4 エルダートレントとの対話
クウエに認められたことで『新緑の風』の面々のディーオに対する態度は劇的に改善されることになった。
早い話が同じパーティーを組む仲間として受け入れられたのである。
「ディーオ、あのエルダートレントのさっきの一撃、どう思う?」
「すぐに引いたし、多分こちらの力量を見るつもりだったんじゃないか」
「うむ」
ディーオの返答にクウエも同意する。予想に過ぎないが、もしも本気であれば自分の身を守るのに精一杯となり、クウエどころか近くにいた『新緑の風』の残るメンバーも守ることができなかっただろう。
「だよな……。悪いがディーオは防御に専念してもらえるか。やつには会話が成り立つだけの知能はあるようだから、この状況についての情報を仕入れておきたい」
攻撃を受ける直前、ルセリアの独り言に割り込んできた際の言葉を信じるならば、ディーオたちの足元の状況はトレントたちが移動して行った跡ということになる。
実は植物系の魔物の移動というのは数本から十本程度ならそれなりに起きている現象だ。しかしここの場合、見渡せる限りの土が掘り返されていた。
この二十階層どころか、迷宮の外でも聞いたことのない異常事態だったのである。
「了解。近付く分だけ向こうの攻撃は早くなるはずだから、できるだけ一カ所にまとまるようにしておいてくれ」
二等級という高レベルにもなると、大商会や貴族といった人々との接触や交流はよくあることである。グリッドの指示の通り、会話や交渉は『新緑の風』のメンバーに任せた方が効率が良さそうだ。
ただ、その相手が魔物のエルダートレントだということが気がかりではあるが、それでも迷宮に潜ってばかりの自分よりは確実にマシなはずだ。
「〈警戒〉」
小声で『空間魔法』を発動して周囲への耳と目を密にする。特に先ほどのような根での攻撃を用心して、地中へも意識を割り振っておくことにした。
グリッドやガンス、クウエの近接戦闘を得意とした、要するに頑丈な男たちを前面に配置して、一塊になってゆっくりとエルダートレントに近づいていく。
「そんなに警戒せんでも、もう攻撃したりしないわい」
と、エルダートレントがぼやいても、その進行速度を変えることはなかった。
この愚直とも頑固とも取れる慎重さが『新緑の風』の持ち味であり強みなのだろう。ディーオは『空間魔法』を使うかたわら、頭の隅でそんなことを考えていた。
じわじわと通常の何倍もの時間をかけてようやく巨木の前へと辿り着く。
「元は木である儂を待ちくたびれさせるとは……。おぬしら本当に人間なのか?」
気のせいか皮肉めいた言葉を発するその声には、先程とは異なりどことなく疲れが滲んでいるように感じられた。
「それでいて儂の間合いはしっかり避けておる。やれやれ、とんだ相手にちょっかいを出してしまったものじゃ」
見上げれば生い茂る枝葉よりほんの少しだけ外側にいた。つまり目前の巨大樹の支配領域からわずかながらに外れているのだ。その絶妙な位置取りにディーオは舌を巻いていた。
「まず問う。なぜいきなり攻撃を仕掛けてきた?」
返答次第では即戦いになる。グリッドだけでなく前衛三人が揃ってそんな空気を生み出していた。ふと両側を見ると、リンとルセリアもすぐにでも魔法が使える態勢へと変わっていた。
間違いない、状況にもよるが彼らはこの巨大な魔物と一戦交えることを覚悟していたのだ。
まずは話しかけてみて様子見をするのだろうと暢気なことを考えていたことを恥じると同時に、ディーオは経験の差というものの大きさについて痛感していた。
恐らくだが、支部長はこうした事態を想定していたのではないだろうか。
四人組やニアなど、このところ自分よりも格下の者と付き合うことが多かったため、知らず知らずのうちに増長してしまっていたのかもしれない。
(気を引き締め直さないと死ぬ)
ただでさえ便利な『空間魔法』に頼りがちなのだ。もっと己を律しなくてはと、密かに誓うのだった。
「いきなり攻撃したことは謝る。この通りじゃ。だからその物騒な殺気をしまってくれ」
さて、ディーオが決意を新たにしている間に事態は動き始めていた。エルダートレントが謝罪してきたのだ。
しかも言葉だけでなく、巨大な顔のある幹の近くに根っこで人型を作り出し、頭を下げさせるといった徹底ぶりだ。
しかし、意図とは反対にその淀みのない動きを見た魔法を使う女性陣二人の警戒の度合いを上げる結果となってしまっていたが。
「ぬう……。なかなか上手くいかんものじゃのう。仲間に命じるのとは違って、他種族との意思の疎通は難しいわい」
と、エルダートレントは本気で困惑しているようだ。感情に連動しているのか人型もがっくりと肩を落としている。
ただ、そうした細かい動きが彼女たちの警戒感を高めてしまっていることには思い至ってはいないようであった。
「このままでは話が進まないな。皆、言いたいことはあるだろうが、ここは謝罪を受け入れることにする。いいな」
グリッドの言葉に全員が頷く。その様子にディーオはリーダーの資質というものを垣間見たような気がしていた。
「という訳だ。とりあえず謝罪は受け入れるから、さっきの問いに答えてくれ」
「おお、そうか!ありがたい。……先程の問いというと、なぜ突然攻撃を仕掛けたのか、だったか。言い方は悪いがお主たちを試すためじゃ。ほれ、周りの様子を見て分かる通り、ちょっとばかし面倒な事が起こっておるのでな」
そう言うとエルダートレントはため息を吐いた。
「おかしなことが起きていることは何となく予想が付くが、それと俺たちを試すことに何の繋がりがある?」
「それを答える前に確認しておきたいのじゃが、お主らの目的はシュガーラディッシュの採取で間違いはないか?」
「……ああ。その通りだ」
突然の質問の意図は読めなかったが、さりとて的確に言い当ててきた相手を誤魔化すのは骨が折れると判断したのか、グリッドはちらりと全員に視線を飛ばした後、正直に答えたのだった。
「やはりか。なに、今起きている問題の中心にいるのがシュガーラディッシュなのじゃよ。そして儂もまたやつらには迷惑を受けている」
「つまり、あんたが共闘してもいいと思えるだけの力を俺たちが持っているのかを試した、ということか」
「少し違う。儂はここから動くことはできないから共闘とは言い難い。こちらから提供できるのは精々がやつらの情報程度じゃ。だから儂の願いを叶えてくれるだけの力を持っているのかを試した、というのが適当じゃな」
「……そこまで話してきたということは、俺たちは合格したと思ってもいいのか?」
「もちろんじゃよ。ああ、一つ言い忘れて負った。この階層にいるシュガーラディッシュは全て一カ所に集まっておるからの」
「チッ!いい性格をしているぜ……!」
グリッドの舌打ちにエルダートレントがニンマリと笑う。実質的に彼の願いを引き受ける以外、ディーオたちの選択肢はないのだった。
「事の起こりは、そうじゃのう……、昼と夜が二十回ほど変わる前のことか」
エルダートレントの話によると、異変が起き始めたのは二十日ほど前のことだった。
突然膨大なエネルギーが流れ組んでくる感覚があったかと思えば、グングンと体が大きくなり始めたのである。
「なんだと!?ということは、元から大きかった訳ではなく、その異変で急激に大きくなったということか!?」
「その通りじゃ」
それまではなんと、遠くに見えるトレントたちより一回りくらい大きいだけだったのだという。
「恐らくは迷宮の仕業なんだと思う。だけど、そんな話は聞いたこともないな」
この中で一番迷宮に精通しているディーオが代表して、前例のない状況であることを語った。
「このままでは周りにいた仲間たちを取り込んでしまいかねないと思った儂は、急いでこの場から離れるように申し付けたのじゃ。それがまさかあんなことになってしまうとは思ってもみなかったわい」
急成長を始めた彼から距離を取ったトレントたちを突如、シュガーラディッシュたちの発する薄桃色の霧が覆ったのだ。
しかもその霧は、まるで意思を持っているかのように的確に動いていたのだという。
「儂から離れ、さらに儂が急成長に意識を取られているところを狙われたようじゃ。抵抗という抵抗もできない内に精神攻撃で支配下に置かれてしまったのじゃ」
その結果できたのが、シュガーラディッシュの周りを取り囲む密集したトレントたちの層であったという。
「まさか!?確かにシュガーラディッシュは精神攻撃の媒介になる霧を発生させるけど、それを自在に動かすことなんてできなかったはずだぞ!?」
エルダートレントの説明を聞き、ほとんど反射的にディーオは叫んでいた。
これまで何度かシュガーラディッシュの採取をこなしたことがあるが、そのようなことが起きたことは一度たりともなかったからだ。
「儂とて最初は信じられんかったわい。だからこそあの霧が届かないようにやつらから離れた場所に根を張っていたのじゃからな」
「嘘を言っているようには見えないわね」
エルダートレントの口ぶりや様子をつぶさに観察していたリンはそう結論付けた。
そしてそれはルセリアも同じだったようで、コクリと一つ頷くと話を続ける。
「しかし今の話が本当だとすると、シュガーラディッシュの危険度が跳ね上がることになります」
それは同時にシュガーラディッシュの値段が跳ね上がることを示唆していた。
ただでさえ高価で希少な甘味の元が確保し辛くなるという流れは、マウズの町にとって大きな打撃となってしまうことだろう。
「これまでになかったことが起きているということは……、特殊個体が発生したか、それとも変異種化が進んでいるかのどちらかということになるな」
特殊個体とは、突然変異的に現れる通常よりの強力な個体のことである。
研究機関などでは通常とは異なる特徴を持つ個体全てを特殊個体と定義しているのであるが、弱いものは基本的に生き残ることができないため、一般的には強い個体のみを指し示す言葉となっている。
迷宮による干渉は否定できないが、目前の巨大エルダートレントもまた特殊個体の一つと言えるだろう。
また、モンスターハウスの罠による共喰いは特殊個体を強制的に生み出すものであると捉えることもできる。
次に変異種化であるが、これは特殊個体の特徴が周囲の通常種にも受け継がれて広まった状態のことを指す。
世代を経ることで広まっていくことが多いが、魔物の場合には同世代に伝播する――原理は未解明――こともあるので短時間でより強力な存在へと変化していることもある。
ただし、元になった特殊個体との近似性が必要となるのか、同じ魔物でも離れた場所に生息しているものが変異種化するということはないようである。
「特殊個体の発生だけで終わっていて欲しいところではあるけれど、変異種化していることを前提に行動する方が無難でしょうね」
そして、多数がより強力な存在へと変化していることから、変異種化の方がその危険度は大幅に高くなってしまう傾向にあるのだった。
「それで、あんたの願いというのはなんだ?シュガーラディッシュをぶっ潰すことか?」
「それはお前たちの望みであろうが。違うわい」
グリッドの力任せな言葉にエルダートレントが呆れたような声で返した。
余談だが、ディーオたちの目的はシュガーラディッシュの採取である。収穫と言い換えてもいい。グリッド以外の全員が「ぶっ潰してはいけない」と心の中で突っ込んでいたのだった。
「わしの願いは同胞たちを救って欲しいということじゃ」
ある意味予想通りの要求に、どうするべきかと一同は頭を悩ませることになるのだった。




