8 真相
男との問答を繰り広げている内に混乱が収束したのか、ディーオの周りにひしめいていたゴーストたちが一斉に動き始めた。
「邪魔だ!」
短槍の柄を緩く握った右手の中から水を生み出しながら振り回すことで、魔力のこもった水をまき散らして、近付いてきたゴーストから順に消し去っていく。
さしたる攻撃方法も持たないゴーストなど、今のディーオにとって敵ではなかった。わずかな時間で蠢いていたゴーストたちは一掃されていた。
そしてディーオはさらなる情報を集めるため、一歩踏み込んでみることにした。
「まあ、理由なんて聞かなくても、大体の予想は付いているがな」
手駒であるゴーストを簡単に撃退した勢いも利用して、どこまでも不敵にお前の考えなどお見通しだと印象付けるためにフッと鼻で笑ってやる。
瞬間、男の怒気が膨れ上がった。
「……ほお?面白いことを言ってくれるじゃねえか。ぜひともその予想とやらを聞かせてもらいたいものだなあ」
「俺は構わないが、自分の底の浅さが分かったからといって逆上するようなことはしないでくれよ」
これまで不快にされた分に熨斗を付けて返すかのようにディーオは男を煽っていた。
頭に血が昇り動きを読みやすくすることが狙いだったが、感情や神経を逆撫でするといった言動は相手が得意としていたものでもある。
固執し過ぎるとかえって足元を掬われる可能性もあり、少しでも行動が荒くなればそれで御の字とするべきだろう。
まあ、意趣返しの意味も多分にあった、というかそれが一番の目的だったのではあるが。
「いいからさっさと言いやがれ!」
苛立って叫ぶ男の姿が本心からのものなのか、それともそれらしく演じているだけなのかを見抜くべく眼を鋭くしながらも、表面上は呆れた風を装って肩を竦めて見せる。
「はいはい。年長者の言う事には従わないといけないからな。あんたがこの八階層にゴーストを呼び出した理由はだが……、『なんとなく』だろう。頭を使っていたとして精々がこの階にいた冒険者たちが『鬱陶しかった』からだな」
要するにまともな理由などない、という事である。
これまでの言動を見ていて、この男は感情に任せて享楽的な選択を突発的にしがちな人間であると、ディーオは分析していた。
先のゴーストの召喚もそうだ。ディーオが驚いたことに気を良くしてしまい、直前に自分が言ったことなどすっかり忘れて、ゴーストを追加してしまったのである。
しかしこれはあくまでもディーオの予想であり、事実とは異なっている可能性もある。
本人によると、
「はっはっは。そいつはいい!巻き込まれた連中もさぞかし驚くだろうな!……なんて言うと思ったかよ?」
「それじゃあ、どんな理由があったか言ってみろ」
どうやら間違っていたらしいのだが、それならと即座に追撃を加える。
「……それをお前に言う必要ない」
もっともな回答ではあるが、その直前におかしな間が生まれたことを見逃すディーオではなかった。
付け加えるならば、こちらと視線を合わさないようにしているのか男の目はあちこちと忙しなく動いており、その額には冷や汗らしきものも浮かんでいた。
のらりくらりと煙に巻くのも得意であるのかと思っていたが、案外そうした方面には弱いらしい。
あの聞く者の神経をわざと逆撫でするようなやり方も、そうした点への対策であり自らが場の主導権を握るためだったのかもしれない。
古今東西、原因を探ってみれば大したことではなかった、または碌でもないことだったという事例は枚挙に暇がない。
しかし親しいものが大怪我をして、その上後遺症が発生するかもしれないという事件がそれに該当するとなると、何とも言えない虚しさを感じると共に、犯人である男への怒りが急速に込み上げてくるのだった。
「ふうー……」
深く息を吐いて上昇してきた熱を逃がしていく。ここで怒りに任せた行動をとっては男を挑発して、精神的に追い詰めた意味がなくなってしまう。
そもそも相手が有利な状況を覆しきれているとは言い難い。むしろ『空間魔法』を使うことができると判明した分だけ差をつけられたとも言えるのだ。
ここで冷静さを欠いては確実に負けが決定してしまうことになる。
(この男はきっかけを作ったに過ぎない。問題だったのは迷宮の管理であり、何よりあの被害を発生させた者には既に罰が下されている。仇だとか余計なことは考えるな……)
ただ、男を倒すためにはどうすれば良いのか、という事にだけ集中していく。今この時だけは先に逃がしたニアの安否なども頭の隅へと追いやる。
「だが、騒ぎを起こした落とし前はつけさせてもらう!」
今度はこちらかが攻める番だと、気合を込めて瞬時に距離を詰める。
離れたままではまたゴーストを呼ばれてしまうかもしれないと判断したためでもある。たとえ新たに出現したところで敵ではないが、それでも倒すためには時間と手間と魔力と体力がかかってしまう。
向こうもそれなりの対価として魔力を使用しているのだろうが、最終的にはこちらの方が損となってしまいそうだ。
更にどうしてもゴーストへと意識を割かれるために、そこをついて攻撃を受ける恐れもあるのだった。
「た、はあっ!」
「ちいっ!」
加えて先の問答で動揺を誘えていたかもしれない、という淡い期待も込められていた。
しかしその願望は中途半端にしか叶うことはなかった。フェイントを織り交ぜた攻撃はそれまでとは異なって男の体勢を崩すことには成功したのだが、その体へと刃を届かせることはできなかったのである。
「まだだ!」
それでも好機であることに間違いはない。ここが押し時だと見たディーオは続けざまに短槍を振るっていく。
その内心で、こんなことならニアや四人組を相手にもっと模擬戦をしておくべきだったと一人毒づきながら。
彼を含めて冒険者の多くは魔物ばかりと戦っている者が多い。
中には商人や貴族などの護衛を専門として、盗賊や山賊などの人相手に戦った経験が豊富な者もいるが、それでも仮想敵として筆頭にくるのは魔物である。
そして当然の事ではあるが、魔物と人では相手にする際に立ち回りに違いが出てくる。
これまで何度も男とディーオの近接戦闘技術には差があると述べてきたが、その根本にあったのは対人戦の経験の差であった。
攻撃一つをとっても、短剣という攻撃範囲が狭い得物を用いながらも的確に急所を狙うことで、恐怖心を与え、武器の危険性を何倍にも高めていた。
また、恐怖心を植え付けられた者は本人が気づかない形でその人の行動の妨げをすることになるため、単純な攻撃以上の効果を引き起こしているのだった。
「――りゃああ!」
自分の動きに集中しようと意識するも、気が付けば短剣の刃に目が引き寄せられそうになり、交錯を繰り返していくごとに徐々に動きが悪くなっていく。
その剣身は遠目から発見され難いように反射を抑えた不気味な鈍色をしていた。
「ガキだから体力だけは有り余っていやがる」
小さな傷を作ることはなくなってはいたが、それは回避の際に余分に大きく動いてしまっていたからに過ぎない。
まだ肩で息をするようにはなっていないが、じきに体力が削られてしまうことになるだろう。
このままでは押し切られかねず、流れを変える必要がある。
「風よ!」
「うお!?」
叫びながら男の足元に窪みを生み出す。支部長から教わった魔法の使用方法だ。
忘れられがちなことだが、実は強固にイメージさえできれば魔法の発動に支障はない。その特性を生かした裏技的な方法であった。
もっとも本人はちょっとした悪戯の小技つもりであったようだが。
切り札の一枚を使っただけあって、ガクリと男の姿勢が崩れてこれまでにない好機を生み出していた。
すかさず穂先を心臓目がけて突進させる。
「やったか!?」
確かな手応えを感じて思わず叫んだディーオが目にしたのは、
「……残念、生きてるぜ」
衝撃を受けてたたらを踏んで後ずさったものの、膝をつくこともなく立っていた男の姿だった。
「とはいえ、これを着ていなかったらやばかったがな」
軽く叩いてから指さした先にあったのは、裂かれた服の下から覗く金属製の光沢だった。
「鎖帷子……?」
だが、鎖帷子ならばその形状から斬撃には強くても、刺突にはそれほど効果を発揮しないはずだ。矢や刺突用の細剣よりは太いとはいえ、ディーオの短槍も十分にその穂先は鋭いといえた。
「正解は鎖帷子の要所を金属片で補強していた、だ。胸部は広めに補強してはいたんだが、もう少しズレていたら危なかったぜ」
なんと皮肉にも狙いが正確だったがゆえに致命傷を与えることができなかったというのだ。
大袈裟に冷や汗を拭う真似をする動きとは裏腹に、男の目はディーオの懸命の策が失敗したことをあざ笑っているかのように細められていた。
弱い者であれば心が折られてしまっていたかもしれない。
「そうか。それは良い事を聞いた。次はそのどてっ腹に風穴を開けてやるよ」
しかしディーオは違った。
逆に不敵に笑ってそう言い放ったのだ。
冒険者として数年を、見習いの期間を入れればその倍の年月を生き延びてきたのは伊達ではない。わざとらしい男の狙いなどお見通しであり、これからどうすべきなのかをしっかりと理解していたのだった。
「口の減らねえ、くそ生意気なガキだぜ。……やれるもんなら、やって見せろや!」
「言われなくとも!」
互いに走り寄って武器をぶつけ合う。
そこにはもう戦術も戦略もなく、ただただ己の意志を押し通そうとする意地だけが存在していた。
狙ったものではなかったが、ディーオにとってはむしろ望むところだったともいえる。
このような場合には気合や根性といった精神論的な部分が重要となるため、例え技量が低かろうとも、例え不利な戦況であろうとも、心の持ち方ひとつでそれを引っ繰り返すことができる可能性が高くなるからである。
もっとも小手先の技なども使えなくなってしまうため、当人の地力が問われる戦い方でもある。
「ふん!」
「だらあ!」
渾身の力を込めたはずの突きが受けられ、払いが捌かれる。
その生じた隙に逆に攻撃が繰り出され、辛うじて致命傷を避ける始末だ。
「ぐっ!?」
短槍で受けようとしてもその一撃は短剣とは思えないような重たいもので、下手をすればそのまま押し込まれてしまいそうである。
事実、既に数回は力任せの攻撃に耐え切れずに短槍を弾かれていた。
ギリギリでその手を離さなかったのは運が良かっただけに過ぎない。
未だ心は折れていないが、確実にディーオは追い詰められていた。
 




