5 森林火災擬装作戦
エルダートレントとの会話をした翌日、ディーオたちはトレントたちの救出並びにシュガーラディッシュ確保のための準備を進めていた。
ちなみに、エルダートレントからの聞き取りや偵察の結果、シュガーラディッシュ側は特殊個体がいるだけで変異種化までは進んでいないことが判明している。
「しかし、本当にこんなことで上手くいくのか?」
ディーオが虚空から取り出した大量の枯れ木や枯れ草を横へ横へと並べながら、グリッドがぼやいた。
彼らがやろうとしていることは、シュガーラディッシュとその支配下にあるトレントの周囲に配置した枯れ木枯れ草に火をつけて、森林火災が起きたように見せかける、というものだ。
「確かに人間でもショックを与えてやることで、魅了とか精神操作から解けやすくはなるが……」
植物である彼らにとって火災は最も恐ろしいものの一つであり、それを装うことで揺さぶりをかけてやろうという狙いなのであった。
「トレントがシュガーラディッシュの精神攻撃の影響を受けるという話はそれなりに有名だけど、実際にその状況に遭遇したことはなかったからなあ……。どうなるか見当もつかない」
ディーオは一応支部長から、そうした場合の対処方法を教わってはいたが、基本的に「近づかれる前に殺れ!」というものだったので、今回は全く参考にできなかったのだった。
「ちょっと、あなたたち!口を動かさずに手を動かしなさい」
「それと、文句があるなら別の案を提示してください」
珍しく力仕事を率先してこなしている――枯れ木枯草なので、重さ自体は大したことがないのだが――リンとルセリアの女性陣二人からお叱りの声が飛んでくる。
「グリッドさん、リーダーなんだからここはビシッと言うべきでは?」
「おいおい、無茶言うなよ!?あれだけやる気になっている二人に口を出すなんて自殺行為以外のなにものでもないぞ!?俺はまだ死にたくないからな!」
慌てて拒否するグリッドにディーオは残る男性陣二人の方へと視線を飛ばすも、同意見なのか目を逸らされてしまった。
薄々は感じていたが、戦闘中や探索中以外での『新緑の風』の力関係は、完全に女性陣の方が上であるらしい。
余談だが、リンたちがやる気に満ち溢れているのは、成功報酬としてエルダートレントから彼の枝を数本分けてもらえることになっているからである。
元々エルダートレントという種族自体、魔法使いの杖を作るのに向いている。その上彼は迷宮の干渉を受けて特殊個体となっていることもあって、その枝はかなり上等な素材ということになるのだ。
そうした貴重品を手に入れる機会とあって、女性陣のやる気は鰻登りになっていたのだった。
二十階層の各所にある森や林に行っては大量の枯れ木枯れ草――一部生木も混じっていたが――をかき集めては、シュガーラディッシュを取り巻くトレントたちから少し離れた場所へと配置していくこと丸一日、ついにシュガーラディッシュの森を一周枯れ木で取り囲むことができていた。
「やっとここまできたか……。まずいな、これからが本番のはずなのに妙にやり切った感に浸ってしまう」
「仕方ないわよ、実際かなりの手間だったし。ディーオがアイテムボックス持ちで本当に助かったわ」
「それと、エルダートレントさんがあらかじめ連絡を入れてくれていたことも感謝しないといけませんね。お陰で無駄な戦いをせずに済みました」
「いやあ、自分たちの為でもあるんだから、あれくらいはしても当然な気もする」
現在は止まっているが、これから先シュガーラディッシュの群生地の拡大が再び起こらないとは限らないのだ。
明日は我が身となるかもしれない、という恐怖心が各所のトレントたちの中にもあったのかスムーズに枯れ木枯れ草を集めることができた。
単にエルダートレントの彼に悪い意味で目を付けられるのを避けただけなのかもしれないが。
「それにしても、周りのトレントたちから十尺くらいしか離れていないというのに、シュガーラディッシュからの妨害もなかったな」
最悪、精神操作を助長する薄桃色の煙が飛んでくるかと思い警戒していたのだが、そうした様子もなく無事に枯れ木の設置が完了したのだった。
実はこれにはシュガーラディッシュとトレントの関係が密接にかかわっている。
魅了状態にあるトレントは、いわばシュガーラディッシュよりも下位に位置付けられている。そのため、ディーオたちの行動を不審に思っても、そのことを報告するように求められない限り、シュガーラディッシュ側に伝えることができないのであった。
一方、シュガーラディッシュはというと、自分たちの壁にするためにびっちりとトレントに周囲を覆わせたために、一種の隔離状態となっていた。元より知能などほとんどないシュガーラディッシュたちは、外側の様子について知ろうとすることもなかったのである。
そうした事情もあって、ディーオたちは安全確実に準備を整えることができたのだった。
「後は一斉に火をつけて火事を装うだけだな。だが、風魔法を使えるのはリンだけだし、それで上手く騙すことができるのか?」
グリッドはここにきてもなお計画に半信半疑であるようだ。
「そこはほら、移動して色々な方向から煙を流していくつもり。それに煙自体は感じられなくても火の熱を感じられれば、逃げるなり消すなり動いてくれるはずよ」
パニックになって逃げだしてくれるのが一番だが、最悪、シュガーラディッシュの精神操作が弱まってくれさえすれば、後はエルダートレントの方で何とかしてくれるという流れになっている。
「ディーオ、そっちも本当に一人で大丈夫なのか?」
そして肝心のシュガーラディッシュの採取はディーオに一任されることになっていた。
「ああ。これが初めてって訳でもないし問題ない」
抜いたそばからアイテムボックスへと〈収納〉できることもさることながら、これまで何度もシュガーラディッシュ採取を成功させてきた経験が認められた形になる。
「特殊個体っていう不安要素はあるけど、危険だと思ったらすぐに逃げることにするさ」
「まあ、あの壁を突破できる魔物が早々いるとは思えないしね」
エルダートレントの攻撃を防ぐのに使ってしまった〈障壁〉については昨晩、血縁によって使用できる特別な魔法ということにして説明してあり、秘密にしてもらう約束を取り付けていた。
血縁によってのみ使用できる魔法というのはそれなりにあるもので、場合によっては貴族家の証明手段になっていたりもする。
一方で秘匿されることも多いので、誤魔化す際に利用するのにちょうど良かった。
「それでもだ、少しでも異変を感じたらすぐに逃げて来いよ。二等級冒険者の名に懸けてぶっ潰してやるからよ」
バシンと右拳を左掌へと打ち付けては獰猛な笑みを浮かべるグリッド。
再度言うが彼らの仕事はシュガーラディッシュの採取である。もしも逃げることになったら、ぶっ潰されてしまわないように他の人の所へと誘導しよう、と心の中で誓うディーオであった。
こうして始まった森林火災擬装作戦は驚くほど上手くいった。
作戦立案をしたリンとルセリアの読み通り、トレントを始めとした植物魔物たちは火を恐れる傾向にあり、周囲を取り囲む枯れ木から発せられる熱や煙を受けて、あっという間にパニックに陥ったのだった。
これにはシュガーラディッシュの精神支配下にあって正常な思考ができていなかったことも大いに関係していたのだが、現段階でそれに気付いたのはエルダートレントただ一体のみであった。
そしてそのエルダートレントだが、作戦成功の第一功労者というほどの働きを見せることになった。
まず、枯れ木に一通り火が付き燃え上がった時点で、
「火事じゃーーーー!!!!」
と叫んでトレントたちのパニックを煽り、更にその後、
「こっちじゃ!こっちに逃げてくるのだ!」
シュガーラディッシュの精神攻撃が届かない場所まで誘導したのだった。
一方、トレントたちを支配下に置いていたシュガーラディッシュはというと、状況の変化に付いていけていなかった。
元々の知能が低かったことに加え、周囲をトレントたちに固めさせていたことで擬装火災の熱を感知することができなかったからである。
こうしたことから大幅に初動が遅れてしまい、丸裸にされたシュガーラディッシュはせめてもの抵抗として薄桃の煙を大量に発生させたのだった。
「それじゃあ、行ってくる」
ここからは自分の出番だとばかりにディーオがシュガーラディッシュの群生地へと突貫していく。
もちろん既に対策は終えている。自身の体を覆うように〈障壁〉を展開しているのだ。
「煙が濃いのも好都合だしな」
通常であれば視界が遮られて危険この上ないのだが、ディーオの脳内には〈地図〉と〈警戒〉によって地形から魔物の配置まで丸分かりになっている。むしろ外からの視線を遮る体の良い壁だと言えた。
躊躇することなく煙の中へと飛び込むと、そこには足の踏み場もないほどシュガーラディッシュが密集していた。
「これはまた増えたものだな」
見える範囲だけでも百近くはあるだろうか。脳内地図にはシュガーラディッシュを示す光点で周囲が染まっていた。
さて、特殊個体のこともあるし、のんびりとはしていられない。ディーオはさっそく収穫に、入る前に余計な部分を切り取ることにした。
「〈裂空〉」
体勢を低くして右手を横一文字に振るうと、放たれた衝撃波がシュガーラディッシュの地上部分、すなわち茎と葉を刈り取っていく。
シュガーラディッシュが糖分を蓄えているのは球状の根に当たる部分だけであり、茎や葉は精神攻撃を助長する煙を発生させる邪魔な部分でしかないためだ。
数回同じことを繰り返して付近の茎や葉が粗方落ちたことを確認すると、いよいよ採取の開始である。
「〈転移〉、……〈収納〉」
ここでも『空間魔法』を存分に活用していく。地中に埋まったシュガーラディッシュを〈転移〉で空中へと移動させては〈収納〉で仕舞っていく。
一つずつにはなるが特殊個体の確認も兼ねているのでこればかりは仕方がない。〈転移〉確認〈収納〉の三つの動作を流れるように繰り返していく。
目標は百個だったが、特殊個体が発生した一群を放置しておくのは危険――再び特殊個体が発生し易く、変異種化する速度も増すと言われているため――である。
そして迷宮からの介入が金輪際起こらないとは言い切れないため、将来的にシュガーラディッシュの確保が困難になる可能性もある。
よって魔力の続く限り取り尽くすつもりでいたのだった。
余談だが、迷宮内では絶滅を心配する必要はない。いつの間にか迷宮によって補充されるためである。
しかしながら、迷宮外で間違ってそうした行為を行わないようにするため、迷宮内での採取も基本的には二割から三割は残すことが、冒険者たちの暗黙のマナーとなっている。
時間にすれば四半刻ほどであろうか、時折〈転移〉で障壁内の空気を入れ替えながらも、ディーオは群生したシュガーラディッシュの実に半分、目標の数倍の数を確保していた。
さらに次のシュガーラディッシュを〈転移〉させようと魔力を集めた瞬間、強烈な悪寒に襲われた。
「〈跳躍〉!」
すぐさま使用する魔法を切り替えて距離を取る。と、先程までいた場所が巨大な手によって殴りつけられていた。




