2 二十階層
シュガーラディッシュ採取の依頼を受け、『新緑の風』にディーオを加えた臨時パーティーは、迷宮へと潜った二日目の早々に目的地である二十階層へと到達しようとしていた。
この進行速度は迷宮探索においては先輩であるはずのディーオでも驚くほどのものだった。
しかし、『新緑の風』の面々も、実はディーオに対して内心ではとても驚いていた。
まずアイテムボックス持ち、しかも相当の量が入る一級品であるという点。これについては噂等で知ってはいたが、極々少量が入るだけのものだろうと考えていた。
それというのもアイテムボックスは世間に出回っているマジックアイテムの中でも一、二位を争うほどの人気の品だからである。
ポーターは元より全ての冒険者や行商人など野外での活動の多い者たちにとっては垂涎の品であり、日常生活においてすら大量の品が必要となる貴族にとっては――特に高位の貴族は見栄を張ったり、足元を見られたりしないためにも――必需品ともいえる物であった。
このように需要が多い分、大量の物が入るアイテムボックスは目を付けられやすい。盗難や強奪は当たり前、殺人などの事件も多く起きている。
とある国では政争とも重なって有力貴族の二割が死亡するという、国家存亡の危機になりかねないような重大な事件にすら発展したこともあった。
余談だが、この時の騒動の元になったアイテムボックスは王家が引き取り、国宝として宝物庫の奥深くへと死蔵されることになってしまったそうである。
つまり、何が言いたいのかというと、有用なアイテムボックスを持ち続けていられるということは、それを目当てに襲撃してくる有象無象を退けることができるだけの力があるという証明でもあるのだった。
『新緑の風』の五人は、ポーターという一般的には戦闘には向かないとされる職に就いているはずのディーオが、それだけの力を持っていると判明して驚いていたのであった。
そして、一日と少しというかなりの短時間で十一階層から十九階層までを踏破したというのに、ディーオには疲労の色がほとんど見えなかったというのが二つ目の点である。
これは二等級の冒険者であったとしてもオーバーペースに陥りかねないほどのハイペースだ。事実、彼らの中でも体力の低い魔法使いのリンや神官のルセリアなどは一日目の終わりごろからは常に息を荒げていた。
戦闘をしない、警戒もしないと、ないない尽くしでただ同行しているだけではあったが、それでも五等級の、しかもポーターに耐えられるような行進ではなかったはずなのだが、当のディーオはけろりとした顔で、それでいて『新緑の風』の行動を見落とすまいと一挙手一投足に注目していたのだった。
そしてついには、
「この調子でいけば明日の午前中にはシュガーラディッシュ集めは終わりそうだな。……状況次第だけど、帰りにシルバーハニー探しもできるか?」
などと呟きだしたのである。
これには体力に自信のあるグリッドにガンス、そしてクウエも慌てた。
「お、おい!ちょっと待て!依頼されているシュガーラディッシュの数は百だぞ?いくらもうすぐ二十階層に着くからと言って、そんなに簡単に集められる訳がないだろう」
「シュガーラディッシュは群生する性質があるから百個ぐらいなら割と簡単に集められるぜ」
「いや、そういう問題ではなくてだな……」
「強い魔物もいないから、俺一人でも何とかなるだろう。ここまで来るのに疲れただろうから皆は休んでいてくれて構わない」
男性陣はともかく女性二人は多少なりとも無理していたように見えたので、この間に体力の回復に努めていてもらえればと考えたのだ。
しかし、その意見はすぐに否定されることになる。
「そう言われて、ハイそうですか、と返せるはずがないでしょう。私たちは二等級で、あなたは五等級なんだから」
「そうだ。俺たちよりも弱いやつに任せてはおけない」
「うむ」
「そんなものか?」
「等級が上がると、些細なことでも足を引っ張ろうとするやつが出てくるからな。そういうものなんだよ」
単純に二等級のプライドが邪魔をしているという訳ではなさそうだ。
「それに、いくら疲れていたとしても、あなたを守ることくらいはできますから」
できれば帰りのシルバーハニー集めのために、ハイペースでの進行の疲れを癒していてもらいたかったのだが、これはいくら言葉を重ねたところで無駄かもしれない。
「まあ、付いて来てくれた方が安全なことには間違いないか。だけど、シュガーラディッシュは絶叫人形根系列に分類されているから、見ているだけでも辛いぜ?」
それでもこの注意点だけは伝えておかなくてはいけない。先の階層へと進むことを最重要視していたため、『新緑の風』の五人はシュガーラディッシュを採取したことがなかったためだ。
シュガーラディッシュや代表格のマンドラゴラなど、この系列に属する魔物植物は精神面へのダメージを与えてくるものばかりである。というより、そうした性質の植物をまとめてマンドラゴラ系列と呼んでいるのだ。
精神面への攻撃は対処が難しく、最も有効な防御方法が慣れることだといわれているくらいである。
これには五人とも苦い顔になり、思わず「うっ」と呻く者もいたが、前言を撤回することだけは辛うじて回避したのであった。
迷宮が多様性に富んでいるのは何も出現する魔物だけではない。迷宮内の環境もまた多様である。むしろ環境の多様さ故に潜む魔物が多様化しているともいえる。
個々の迷宮にもよるが、大まかに十階層を超えた辺りから環境の変化は現れ始める。
それまではアリの巣や天然の洞窟のように、大小の部屋が通路で繋がれているという形態であったものが、唐突に森や水辺、草原といった広大な空間へと移り変わるのである。もちろん全ての階層がそうではなく、低階層と同じ迷路形態の階層も存在する。
マウズの迷宮ではまだ発見されていないが、別の迷宮では砂漠や雪原、高山地帯などの過酷な環境を模した階層も発見されている。
そうした広大な、いわば一つの大きな部屋で構成された階層では、迷宮の外と同じように昼夜が存在する。
ただし、太陽や月、星といった天体がある訳ではないので、夜ともなると完全な暗闇に閉ざされてしまう。
そうした点からも、常に光源がある低階層より難易度は上がっているのである。
さて、シュガーラディッシュが群生しているマウズの迷宮二十階層はというと、木々が生い茂る森林地帯ということになる。
しかし、そこはまるで人の手が入っているかのように適度な間隔が開けられており、上空の天井方面からの光が地面――正式には床と呼称すべきか?――にまで降り注いでいた。
そのため、自然の森というよりは材木等を確保するために植林した場所や里山といった方が適当かもしれない。
だがここは迷宮の中、しかも中階層も折り返しとなる二十階層である。簡単に人がやって来られるような場所ではない。
それでは一体、誰が管理をしているのか?
答えは森の木々自身であった。
なんと二十階層に生息している植物は全て魔物でもあるのだ。古老動樹を頂点として動樹や歩行木、自由草などが森を管理しているのである。
植物の魔物ということで基本的には受け身のため、近寄り過ぎないことにさえ注意を払っていれば踏破自体は容易である。
が、薪代わりにでもしようと下手に手を出せば、森全体が襲いかかって来るという悪夢に見舞われることになる。
「ところが、俺たちにとってありがたいことにシュガーラディッシュはこの管理の枠に入っていない。なんでもあれの精神攻撃はトレントたちにも効果があるらしくて、そのために嫌われているそうだ」
余談だが、群生地が大きくなり過ぎて森に近づいてきた時には、精神が未発達な若木に指示して取り除かせているらしい。
群生地の全てを駆除しないのは決死の精神攻撃による反撃を恐れているためと、必要以上に冒険者たちの目が自分たちに向かないようにするため――魔物植物は魔法使いたちの杖などの材料に適しているとされている――であるという。
「だから運が良ければ、トレントたちが引っこ抜いたシュガーラディッシュが大量に転がっていることもあるんだが……。今日はどうなっているだろうな?」
二十階層へと到着したディーオたちはさっそくシュガーラディッシュの採取に向かう、ということはせずに、階段から降りてすぐの場所に本日泊まるための場所を確保していた。
「……先客がいる様子はなし、か」
冒険者はよほどの事情がない限り、新たな階層へ降りてすぐの場所で野営を行う。これは対処できないほどの魔物に襲われた場合に、すぐに上の階へと逃げられるようにするためである。
ちなみに、迷宮では降りて来る位置は変わらないが、次の階へと降りるための階段の場所は頻繁に変化する。それこそ寝ている間に下りの階段が移動していたなどと言う話は枚挙に遑がない。
そんなこともあって野営場所は新しい階層へと到着してすぐの場所にする、という慣例が定着したのだった。
また、あくまで慣例ではあるが、他人の野営地を荒らす行為はご法度とされていて、一時的に野営地から離れる際には、その場所が確保してあることが分かるようにロープなどで囲っておくのが常であった。
「さてと、それじゃあ行きますか」
昼食を軽く食べていよいよシュガーラディッシュの採取へと向かうことになった。
ここに来るまでに、魔法使いのリンや神官のルセリアを始め『新緑の風』の面々が魔法を感知する能力がないことは調査済みだ。ディーオはこっそりと、だが堂々と〈地図〉と〈警戒〉の魔法を使った。脳内に周囲一帯の地形と魔物の居場所が次々と表示されていく。
一方、先日のニアや四人組と一緒にゴーストと戦った時には、ニアの攻撃魔法が予想以上に強力だったことに加えて、十一階層に降りてすぐに撤退したため、これらの『空間魔法』は使っていない。したがってニアが魔法を感知できるのかどうかは不明なままである。
近い内に確認する必要があると感じながらも、リベンジ目当てで訓練に誘ってくる四人組から逃げ回っていることもあって実行する機会を見いだせずにいるのであった。閑話休題。
そして、脳内に映し出された周りの様子に、ディーオは『新緑の風』に気が付かれないように小さく舌打ちをした。
以前二十階層へと来た時には〈地図〉で階層の大部分を表示することができていた。ところが今は下りてきた階段のある後方の壁以外は表示されていない。
つまりあの時に比べて明らかに広くなっていたのだ。更に運の悪いことにシュガーラディッシュの群生地も見える範囲にはないようだ。
これは少し急いで行動した方がいいかもしれないと心の中で考えながら、ディーオは先頭に立って二十階層の奥へと足を踏み出して行ったのだった。




