1 二等級冒険者の実力
「『新緑の風』……?ああ、最近一気に中階層まで踏破したっていう人たちでしたよね」
「それはちょっと大げさに話が伝わっているかな。正確には二十八階層までしか進めていない」
マウズの迷宮は最深層がどこか分かっていないが、三十五階層まではあることが判明している。
そのため現在では便宜上十階層までを低階層、十一階層から三十階層までを中階層、それ以降を深階層と呼び表している。
「でも、ポーターなしでそこまで進んだのなら、中階層踏破も目前じゃないですか?」
ポーターの仕事といえば倒した魔物や採取した素材を運ぶことであるが、それと同じくらい重要なのが迷宮内で消費することになる食料や水、消耗品の類の運搬である。
かなり大雑把な試算ではあるが、ポーター一人加わることで五人のパーティーが十日ほど長く迷宮へと潜ることができるようになるとされている。
もちろんこれは現地調達を活用しながらであるので、迷宮内の環境によっては大きく変貌する可能性がある。
それでも、二十八階層まで進めたのであれば、ポーターさえ確保できれば三十階層踏破は難しいものではないように思えたのだった。
「ところが、それがそうでもないんだよ」
「え?何か問題でもあるんですか?」
三十階層まで到達できた者は未だにほとんどいないということもあるのだろうが、そこに何かがあるという話は――二十九階層にまで達しているディーオですらも――聞いたことがなかった。
「悪いけど、これ以上は話せない。まあ、君であれば近い内に自分の目で確かめることができると思うよ」
気さくな性格であり、迷宮内で同行することになった時には先達として様々なことを教えてくれた支部長だが、こういう言い回しをしたことについては一切喋ろうとはしないことをディーオは経験上知っていた。そのため、そちらについてはすぐに気にしないことにした。
「それで……、一介のポーターである俺に何をしろと?」
「何のことかな?」
「とぼけないで下さいよ。『新緑の風』っていえば、俺とブリックスが揃って振ったパーティーですよね。しかもどこかの貴族様の紐付きかもしれないから、気を付けた方がいいと告げ口しておいたやつらじゃないですか」
あれ以来接点はなかったが、接点がなかったがゆえにお互いの印象は最悪に近いまま、変わっていないはずだ。
失敗のできない依頼にわざわざそんな相手を選んだということは、それなりの別件が隠されていると考えるのが当然のことだった。
「実は彼らの紐の先、というか彼らと関係がある貴族が判明した。この大陸西端にある通称『爪先の国』ストライ王国のとある下級貴族のようだ」
マウズの町やグレイ王国などがあるラカルフ大陸は、爪先を西へと向けた巨大なブーツのような形をしている。その爪先部分、最西端にあるのがストライ王国である。
余談だが、ラカルフ大陸はその形状と南東部に『魔境』が広がることから、踵が欠けたブーツとも呼ばれている。
中核である火山帯の『赤銅山脈』から東には、有毒ガスが噴出している『黄紫の谷』から『灰色の荒野』が続く。そして反対の西側には『黒煙の森』が広がる。さらには『蒼の魔海』と呼ばれる海が広がり、北東部と南西部の航路を寸断してしまっていた。
グレイ王国はこれら『魔境』のうち『灰色の荒野』と隣接しており、そこに潜む魔物の対処に人や金が掛かることから他の国に比べて国力が低い要因にもなっている。
そして四人組が故郷の村で倒したファングサーベルもまた、この『灰色の荒野』から迷い出て来た個体だと考えられている。
「確か、ストライ王国にはキヤト迷宮がありましたよね。……『新緑の風』が三十二階層なんていうやたらと細かくてはっきりした目的地を掲げていたことと何か関わりがあるのかもしれない……」
「そうだね。そういう訳だから、彼らの目的を探っておいて」
「は?」
近くの露店まで買い物を頼むような気楽な口調で発せられた言葉を理解できずに、いや頭が理解することを拒んだことによって、硬直するディーオ。
「だから彼らの目的の調査。他国の貴族と関わりがあると分かった以上は、放っておくことはできないだろう」
「それは分かりますけど、どうして俺が!?国の人間の仕事でしょう!」
「国にお伺いを立てて、担当者を派遣してもらうなんてことをしていると『種麦がパンになってしまう』よ」
まいた種が順調に生育して実りの穂をつけるだけに止まらず、収穫された小麦が脱穀やら何やらの工程を経て小麦粉となって、パンになる。要するに長い時間がかかることを指す言葉であり、同時に優柔不断な様や決断できない様を揶揄する言葉である。
「それにこちらとしては余り国に大きな顔をされたくはないのでね」
『冒険者協会』だけでなく、同業種が集まって作られた組合や互助組織というものの多くは国の枠を超えて成り立っている部分を持っている。
とはいえ、ほとんどの組織において構成員はそれぞれの国の国民であり、それぞれの国の法令に則って暮らしているので、余程の事がなければ国と対立するようなことにはならない。しかし反対に言えば、余程の事があった場合には国と敵対することもあり得るということになる。
そして、国に対立する組織の代表格とされるのが、冒険者という戦力を有している『冒険者協会』なのであった。
各国と『冒険者協会』は協力し合いながらも牽制し合う立場にあり、そうした点からもお互いに進んでは手出ししない部分というものが存在する。
今回のような冒険者の素性等についても、そこに分類される項目なのであった。
「はあ……。成功できるかは未確定で、成功時には別途報酬を頂けるという条件ならやってみます。それと可能であれば一応書面でも残しておいてもらいたいんですが」
「追加報酬については問題ないけど、書面はまずいね。いくら他国の貴族の影が見える隠れしているといっても、相手は二等級という実績を持つ冒険者だ。そんな者たちを協会が怪しんでいるなんて外に漏れたら大変なことになってしまうよ」
そうなると口約束ということになる。ディーオは自分の顔がどんどんと渋い表情に変わっていくことを自覚していた。
多くの異世界の自分からの「金に関わることはきっちりとしておけ」という忠告文を目にしていたこともあり、できる限りあやふやにはしたくはなかったからだ。
「ここは私の顔に免じて引き受けてくれないか」
が、支部長にここまで言われてしまっては引かざるを得ない。
「その代わり二十五階層での借りは、これでチャラにしてもらいますからね」
「もう少し割が良くなる交渉の時に使いたかったけれど仕方がないね。頼んだ」
その後は『新緑の風』のメンバーとの顔合わせの日取りなど、実務的な会話に終始して、ディーオと支部長の話し合いは終わったのだった。
それから三日後、ディーオは地下の人となっていた。市場と協会の合同の依頼であるシュガーラディッシュの採取を『新緑の風』の五人と共に遂行するためだ。
現在『転移石』は十三階層まで設置済みであったが、ディーオが登録しているのは先日立ち寄った十一階層までであるため、揃って十一時階層からの出発となった。
「期日に余裕がある訳でもないからな。さっさと行くぞ」
「ああ」
「そうね」
「分かりました」
「うむ」
と、こちらが答える前に歩きだしてしまう。
与えられた期間は七日。突然の出来事にも対応できるようにと、ディーオが想定したものから往路、復路共に一日の予備を付けてくれていた。
しかし、そんな事情を知らない『新緑の風』の面々は、お荷物になるポーターを連れていると考えたのか、急がなくては間に合わないと思っているようである。
その実力を認められ、中階層を中心に活動していたため、彼らだけであれば十三階層へと転移できたこともその要因の一つかもしれない。
そうしたこともあってか、同じパーティーのはずなのに疎外感が凄まじい。互いの紹介の時にはもう少し気さくな雰囲気であったのだが、どうやらそれは同席していた支部長や協会の職員たち向けたものだったようである。
なんとも世渡りの上手い連中だが、これも一つの能力であることは確かだ。誰だって迷惑をかけてくるようなやつよりは、礼儀正しい相手の方が好ましく感じるものなのである。
周りを囲む『新緑の風』の面子を煽ることがないように、ディーオは注意深く小さな溜息を吐いた。
ブリックスと一緒にパーティーへの参加を断ったことがあったので、ある程度は予想していたが、とてもではないが彼らの目的を聞き出せるような雰囲気ではない。
とりあえずは大人しく彼らの様子を観察することにしたのだった。
結論から言うと、彼ら『新緑の風』は二等級冒険者の名に恥じない高い実力と知識を兼ね備えていた。
なんと一日目にしてバイコーンの出現する十四階層を難なく突破し、ホワイトビーが生息する最後の階層、十八階層まで辿り着いてしまったのである。
これにはいくつかの幸運も作用していた。先にも述べたように『新緑の風』は中階層を中心に活動している。そのため、前回マッピングした時からそれほど大きく迷宮の構造が変化していなかったのだ。
要するに先へと進むための道筋の大部分を知っていたのである。これに伴い、魔物が大量発生している場所へと近づくこともなかったため、円滑な進行を可能にしたのだった。
しかしながら、これらの幸運を引き寄せたのは間違いなく彼ら自身の力であった。
例えば、正確なマッピングを行っていなければ記憶を頼りに闇雲に進むことになって、かえって道に迷ってしまっただろう。
そうした当然のことを当然と行えることこそが『新緑の風』の強みなのであろう。
そしてディーオはというと『新緑の風』の鮮やかな手並みにひたすら感心していた。
普段は『空間魔法』頼みである彼にとって、正当な迷宮攻略法で軽快に突き進む『新緑の風』は理想的にすら思えたのだ。
特にこれからはニアのような『空間魔法』の存在を感知できるかもしれない――前回は運が良かったのか気付かれなかったようだが――人物と一緒になる機会も増えるかもしれない。こうした迷宮に潜る上で基本的な技能を改めて鍛え直す必要があるかもしれないと考えていた。
ちなみに、この初日でディーオがしたことはというと、倒された魔物や休憩時間に採取した薬草類をアイテムボックスに放り込む――正確にはいつもと同じように〈収納〉している――だけであった。
はっきり言って子どもでもできそうに思えるほどの簡単なお仕事である。
斥候に前衛の戦士、後衛の魔法使いと回復の専門家でもある神官という理想的なパーティーバランスのため、持ち込んだ回復薬等の消耗品の一つすら渡す必要がなかったのだった。
と、普通であれば功を焦るところなのだが、そこはやはり普通とは異なるディーオだ。楽ができることを幸いに、一つでも多くのことを吸収しようと観察に集中するのだった。
もちろん、彼らの目的を聞き出すという隠しミッションについては、忘却の彼方であったことは言うまでもない。
 




