3 新情報
「ところで……、ジルさん、こんな所で何をしているの?」
ふと思い出したようにニアが尋ねる。
それもそのはず、エプロンドレスを着けてウエイトレスをしているものの、ジルの本業は冒険者だからである。
ちなみにディーオは初対面であるため『モグラの稼ぎ亭』のマスターが新しく雇った従業員だとばかり思っていた。
それというのも彼女がパーティーの仲間たちと一緒にマウズへとやって来たのは、ディーオが『新緑の風』と共に二十階層へとシュガーラディッシュの収穫に向かっていた時だったからだ。
それ以降も七等級ばかりで迷宮初心者だった彼女たちは低階層で活動していたため、面識がなかったのである。
対してニアは四人組と本格的にパーティーを組むようになって低階層の下部から中階層の始め近辺を集中的に攻略していた。
そのためか迷宮の出入り口や冒険者協会で顔を突き合わすことも多く、自然と会話する間柄になっていったのだった。
ジルの方はディーオのことを知っていたのは、マウズの町ではそれなりに有名人であったことと、ニアと四人組が色々と話していたからだった。
「実はあの事件の時に私たちのパーティーも被害を受けちゃって……」
「え!?誰か怪我をしたの!?」
四人組に続いて知り合いが巻き込まれたと聞いて、椅子を蹴り飛ばす勢いでニアが立ち上がる。
「あ、そっちは大丈夫。ほら、私以外の連中ってドワーフとか獣人だから丈夫なのよ。全員軽傷だったし協会から配られた回復薬のお陰で今はピンピンしているわ」
「そうなんだ。良かった……」
ほっと一安心したところで騒いでしまったことに気が付いたニアは、カウンターの奥の厨房から顔を覗かせたマスターに小さく謝ってから席へと着いた。
「だけど装備品は結構傷んじゃってね。元々中古でそれほど質が良くなかった物を仲間のドワーフに修理してもらいながら無理矢理使っていたから、いくつかは完全にダメになってしまったの」
「あー、それは危険だな」
ディーオもマウズに来た当初の頃は金に余裕がなく、似たような経験を持っていた。もっとも頼ったのは町でも有数の実力者であるドノワ親方であり、それがあるために彼からの酒の誘いを断り辛くなってしまっているのだった。
「この際だから装備品を新調しようという事になったのだけど、それなりに良い物を選んでいくと足が出ちゃって……」
「その金策のためにウエイトレスをしている、ということ?」
「正解。仲間たちも今頃あちこちを走り回ったり、どこかの店の手伝いをしたりで忙しくしているはずよ」
と言った後、ジルは「まあ、私はこの通り比較的のんびりとさせて貰っているけどね」と舌を出すのだった。
「ねえ、ディーオ」
「ああ。あの時の状況が分かるなら聞いておくべきだろう」
ニアの意図に気が付いたディーオはすぐに許可を出した。
「ジルさん、実は私たちあの事件の調査をしているんだけど、あの時何があったのかを教えてもらえないかしら?」
「調査?それは協会からの依頼?」
「いいえ。自主的にやっているだけ。もちろん分かったことは協会にも報告するつもりよ」
「ああ、そう言えば、あの四人が巻き込まれたんだっけ。彼らは?」
「救護所で治療してもらって大分回復してきている。後の問題は後遺症が出るかどうかというところだな」
「後遺症かあ……。冒険者を廃業する程の人は見たことがないけど、恐怖症とかが発症しやすいらしいわね。以前滞在していた村でお世話になった宿の店主さんも、若い頃に魔物との戦いで大怪我をして恐怖症になってしまったと言っていたわ。それ以来同じ種類の魔物とは戦えなくなったそうよ」
「その魔物って何?」
大半は興味本位ではあったが、頻繁に人里へと出てくる魔物であれば普段の生活にも悪影響が出ることもある。加えてそうした魔物であれば出会う可能性は高いため、聞いておく必要があるとニアは感じていた。
「確かご主人の話だと尻尾が剣状になった巨大なライオンで、背中の羽根で短時間なら空も飛べたらしいわ」
「剣尾大獅子だと!?空を飛んだとなると特殊個体だぞ!」
驚いて声を張り上げたのはディーオたちではなく、厨房にいたはずのマスターだった。どうやら夜の準備が終わったので店の方へと出てきたらしい。
ソードテイルレオとは名は体を表すという言葉をそのまま体現したかのような外見を誇る魔物である。尻尾を除いた全長で五尺を超える巨体であり、これまでに発見された最大のもの十尺にもなろうかという程の大物であったという。
しかしその最大の特徴は尻尾にある。一尺から二尺もの鋭い剣となっているのだ。その尻尾の剣は強くしなやかでありながら鋭いという高性能を誇っており、実用性、鑑賞性共に高いそれは魔物素材の中でも人気が高い品の一つとなっている。
しかし、主に魔境に生息しているためか迷宮以外ではほとんど遭遇する機会のない魔物でもある。
また、迷宮に出現する時も、かなり深部にしか現れた記録がないため、高位の冒険者でなければ遭遇することはないと言われている。
「迷宮以外でのソードテイルレオの出現報告はここ三十年の間に十件あったかどうかという程度だ。しかも特殊個体となると二十年前に魔境近くに村に現れたきりだったはずだ。ジル、その店主の名前は憶えているか?」
「ええと……、多分グラッジェスさん、だったと思いますけど……」
興奮して近寄ってくるマスターに若干怯えながら、ジルは当時のことを懸命に思い出していった。
「グラッジェス!『猛獣狩り』のグラッジェスか!すっかり名前を聞かなくなったと思っていたが……。そうか、あの件にはやつが関わっていたのか」
「マスター、知り合いなの?」
「直接会ったことはないが、評判はよく耳にしていた。『猛獣狩り』の二つ名の通り、獣型の魔物を狩るのを得意としているやつだったな」
そしてソードテイルレオは獣型に分類される魔物である。
「つまり、その人は得意としているはずの魔物との戦いで大怪我を負って、後遺症を受けてしまったという事なのか……」
改めて特殊個体の持つ異常なまでの強さを知り、ディーオは背中に冷たいものが流れていくのを感じていた。
「マスター、悪いんだけど話を事件のことに戻したい。構わないか?」
「すまないな、懐かしい名前が出たことでつい興奮してしまった。ジル、手が必要になったら呼ぶから、それまではディーオたちに覚えていることを話をしてやれ」
「いいんですか?」
「原因があるならさっさと見つけて取り除いてもらった方が売り上げになる。その代わり、ディーオとニアは調査の方をしっかりと頼む」
「はいよ」
「頑張ります」
ディーオたちの返事に満足したのか、マスターはカウンターの内側へと戻っていった。
「それじゃあ、あの時の話を聞かせてもらえるか」
「いいけれど、あまり期待はしないでよ」
そう前置きをしてから始まったジルの話をまとめると以下のようになる。
まずその事件、ゴーストが八階層に現れ始めたのは、ジルたちがちょうど八階層へと降りて来た時のことだった。
何やらざわついていると感じたのも束の間、通路の奥からいきなり何頭もの魔物が飛び出してきたのである。慌てて戦闘を開始したものの、押し寄せてくる魔物に足止めをされるような状態であった。
階段を登って七階層に避難するという案も出たのだが、このまま下がっては『越境者』を生み出すことになりかねないとして、その場で踏ん張ることにしたのだった。
幸い七階層からと八階層の奥の両方から援軍が駆け付けて事なきを得ることになったのだが、その時には既に彼女たちの装備品はボロボロになってしまっていたのだった。
「ということは、ジルさんたちはゴーストとは戦っていないの?」
「ええ。奥から来た冒険者たちは戦っていたそうだけど、私たちがいた七階層への階段近くには現れていないわ」
「それは妙だな。確か協会への報告ではゴーストは八階層の至る所に出現したとなっていた。七階層との階段付近にだけ現れていないというのはおかしい」
「そう言われても、会わなかったのだからそういうより他ないわ」
突然の反論にジルがぷくっと頬を膨らませる。落ち着いた外見の割に子どもっぽい仕草だなと思うディーオだった。
加えて、事件以降あまり積極的に情報収集をしていないのではないかと感じられた。なぜなら、ディーオが言ったことは冒険者協会から公表されていることだったからである。
「すまない。疑っている訳ではないんだ。ただ、出現した場所に偏りがあるとなると、何か狙いがあったのかもしれないなと思ったんだ」
「狙い?どんな?」
「今のところ思い付くのは、冒険者を八階層から追い出すことと、『越境者』を作り出すことの二点だな」
七階層との階段付近に出現しなかったことから、八階層から締め出すという印象を受けたのだ。
しかし前者はともかく、後者は最悪マウズの町にまで危害が及ぶ可能性がある。それは冒険者を呼び込むとされる迷宮の性質からは外れているようにも思われるのだった。
「それって迷宮が魔物を外に放逐しようとしているってことなの?」
「いや、それなら引き続いて何か騒ぎが起きているはずだ。昨日今日とで八階層入り口までを調査したが至っていつも通り階段付近に魔物が現れる様子はなかった」
新たな情報を得たことで、ディーオは今回の一件は迷宮が起こしたものではなく、何者かが迷宮で起こしたものなのではないかと考え始めていた。
「八階層を調査する前にもう少しあの時の事を詳しく知る必要があるか……。ニア、明日の迷宮内の調査は延期だ。町で聞き込みをする」
「え!?いきなりどうしたの?」
「感情に駆られて動いたこともあって、俺たちはあの事件の全体像が見えていない」
「全体像も何も、このところ続いている迷宮の異常のせいでしょう」
「それをはっきりさせるために情報を集めるんだよ」
「……言いたいことは分かったけれど、明確に全体像を浮かび上がらせるとなると、かなりの量と、高い確度の情報が必要になるわよ」
さすがは元研究者だけあって、ニアはディーオが求めるものの困難さをすぐに理解し、指摘してきた。
「量の方は当てがある。それを多少精査することができれば確度も高まってくるはずだ」
ディーオの言う当てとはもちろん冒険者協会の支部長のことである。今回の事件では死者こそ出なかったが四人組を含めて重傷者が多数出ている。そのため事件に遭遇した冒険者たちからの聞き取りが冒険者協会によって行われていたのである。先に挙げた公表されている情報もそうした聞き取りをもとに出されたものであった。
ディーオはその原本をこっそり拝見させてもらおうと考えたのだ。
「そういう事なら、私は入用になりそうな物の補充がてら、市場とかで話を聞いてみることにするわね」
「頼んだ」
暗に当ての先の探りを入れられ、更にそれが市場ではないと知られてしまったことに苦笑いをしながらディーオは明日以降の動きに考えを巡らせていくのだった。




