8 十六階層にて
冒険者たちの不安を煽っている者がいる。
知り合いの冒険者から不穏な情報を得たディーオとニアは、嫌な予感を抱えながらも目的地である十六階層を目指して進んでいた。
そしてその情報が正しい事であると証明するかのように、十四階層の各地で苦戦しながらバイコーンを討伐している冒険者を見かけることとなっていた。
もっともどのパーティーも手助けをしなくてはいけないほど戦線が崩壊している訳ではなかったため、声を掛けることもなく通り過ぎたのではあるが。
十五階層は生息する魔物こそ違ってはいたが、基本は十三階層やそれ以前の低階層と変わりがない。
『大改修』によって常に構造が変化していていたとしてもディーオの〈地図〉の前では全て丸分かりである。そこに〈警戒〉も加わることで、最短距離でこの階層を抜けて行く。
『障害』の二つ名を持つ十五階層も、『空間魔法』を有するディーオたちの前には形無しとなってしまったのだった。
そしてついに二人は目的の場所である十六階層へと到着した。
より正確には彼らの目的はシルバーハニーの採取なので、ホワイトビーが出現する十六階層から十八階層までというのが正しいことになるのだろう。
しかし、ホワイトビーの生息に階層による違いはないので、より深い階層へと赴く必要性は低い。
更に十七、十八階層に生息しているホワイトビー以外の魔物は十六階層よりも強かったり厄介な性質を持っていたりしていた。
そのため、シルバーハニー採取といえば十六階層でするものという認識が冒険者たちの中には広まっているのであった。
「うわあ……。これはなかなかの絶景ね」
「その点には同意するけど、景色にばかり気を取られないでくれよ」
その十六階層であるが、ここは十四階層とはまた異なった美しさを誇る階層だった。
特に地形に起伏があったり、豊かな水場が広がったりしている訳ではない。そういう意味では一面草原だった十二階層と似通っていると言えるのかもしれない。
ところで、ホワイトビーは魔物ではあるが、その性質は基本的に蜜蜂のものを踏襲している。つまりこの階層にはホワイトビーが蜜を収拾するためのもの、蜜を作り出す存在が必要となってくるのだ。
ここまで言えばもうお分かりだろう。
そう、そこに広がっているのは十二階層の緑一色の草原とは異なり、様々な彩りに溢れた花々だったのである。
しかし、この美しい景色に魅了されてはいけない。
どんなに美しい花畑ではあってもここは迷宮の中なのである。
咲き乱れる花々のすぐ隣では恐ろしい罠――比喩的なものではなく本物だ――が油断した冒険者が足を踏み出すのを今か今かと待っているし、ホワイトビーを始めとした魔物たちが潜んでいたりもする。
そのため、十六階層から十八階層は、その美しい姿とは裏腹に『暗礁地帯』とも呼ばれているのである。
さて、以前にも述べたが、ホワイトビーはその体内に蜜袋なる器官を持っている。普通の蜂とは異なり、巣ではなくその蜜袋に集めてきた蜜を溜めているのである。
つまりシルバーハニーを得るためにはホワイトビーを倒さなくてはならない。採取という呼ばれ方をしているが、薬草類などとは違って戦闘が必須条件なのである。
同じ甘味として重宝されているシュガーラディッシュよりも低階層にいるにもかかわらず、シュガーラディッシュよりもシルバーハニーの方が入手困難だとされている由来がこれである。
もっとも、最近は『大改修』の影響で二十階層へと向かうこと自体が難しくなっているので、価値的には同程度になってしまっていたりするのだが。
「ニア、ホワイトビーとの戦い方は覚えているか?」
「もちろんよ。シルバーハニーが入っている蜜袋は熱に弱いから、火や炎の魔法は厳禁なのでしょう」
同じく外殻部分も熱に弱いため、逆に倒すためだけなら火属性魔法を使うのが最も手っ取り早い方法である。
「その通りだ。それと蜜袋は腹側にあるから、できる限り胸から上を狙う事」
「そうすると、土属性魔法で作った石をぶつけたり水属性魔法で作った氷をぶつけたりする方が効率的かしらね」
ディーオは以前そうとは知らずに〈裂空〉でホワイトビーの群れを一まとめに切り裂いてしまい、少なくない量のシルバーハニーをダメにしてしまった経験があった。
それ以来、多少面倒でもホワイトビーを相手にする際には短槍による接近戦で倒すことを心がけている。
ただしそれは単独で行動していて、いざとなれば〈跳躍〉や〈転移〉によって、周囲を囲まれるといった危機的状況からも脱出できる手段があったので可能だったやり方である。
今回はニアだけが取り残されてしまいかねないためこの方法は使えない。
そこで彼らが採用したのが、遠距離から魔法によって倒していくという、ある意味正攻法なやり方だった。
近付いて来るまでに倒しきれるなら良し、残ったとしても数匹程度であればディーオ一人で対処できる。
その間にニアは再度距離を取って再び魔法による攻撃を加える、という手順になる予定だ。
「さて、それじゃあ始めるとしますか」
本来ならこの作戦で一番のネックとなる適当な集団探しも、〈地図〉と〈警戒〉を併用すれば容易なこととなる。
「左手の方角にちょうどいい群れがいる。近くに他の群れもいないから合流される心配もなさそうだ」
最初という事もあり、ディーオは十匹に満たない小規模な群れを選ぶことにした。
「了解。行きましょう」
気負うこともなければ油断することもない。二人は平常心のまま行動を開始する。
既に低階層でお互いの動きは確認済みだ。それどころか冒険者協会に設置されている訓練所で、周囲で見ていた者たちが呆れる程に特訓を積み重ねていた。
それも全ては迷宮の深層へと向かうため、そして迷宮を踏破するためだ。中階層のホワイトビーごときで手間取ってなどいられないのである。
ある程度の距離まで近づいた所で、腰を屈めて咲き乱れる花の隙間に体を隠す。
「二十尺程先の所に八匹いる。分かるか」
「ちょっと待って……。あれね。数も……、確認できたわ」
ホワイトビーは全長が五十から八十寸にもなることもあって見つけるのは比較的容易だ。
が、感知能力や気配察知能力が高いために大抵は先に発見されてしまい、襲いかかってくるものを迎撃するという形になることが多い。
今回の場合、ディーオの『空間魔法』の効果も大きいが、蜜を収集している最中であったためにこれほどまでの距離まで近づくことができたのだった。
「それじゃあ、そこから右に五尺ほどの所を見てくれ」
そう言ってディーオは、ホワイトビーたちに向けていた指をほんの少しだけ右へとずらした。
「右に五尺?……そこに何かあるの?」
「良く見るんだ。ホワイトビーとは比べ物にならないくらい見つけにくいものがいるから」
「うん……?……え?今少しだけ動いた!?」
風か何かに細い茎が揺れたのかとも思ったが、辛抱強く目を凝らしているとそうではないと確信できた。
「だけど、一体何がいるの?」
「十六階層に生息している魔物のことを思い出してみるんだ」
「……まずは何といってもホワイトビーよね。それと……耕作蚯蚓がいるんだっけ?でも、襲ってくることは稀だって話よね。そもそもプラウワームの住処は地中のはずだし。後は……、そう、蜜吸い鼠!あら?だけどこの魔物もあちらからはまず襲ってくることはないんじゃなかった?」
「その通り。だから実質十六階層で気を付けるべきなのはホワイトビーだけなんだ」
シルバーハニー採取が十六階層でばかり行われる理由がこれだ。
ちなみにプラウワームもハニーラットも基本的には無害なのだが、魔物であるせいかそれなりの大きさになる。
記録として『冒険者協会』に残されているものによると、ハニーラットは最大で二尺近く――そのうち尻尾の長さが約一尺――のものが、プラウワームに至っては直径が十寸、長さが五尺以上のものが発見されたことがあるそうだ。
「でも、あそこにいるのはそのどちらもと違っていそうなのだけど?」
プラウワームは赤みのある茶色であるし、ハニーラットの体毛も褐色と、どちらかといえば地味目の色をしている。
鮮やかな色合いに溢れた花々の間にいれば、逆に目立ってしまうことだろう。
しかし、二人が目標としたホワイトビーの群れの側に潜むそれは、まるで周囲の景色に溶け込むかのように、違和感なく静かに臥せっていた。
「あれは潜隠蟷螂。本来なら次の十七階層にいるはずの魔物だ」
脳内の地図に新たに浮かんだ印によってディーオにはその正体が判明していた。
「まさか『越境者』!?か、階層を超えてきたというの?」
そしてその言葉が事実だとするならば、通常の魔物よりもはるかに強いはずである。
しかも厄介なことに、どのくらい強くなっているのかは外見を見ただけでは分からないのだ。緊張のためか、本人の知らない間にニアの声は震え、擦れていた。
「……間違いなく『越境者』だ。〈警戒〉の感知から逃れられるくらいの力を持っていやがった」
ホワイトビーの群れの確認をするために立ち止まったから気が付けたが、そうでなければ不意打ちか、最悪、挟撃を食らっていた可能性すらある。
そのことに思い至り、ディーオは一人背中に嫌な汗が流れていくのを感じていたのだった。
「これからは地力だけじゃなく『空間魔法』も鍛えるようにしないといけないな……」
頼り過ぎたりはしないつもりだが、『空間魔法』がディーオたちにとって生命線であることに変わりはない。
切れてしまわないように太く丈夫にしていかなくてはならない、と痛感するのだった。
「とにかく、予定変更だ。やつを始末してから他にも『越境者』がいないか調査しなくちゃいけない」
「十七階層の方はどうするの?」
「そちらは余裕があればの話だな。続けて調査するとなると、ここで一泊する必要が出てくるから、場合によっては報告を優先して町に戻る方が安全かもしれない」
「そう……。それで、勝てるの?」
「勝つだけなら問題ないだろう。今はしっかりと〈警戒〉も効いているようだから『空間魔法』に耐性がある訳じゃないと思う」
それらのことから、ディーオは〈裂空〉による一撃で倒すことができると予想していた。
「問題は倒した後だ。俺がアイテムボックス持ちだという事は知られている。『越境者』を発見したなら、例えその一部でも持ち帰らないのは不自然だと思われるはずだ」
「当然解析もされるから、どうやって倒したのかその方法について事細かく質問されるかもしれないのね」
「その通り。あり得そうだろう」
「むしろその未来しか見えないわよ……。それじゃあ、私の魔法で倒すの?」
「できそうか?」
「……ごめん。やってみないと分からないっていうのが本音だわ」
わずか二十尺も離れていない場所にいる『越境者』となった個体だけでなく、その元となったハイドマンティスとすらニアは戦った経験がないのだ。
相手の力量が全く読めないのも仕方がないというものだろう。
そしてぶっつけ本番で上手くいくかどうかを試してみるというのは、無茶が過ぎるというものだ。
無茶をしてでもやり通さなくてはいけないという時もあるが、今は他に安全だと思われる手段があるのだ。わざわざ自分たちの身を危険に晒す必要などないのである。
「それじゃあ、せめて何か策を弄するくらいの事はしないといけないな」
そして二人は、倒した方法を誤魔化すための方法について頭を悩ませるのだった。
『越境者』を倒せるという事には、何の疑いを持つこともなく。




