1 迷宮の異変と事件
四人組が大怪我を負ったのは八階層だった。その日はニアの都合が折り合わなかったため四人だけで迷宮へと潜っていたのだが、そこで普通ではありえない事態が発生してしまった。
九階層より下に生息しているはずのゴーストが階層を超えて大量発生したのだ。
これだけでも十分に異常事態なのだが、その程度では四人が大怪我をするようなことはなかっただろう。ニアとパーティーを組んで以降、彼らは様々な事態を想定して訓練を重ねていたからだ。
それは時に他の冒険者やパーティーを巻き込むほどで、一時はマウズにいた低等級冒険者の力量が加速度的に上昇する程であった。
しかし、エルダートレントとの取引成立発表を機にマウズの迷宮にはこれまでにない程多くの冒険者が訪れるようになってしまっていた。
当然、そうした冒険者のほとんどは迷宮についての知識や経験が全くなかった。これが、四人に不幸な結果をもたらす大きな要因となってしまったのである。
「いやあ、さすがにあの炎に巻かれた時は死を覚悟した――あ痛っ」
心配をさせまいとしたのだろう、努めて明るく口にするワンダの頭をディーオが軽く小突いた。
「バカたれ。向こうのパーティーは全員六等級だったって言うじゃないか。相手の力を確認しないから、そういうことになるんだよ」
「無茶しないでよ……」
ディーオの斜め後ろに立って、溢れそうなほどの涙を湛えたニアに小声で窘められてしまっては、救護所の大部屋の一角に並べて寝かされていた四人とも神妙な顔つきになる他なかった。
実は四人組の怪我は魔物にやられたものではない。異常事態に遭遇して逃げている途中に、迷宮初心者の冒険者に手を貸そうとして近づいたところ、パニックに陥っていた魔法使いが暴発させた中規模魔法に巻き込まれてしまったのである。
幸い、このパーティーに在籍していたヒーラーがすぐに回復魔法をかけたので大事には至らなかったが、ワンダの言う通り一歩間違えれば死んでいるところであった。
それに、大事には至らなかったというだけで全身大火傷を負ってしまったことに変わりはない。治療にはかなりの金と時間がかかることになる。
更に怪我が治った後にも問題は潜んでいる。死を身近に感じる程の出来事は恐怖として残り続けるからだ。
冒険者の中では、この恐怖を乗り越えることが上級冒険者となるための必須だと言われている。
それだけ冒険者という職業が危険と隣り合わせであるという象徴であると共に、少なくない数が恐怖を乗り越えることができずに冒険者を廃業しているという事実を端的に示すものでもあった。
「はっきり言って、その恐怖がどのくらいお前たちを侵食しているのか分からない。聞いた話だと、蝋燭の火を見ただけで体が硬直して泣き叫び始める者もいるそうだ」
「兄貴、硬直しているのにどうして泣き叫ぶ事ができるんだ?」
「そんなこと俺が知るか!……そんなことより、どうなんだ?」
ワンダの突っ込みをいなして、再度問う。ちなみにディーオの聞いた事例では、硬直していたのは首から下であり、逆に首から上は動かすことができたらしいのだが、そこまで詳しくは覚えていなかったのだった。
「今のところ、そういった不調はないっす」
ロスリーに続いて残る三人も異常はないと告げてくる。
「それなら、火への恐怖心はないという事?」
「いや、単純にそうだとは言い切れない。蝋燭なら平気でも火が大きくなれば発症するかもしれない。竈の火、暖炉の火、野焼きの炎と段階を踏んで確認していくべきだ」
それ以外に、炎に巻き込まれた場所に恐怖が起因する場合もある。
「夜中も普通に眠れているから暗所恐怖症ではないだろうが……」
閉所やもしかすると迷宮そのものに恐怖を感じるようになっているかもしれない。
「兄貴、ちょっと大袈裟じゃないか?」
「そんなことはない。一番危険なのは何に恐怖感じるのかが分からないことだ。言ってみればいつ弾けるかも分からない火球を持ち歩いているようなものだからな」
もしもそれが魔物との戦いの最中や迷宮を探索している時に弾けてしまったら、自分のみならず仲間もろとも間違いなく危機的な状況へと陥ってしまうことになるだろう。
ディーオの例えに四人もようやく事の重大さを理解し始めたようだ。
「まあ、今のところはそのことを覚えておくだけでいいさ。何と言っても暴れようにも碌に体が動かないのだからな」
「あまり気休めになっていないような気がするのだけど……」
ニアの言葉に同調するように、四人もベッドの上で引きつった笑みを浮かべていた。
「ともかく、まずは怪我を直して体力を取り戻すことだ」
「……そうだな。ここの治療代もバカにならないし、さっさと元気にならないと破産しちまう」
冗談めかして言っていたが、あの事件で四人は武器や防具もダメにしてしまっていた。細かな道具類まで揃えるとなると、金はいくらあっても足りないという状況なのである。
「快気祝いに基本の道具類くらいは俺が揃えてやるよ」
「兄貴……。シュガーラディッシュとシルバーハニーで荒稼ぎしたっていう割には、けち臭くねえか?」
「うるせえ。出してもらえるだけありがたいと思え」
四人がそれほど落ち込んでいないことに安堵しながら、ディーオたちはまだそれほど身動きが取れないために退屈していた彼らとの雑談に興じていくのであった。
救護所を出た後、ディーオとニアは特に行く当てもなくマウズの町中をふらふらと歩きまわっていた。
「付き合ってもらって悪かったな」
「パーティーを組んでいる仲間が大怪我したのだから見舞いに行くのは当然よ。あなたから礼を言われるようなことではないわ」
「そうか。……あまり気にするなよ」
「私が一緒に行けなかったのはちゃんとした理由があっての事よ。そのことは以前から伝えていたし、それを分かって迷宮に行ったのだから、責任はすべてあの四人にあるわ」
そう言いながらも、内心ではその場にいなかったことを後悔しているように見受けられた。勝気な言動が多い彼女だが、その分責任感も強いのである。
放っておくと一人でも原因究明のために迷宮へと突撃していきそうな危うさを感じられた。
「ニア、ちょっと手伝ってくれないか」
だから誘った。
「……何をするの?」
「俺たちは冒険者だぞ、やることなんて決まっているだろう」
「迷宮を調べるのね」
「ああ。協会の方は事件の後始末と再発防止で手一杯だ。任せて置いたら原因の解明なんていつになっても終わらないだろうからな。まあ、せいぜい中階層までしか行けないから、上手く何かを見つけられるかどうかすらも分からないけれど。それでも、ここでこうしているよりはいいだろう」
中堅どころとも言える六等級冒険者による魔法の暴発と多数の重症者の発生、冒険者協会マウズ支部は――というより支部長が――この事件を重く見ていた。
魔法を暴発させた冒険者及びそのパーティーは、先のエルダートレントとの取引成立の公表の後にマウズにやって来た冒険者たちの一組であり、そして同時にこれまで迷宮には一度も潜ったことのない迷宮初心者でもあった。
このパーティーや『新緑の風』など、中等級や高等級の者であっても迷宮には潜ったことがないという冒険者は多い。
ラカルフ大陸全体を見ても発見されて存在を知られている迷宮は両手の指の数にも満たない上、マウズの迷宮のように利用されているものになると片手の指で足りる程なのだからそれは当然の事だ。
そして今回の事件の一番の原因として支部長が指摘したのも、この点であった。
限られた空間に多くの冒険者が入り込むという特性のため、迷宮には独自のルールが付きまとう。
だが、迷宮初心者の中にはそのことを軽視するものが多く、特にそれまでに積み重ねてきた経験が多い等級の高い者にその傾向が強く見られていたのである。
事件が起きてから数日で、マウズの冒険者協会は改革のために動き出した。
マウズにやって来た全ての冒険者に迷宮探索の経験の有無の報告を義務付けたのだ。更に、経験がない者には初心者講習の受講も義務付けることにしたのである。
実は似たような改革案はこれまでにも迷宮を擁する各町の冒険者協会の支部で議論されていたのだが、その度に冒険者側からの反対を受けて頓挫していたのだった。
しかし、マウズの冒険者協会支部長は数少ない現役の特級冒険者であり、ある意味生きた伝説だ。逆らえる者などまず存在しない。
改革は断行され、やがては全ての迷宮都市へと広まっていくことになるのだった。
こうした事情もあって、冒険者協会には今回の騒動の原因を探るほどの余裕がなかったのである。
余談だが事件の首謀者となってしまった冒険者パーティーには、四人組を始めとした被害者への賠償と一等級分の等級低下が言い渡されている。
「……いいわ。今回のことは何か裏がありそうな予感がするの。だから手伝ってあげる」
「やけに断定的だが、何か心当たりでもあるのか?」
上から目線の物言いに苦笑しつつ、確信的なその様子に疑問を呈す。
「乙女の勘」
「なるほど……。それはバカにならないな」
ニアの感じたことが女性ならではものかどうかはともかくとして、ディーオはそうした直感は重要だと考えている。
しかし同時にそれに頼りきりになることは危険であり、知識や経験といったもので補強してやることで真価を発揮するものだと思っていた。
そしてそれは一人でやらなければいけないものではない。迷宮探索においては一日の長があるディーオが経験の役割を果たせるのであれば、彼女の直感を活かすことができるだろう。
ニアを誘ったのは不安定になっていた彼女の心を危惧したものだったが、上手くいけば本当に原因を究明できるかもしれない。そう考えると、明日以降の活動に光明が差してきたような気になるのだった。
とはいえ、四人組から何度か愚痴のように聞かされていたのだが、ニアの行動の大半はその鋭い直感に任せたものであるらしい。「当たりも多いけど、同じくらい外れも多い」というのは四人の中でも比較的冷静なマルフォーの言である。
どちらかといえばこれまた直感重視の四人組であっても、彼女の行動は時に突拍子もないと思えてしまうとか。
どうやって手綱を取るべきか。明日の待ち合わせを決めながら、ディーオは内心でそんなことを考えていた。




