワイトビーたちは慌ててどこかへと飛んで行ってしまったのだった。
「『越境者』になったことで力に酔いしれていたのか?それとも害になるものがいないこの階層へ来て油断したか?」
「ギュジュオオオオ!!」
嘲るように言うと、言葉が理解できるわけではないのにハイドマンティスは怒りの咆哮を放った。ディーオの態度や雰囲気からバカにされたと判断したらしい。
余談だが悲鳴、奇声、咆哮というのは例えで、声帯がある訳ではなく背中の羽根を微細に振動させて音を発している。
しかしこうした事実は一部の研究者以外には知られておらず、冒険者の中には虫系の魔物は「口が二つある」という迷信を本気で信じている者もいるくらいである。
傷つけられ、その上侮られたことでハイドマンティスの怒りは頂点に達したらしい。
ディーオへと向き直ると、伏せていた身体を起き上がらせた。その頂点は彼の背をはるかに超えて三尺に達しようかというほどの高さだ。
しかし、そんな高みから見下ろされてもなお、ディーオは余裕を失うことはなかった。
確かに彼にとっては非常に戦いにくい状態になったと言える。
だが、別の者からすれば大きな隙となっていたのである。
「ニア、今だ!」
「〈トライカッター〉!」
合図の声にニアは準備していた魔法を発動させ、三振りの風刃を解き放つ。
同時に三つの刃の操作を要求されるため、高難度に分類されている魔法だが、ニアはそれを楽々と操って見せ、がら空きとなった首元の寸分違わぬ場所へと命中させたのだった。
「ギョ、ギョギギギギ……」
しかし、錆び付いた歯車にも似た不愉快な音を発しながらも、ハイドマンティスは立ったままでいた。
「嘘でしょう!?あれで倒しきれないだなんて!?」
ニアの魔法は確かに効いていた。
首が半分千切れかけているのだ。致命傷だと言って良い。それでも倒れることがないのは『越境者』としての自負なのか。
千切れかけた首がニアの方へと動いた瞬間、ディーオの〈裂空〉がハイドマンティスを刈り取ったのだった。
ドオン!と地響きを立てて残された体が倒れたのと、ニアがペタンとその場に腰を落としたのはほとんど同時だった。
本当ならば止めまで刺させるべきだったのだろうが、想定外の事態にニアの思考は止まってしまっていた。
あのままではハイドマンティスの死と引き換えにした一撃によってニアも命を散らしていたかもしれない。
彼女の命を救えたことに安堵しながらも、ディーオは想定が甘かったと注意や指導するべきなのか、それとも高難度の魔法を見事操って見せたことを誉めるべきなのかと悩むのだった。
だが、結果としてその悩みは無駄に終わることになる。致命的に近いミスをしてしまったことで、ニアがすっかり落ち込んでしまっていたからだ。
単独行動や格上の相手との同行がほとんどだったため、こうした状況への経験値が低かったディーオは四苦八苦しながらニアを励ましたりなだめたりすることになったのだった。
そうこうしている間に日が暮れ始めた――正確には青一面だった上部が黒くなり、同時に階層全体が暗くなること――ので、二人は十五階層への階段近くへと戻り、そこで夜を明かすことにした。
ホワイトビーは暗くなることでその行動を蜜の採取から巣の防衛へと切り替える。
巣の近くに集まってくるため、集団で襲いかかってくるホワイトビーを倒せる実力さえあれば昼間よりの効率よくシルバーハニーを集める事もできる。
しかし、己の力量を計り間違えて返り討ちにあるような冒険者も少なくはなく、『冒険者協会』では昼間に少数の群れを個別に倒すことを推薦している。
「だから反対に巣の近く以外は安全な場所となるんだ」
焚火に新たな薪を放り込みながら、ディーオはニアにそう解説していた。
しかもここ十六階層に生息しているホワイトビー以外の魔物は、基本的に自分から敵に襲いかかるようなことはしない。
ディーオが四人組と出会った低階層でのモンスターハウス発見以前は、多くの冒険者たちが安全な寝床を求めて、この十五階層への階段付近に集まって来ていたものだった。
が、今では『大改修』により常に変化を続けている迷路状の十五階層を抜けなくてはいけないという事で、二人以外に人影は見当たらなかった。
「……ごめんなさい」
ニアから謝罪の言葉が告げられたのは、この場所もすっかり寂しくなってしまったものだな、などと感慨に浸っていた時のことだった。
「何が失敗だったか理解できて、次からはそれをしないようにすればいいさ」
「でも……」
「今は気にするなと言われても無理だろうが、いつまでも気に病んで引きずってしまうのは問題だぞ。時には無理矢理にでも頭を切り替えることが必要だ」
一瞬の判断の迷いが生死の境目となってしまうこともざらにあるのだ。そして安全地帯なのもあくまで他の場所や階層に比べての話で、ここが迷宮の中であることに変わりはない。
「まだ肝心のシルバ―ハニーすら手に入れていないんだ。しっかりと休んでおかないと明日が辛いぞ」
「……分かった。ちょっときついけど頑張って眠るようにするわ。だけどその前に何か食べましょう」
ニアのお腹からくぅーと可愛らしい鳴き声がしている。
ようやく先ほどのミスを飲み下すことができたようだ。
「はははっ。それだけ食欲があるなら大丈夫そうだな。よし、さっさと食べて明日に備えるか」
異空間に常備してある弁当を〈収納〉で取り出してニアに渡す。時間がほとんど流れていないの「本当に便利ね」と言いながらニアが受け取った弁当はかなり暖かかった。
「これって例えばできたてのスープを鍋のまま入れておけばいつでも熱々のものが飲めるの?」
「ああ。飲めるぞ。ただ、擬装しているのがごく普通のポーチだから、それらしく出し入れするのが難しいんだ」
「ああ、だからスープでもシチューでも水筒に入れているのね」
ディーオが食料を小分けにしているのには、一応、それなりの理由があったのだ。
皿によそったり、終わった後の片付けをしたりするのが面倒だからというのも多分に関係していたりするが。
さて、自分で作ってこっそりと仕舞って置けばよいのではないかと思ったかも知れないが、ディーオは異世界の料理の数々の絵を見ても、再現しようとはせずにただ食べてみたいとしか考えなかった人間である。
料理を作るという根本的な発想すら持っていないのだった。
ニアの方も、冒険者になるまでは研究に明け暮れる生活で、調理の技術を磨く暇などなかった。
また、冒険者となってからも四人組と一緒になって戦い方や連携の仕方などばかりを考えていたので、調理の技術は相変わらずなままであった。
ちなみに、冒険者が全員すべからく料理が苦手という訳ではない。屋外で、しかも限られた食材を使って調理をすることが多いため、むしろ店を開けるほどの腕前を持つという者も少なくなかったりする。
また、そうした食生活であるためか料理が趣味というものも多く、中にはいかに美味く簡単に作れるかという事を突き詰めようとしている者まで存在している。
美味い料理は活力の源なのだ。
さらに余談だが、ブリックスが若い女性だけのパーティー、『水面の輝き』にスカウトされた主な要因がその調理技術にあったことは、マウズの冒険者の間では広く知られている。
そんな彼に続こうとする下心満載な男たちが、調理技術を身に着けようというとし始めていた。
だが、そんな邪まな動機が長続きするはずもなく、廃棄物並みの代物を作っては挫折するという光景がマウズの町では定番となっていたりするのだった。




