2 キュナルア草
遠く離れたストライ王国を拠点とする二等級冒険者パーティー『新緑の風』がマウズにやって来た目的は、彼らと関係のある貴族、トゥナマ・グロー男爵の縁者の病を治す材料を探すためだった。
「それで、彼らの目的とする薬の材料が何か聞いているのかい?」
「キュナルア草という薬草の一種だそうです」
「キュナルア草だって!?どんな病をも癒すという万能薬の基礎になるとされている薬草じゃないか!」
「随分とあやふやな情報だなあ……」
支部長が珍しく驚いた声を出していたのだが、はっきりしないその内容の方にディーオは胡散臭さを感じていた。
「ああ、万能薬は四肢欠損すら回復させるという最上級回復薬や、死者の魂を呼び戻すという蘇生薬と並んで、薬学の最終到達点だと言われているものの一つだ。錬金術における賢者の石と同じようなものだね」
要するにそれはほとんどお伽噺のような扱いだということである。
「でも、迷宮の深部限定ではあるけどキュナルア草は実在しているし、単体でも高い薬効を誇ると言われている」
「薬効についてはともかく、実在することには自信があるようですけど?」
「そりゃあ、実物を見ているからね」
さらりと返してくるのがこの支部長の恐ろしいところである。それはつまり、迷宮の深部へと足を踏み入れたことがあると明言しているのと同じことで、『世界最強の一角』という呼び表される現役特級冒険者の力を如実に示すものだと言えた。
だが、『異界倉庫』を作り出してはディーオを含む異世界の自分たちにその使い方や『空間魔法』を教授するという偉業を成している人物が身近に存在するためか、ディーオが支部長に臆するということはない。
そしてそのことがどれだけ特別なことであるのかを理解していてはいなかった。
逆にそのことが支部長に気に入られる要因の一つになっていることにも気が付いてはいなかったのだが。
「もしかして、それが……?」
「まず間違いなく『新緑の風』が三十二階層という具体的な階層を提示する原因となったものだろう。ちなみに場所はストライ王国にあるキヤトの大迷宮だよ」
支部長の言葉はディーオが予想したものとほぼ同じだった。唯一異なっていたのは、その根拠となる発見をしたのが小さな机越しの正面に座っている支部長本人だったということくらいだ。
「まあ、これでようやく『新緑の風』のこれまでの行動が大まかにだけど理解できた気がするよ」
と言って、支部長はこれまでの話をまとめ始めた。
まず、『新緑の風』が拠点としているストライ王国の地方小都市グローの領主であるトゥナマ・グロー男爵の縁者が何かしらの病に罹ってしまった。
その病を治療するためにキュナルア草が必要だと判断した『新緑の風』は、過去に発見された実績のある同国内のキヤト迷宮へと向かった。
しかし、トゥナマは当代きっての英雄と呼ばれる半面、古くからの貴族からは疎まれる存在でもあった。そのため何らかの妨害があり、キヤト迷宮に入ることはできなかったのだろう。
次善の策として、自由に国境を越えられる冒険者としての立場を利用し、他国の迷宮に挑むことにした。
「――と、多分こんな流れだろうね」
それはグリッドたちから直接説明を受け、つい先程支部長からストライ王国の貴族たちの確執についての講義を受けたディーオが閃いた想像図と等しいものだった。
「いくつかある迷宮の中で、マウズの迷宮を選んだ理由は?」
「新興の迷宮都市だから、腕の立つ冒険者が集まっていると考えたんじゃないかな。後、ストライの近くだと動きが把握されて妨害を受ける危険性があるから、それを考慮したのかもしれない」
支部長は一通り推理してみせた後で「当たっているかどうかは本人たちでないと分からないけれどね」と肩を竦めたのだった。
「一応、他国の貴族と繋がりがあることから、警戒は続けることになるだろう」
支部長の判断は当然のもので、マウズの町が所属しているグレイ王国の貴族と関係がある冒険者ですらも警戒対象となっている。
余談だが支部長を始めマウズの冒険者協会の職員たちは、『新緑の風』以外にも他国の貴族と関係がある者や、他国の諜報機関との接触があった冒険者について複数名把握している。
そしてこれらの情報はディーオたち一般の冒険者に知られることはない。
「ところで、ここの三十二階層、というかマウズの迷宮自体にキュナルア草はあるんですかね?」
聞くべきかどうか少しの間悩んだ末、ディーオはある意味最も重要な点について切り込んだ。
「キュナルア草はその効果の絶大さから、発見されてもその情報が秘匿されることが多い。……これが答えだよ」
何せ万能薬を作る大元になる――とされている――のだから、どんな手を使ってでも手に入れようとする輩はいくらでもいる。
それこそ現在では一歩引いて金銭的支援と町の整備だけにとどめているマウズ王国が、目の色を変えて自分たちで迷宮を支配すると言い出しかねない程の代物なのだ。
「つまり知りたければ自分で行け、ということですか」
「悪いけど、そういうことだね」
淡々とした支部長の態度に、ディーオはこのままごねて話を長引かせようとしても無駄であることを悟る。
しかし、いいように使われただけのような気がしてこのまま引き下がるのも癪だ。ここは打つ手を変えてみることにした。
「ああ、支部長。そういえば戻ってくる時に迷宮の形が大幅に変わっていたことや、そしてモンスターハウスの罠も作動させてしまったことについては報告してありましたよね?」
「うん?確かに報告書には書かれていた気がするけれど……。ああ、そこには書けないようなことがあったということか」
「さすがは支部長、ご名答です」
「止めてくれ。君がそういう言い方をすると、決まって碌なことがないんだから」
酷い評価のされ方だが、そう言えば迷宮内でこっそりとパーティーを組んで行動した時、面倒な魔物が寄って来ることが分かった際などに、今の言い方を多用していたような気がする。
「はいはい。それで、その時にこんな魔物にも集られまして……」
なんとなく不利になりそうだったのでさっさと話題を進めることにしたディーオは、魔法を使ってどこかに収納していた一匹の魔物の遺体を取り出した。
「ホワイトビー!?まさかこれが――」
「ざっと百匹以上は入っていると思います。シュガーラディッシュだけでも手一杯だったようなので、こっちは少し様子を見させてもらっていたんですよ」
「ひゃっ!?百匹以上だって!?」
支部長もディーオのことだから、帰るついでとばかりにホワイトビーを狩ってくるだろうことは予想していた。
同行していたのが二等級という実力者揃いだったので、特に危険はないだろうとも。
だが、いくらなんでも百匹以上もの数を乱獲してきたのは完全に想定外だった。
ただでさえ予定していた量の数倍のシュガーラディッシュが確保されたということで市場は大騒ぎになっていたのだ。シルバーハニーまで加わってしまえば確実に破綻してしまう。
更に、一度に大量の甘味が世に出回ることによって大規模な値崩れが起きてしまう可能性もある。
せっかくの目玉商品が、大々的に売り出す前に不良在庫になりかねない。ディーオたちが自重してくれて助かったと、ホッと息を吐く支部長だった。
ちなみに、他の魔物に関しては全て放出済みで、金に代わってそれぞれに分配済みだった。
ホワイトビーだけは扱いが難しいことと、エルダートレントからの報酬を受け取っていないということで、全てディーオに任されていた――押し付けられたとも言える――のである。
「……分かった。ホワイトビーに関しては全て冒険者協会の方で引き取ろう。しかし生憎、百匹を超えるだけの数となると備蓄している金貨でも足りなくなる。よって、五等級冒険者ディーオには特別に、マウズの迷宮の秘匿事項について一部閲覧する権利を与えることで、代金の一部とする」
「ありがとうございます」
厳かに宣言する支部長に、頭を下げるディーオ。
「ふう……。まさかディーオに脅される日がこんなに早く来るとはね」
「……俺が支部長のことを脅すのが決定事項だったように言うのは止めてください」
「いやいや、凄腕の冒険者っていうのは多かれ少なかれ他者の弱みを握っているものさ。そしてそれの使い方が滅法上手い。今の君のようにね」
その弱みを突かれた格好のはずなのに、支部長は上機嫌で笑っていた。
もしも今のネタを使って強引にこちらの要望を通そうとしていたなら、逆に潰されてしまったのではないか。そんな言いようのない寒気を感じてディーオは小さく身震いをするのだった。
「ここからは機密事項だ。心して聞くように。……このマウズの迷宮にキュナルア草があるかどうかだけど、残念ながらまだ発見されていない。ただ、三十二階層前後の階層の環境はキュナルア草が発見されたキヤト迷宮と似ている部分はあるから、可能性はありそうだというのが今のところの調査結果だね」
それはどちらかといえば調査団の願望に近いものではないだろうか。支部長の説明にディーオは密かにそんなことを考えていた。
しかしそうなると、今後の行動にも影響が出てきそうだ。
「おっと、今の話を直接彼らにするのは勘弁してくれよ」
「直接でなければ良いんですか?」
「その辺りの裁量は君に任せるよ。まあ、あまり露骨な真似はしないで欲しいけどね」
釘を刺してきたことへのせめてもの反撃としてわざとらしい質問を返すと、支部長は苦笑しながら答えるのだった。
とにかく、あるにせよないにせよ、明言してしまうだけで騒動の種になってしまう程の貴重なアイテムだということは肝に銘じておく必要があるだろう。
やはり迷宮の踏破というものは一筋縄ではいかないものだなと、ディーオは気合を入れ直すのだった。
「さて、それじゃあ新しく発生した重要案件について、詳しく説明してもらおうか」
そういえば、迷宮の介入を受けて特殊個体になった彼ならば同じ植物のことであるし、階層が違ってもなんらかの情報を持っているのではないだろうか。
支部長に促されてエルダートレントとの取引についての話を始めながら、ディーオはそんな淡い期待を抱くのだった。




