6 新薬発見?
ブリックスが『水面の揺らめき』と共にマウズの町を旅立ってから数日後、ディーオはまた迷宮の二十階層を訪れていた。
十五階層で『転移石』が作動しなかった事故やその後の風評被害への対応によって延び延びとなっていた、支部長とエルダートレントの顔合わせのためである。
同じく前回同様『新緑の風』も護衛として付いていたため、道中はこれまでにないほど安全かつ素早いものとなっていた。
『転移石』で十四階層へと降り立った一行は、何とわずか一日で二十階層へ到着したのだった。
「いやあ、このところ溜まっていたストレスの解消になったよ」
とは支部長の台詞である。一連の出来事を受けて、彼はここしばらくの間ずっと事務処理や裏工作へと掛かりきりになっていたのである。
その際に溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、遭遇した魔物を片っ端から倒していた。ディーオの『空間魔法』によって異空間へと〈収納〉された魔物素材約百体分の内、八割以上が支部長の倒したものだと言えばその圧倒的な力量を理解してもらえるだろう。
リンが真面目な顔で、
「私たちが付いて来た意味ってあるのかしら?」
と悩むのも当然のことである。
もちろん普段であれば、支部長もこんな暴走じみたことはしない。
例えば、ディーオはこれまでにも迷宮内で偶然出会って行動を共にしたことが何度かあるが、その際にはディーオの力量に合わせ、さらに時折もう一段階上の動きができるように誘導するのが常だった。
協会に所属する教官たち指導役も、支部長の教えを受けてそれを参考にして新米冒険者を指導しているのだという。
つまり今回の支部長の行動は、とても彼らしくないものであったのだ。
同行していたのが二等級、つまり何かを教えなくてはいけないような相手ではなかったことも一因となっていたのだろうが、それ以上に先の問題への対処に多大な労力が必要となっていたことの表れなのであった。
そんな支部長の異常に気が付いたディーオは、少しでも情報を集めておくべきだと感じて、すぐに行動を開始した。
「何か面倒なことでもあったんですか?」
もうすぐ日が暮れるという事で野営の準備が始まったのを幸いにこっそりと支部長に近づき、本人から事情を聞き出すことにしたのである。
「うん?ああ、大したことじゃないよ。足元でキャンキャンと喚かれた籠の小鳥が驚いてピーピー鳴き叫んできただけのことさ」
要するに、市井の流言に唆されたマウズの関係者が口を出してきた、という事であるらしい。
わざわざ「籠の小鳥」と称したことから王族、もしかすると国王本人からだったのかもしれない。
「あんまりうるさいものだから、ディーオの真似をして「確保してあるシルバーハニーを一度に全部流通させてやろうか」って脅したら、すぐに大人しくなったよ」
あっはっはと朗らかに笑う支部長だったが、結果的にその方法を教授してしまったディーオとしては笑えるものではなかった。
「元々シュガーラディッシュにシルバーハニーと、甘味を定期的に放出できることからこちらの優勢は揺るぎないものだったんだ。そのことにも気が付かないくせに協会を牛耳ろうなんて、いかに不遜な考えなのかを知らしめる良い機会になったよ」
この国の貴族連中――しかも中枢に近い位置にいる――の中には、国内の『冒険者協会』を金の生る木か便利な道具のように思っている者もいるようだ。
他国から見下されてきたはずだと納得するとともに、少しばかりこの国の先行きが不安になるディーオなのだった。
そんな予定外なこともあったりしたが、本題の支部長とエルダートレントの顔合わせの方は問題もなく終始和やかに行われた。
そして、協会とトレントの取引内容についてもサクサクと詰められていった。
概要としては、これまでは各冒険者に任せていたシュガーラディッシュの採取を、マウズの協会の管理の下に定期的に行うことでシュガーラディッシュの増加を抑制するというものである。
その対価としてトレント側はエルダートレントの枝を一カ月当たり一本から二本提供するという事になった。
「一カ月というのは三十日だと言ったな。それくらいであればもう少し多く渡すことも可能じゃが?」
「これまでエルダートレントの枝を定期的に確保するという事は出来た試しがありません。人間の欲は際限がないので、まずは慎重に推移を見守る必要があるのですよ」
エルダートレントの問いに支部長はもっともらしいことを言って返していたが、実際のところは希少価値を高めたままにしておこうという魂胆があるのではないか、とディーオは推理していた。
「こちらとしてはシュガーラディッシュの採取でも利を得ることができますので、どうぞご心配なく」
「そういう事であるなら、ここは素直に従っておくべきじゃろうな」
こうしてマウズの冒険者協会は、長い協会の歴史の中でも初めてとなるエルダートレントとの取引を締結することになったのだった。
「あ、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんじゃ?お前たちには先日の借りもあるから、儂が知っていることであれば何でも教えてやるぞい」
シュガーラディッシュの特殊個体を倒して、トレントたちを救い出したことには未だに感謝しているようで、突然割って入ってきたディーオの言葉にもエルダートレントは嫌な顔一つせずに応えたのだった。
「それじゃあ、遠慮なく。キュナルア草っていう薬草がこの迷宮内に生えているかどうか分かるだろうか?」
ディーオの態度に少しは遠慮しろ、と心の中で叫んでいた支部長と『新緑の風』の面々だったが、その後の言葉に驚き過ぎて固まってしまった。
いくら意思の疎通が図れるからといって、まさか魔物に情報提供を求めるとは思ってもみなかったからだ。
「キュナルア草じゃと?これはまた珍しいものを探しているな。誰ぞ病気か何かか?」
「まあ、そんなところだ」
しかし落ち着いてくると、それは理に適ったとても有用な問いかけではないかとも思えてきた。
相手は植物型の魔物であり、更に迷宮の介入を受けて特殊個体化している。通常では知り得ないようなことまでも知識として持っていても不思議ではない。
事実、エルダートレントはキュナルア草の名前を出すだけで、こちらの事情をある程度悟ったようであった。
「残念じゃがこの近くの階層にはなさそうじゃのう。あるとすれば最深部近辺じゃろうが……。悪いがそこまでは儂の力は及んでおらん」
しかし、結果は行ってみなければ分からないという何とも不明確なものだった。一方的に感じた事ではあるが、光明が射したと思えてしまった分、五人の落胆は大きかった。
「ところで、コナルア草は試してみたのか?」
が、ここでとんでもない爆弾が投下されることになる。
「コナルア草?何だそれは?」
聞きなれない名前にディーオが問い返す。
「キュナルア草よりは効力は弱いが、多くの病を癒すことのできる薬草じゃ。人間たちが罹る病なら大抵はこちらで治るぞい」
慌てて同行した者たちへと顔を向けたディーオだったが、誰もが首を横に振るばかりであった。
大陸中を歩き回った経験を持つ『新緑の風』だけでなく、その上いくつかの迷宮の深部にまで足を踏み入れたことのある支部長ですら、そんな話は聞いたことがなかったのである。
「そ、そんな薬草が存在するのか!?」
旅の目的を果たすことができるかもしれないと、慌てて尋ねたのはグリッドだ。
「なんじゃ、キュナルア草のことを知っているくせにコナルア草のことは知らんのか?存在するも何も、ほれ、そこに生えているじゃろうが」
エルダートレントが顎をしゃくって――実際には動いていないのだが、あまりにも人間臭い動作だったためにそう見えたのだった――見せた先には、見るからに雑草といった感のある草が数株密集して生えていた。
「ついでにそっちに生えているショナルア草も摘んでおけ。呪いであったとしても解くことができるじゃろう」
唖然としていたところに間髪入れずに二発目の爆弾が投下される。
連鎖爆発によって頭の中がすっかり真っ白になってしまったディーオたちが再起動したのは、実に四半刻以上過ぎた後のことだった。
「こ、これであの方を救うことができる!」
込み上げる喜びにどっぷりと浸っている『新緑の風』の面々に対して、支部長は難しい顔をしていた。
「支部長、どうしたんですか?」
「ディーオ……。分かっていて言っているだろう」
ジロリと睨みつけられて肩を竦める。
「まあ、大まかなところは予想が付きますけど。あの話をどこまで公表するべきか、っていうことですよね」
「今までただの雑草だと思われていたものが万能薬に近い効果を持っているだなんて公表できるものか!下手をすれば『薬師ギルド』が壊滅するぞ」
回復魔法が使える人材はどうしても限られてくるため、特に一般の人々は『薬師ギルド』が調合した薬に頼ることが多い。
こうした事情があるため『薬師ギルド』は比較的安価な値段で各種の薬を市場に流している。だが、効果が高いとされるものはやはり高価であり、庶民には手が届かないというのが現状だ。
そのため、治療薬を買うことができずに泣く泣く家族や友人、恋人を見送るしかなかったという人は決して少ないのである。
「だけど、このままって訳にはいきませんよ。あれが世に出回ることで多くの人の命が救われることになるはずですから」
「それも重々承知しているよ。私だって助かるはずの命を見殺しにするようなことはしたくないからね。だけど段階を踏む必要があるだろう。この情報が出回ることで命を落とす人があってはならない」
そう言い切る彼の姿には、小国のそのまた新興の町にある支部とはいえ、多大な影響力を持っている『冒険者協会』の長であるという自負を、しっかりと見ることができた。
「とりあえず今回のことは私の伝手を使って、秘密裏に『薬師ギルド』の新薬研究をしている部署へと話を通しておくことにするよ」
「ここから先は一介の冒険者には手が出せそうにもありませんから、お任せしますよ」
「できれば私も、そちら側にいたかったのだけどね……」
大きくため息を吐く支部長。
しかし、こういう時にやたらと声を掛けると絡まれるだけだと知っていたディーオは、明後日の方を向いて知らない振りを決め込むのであった。
 




