王太子の思い4
盗み聞きなどされない場所として、クラヴィッテの執務室に移動した。
放心状態のレネッタをソファーに座らせ、着くのを待つ。その間に不満顔の精霊王が戻ってきた。
『主人殿が守る以外に力を使うななどと言うから、神精霊に止められてしまったではないか!』
攻撃を許してくれたならレネッタを傷付けようとした者たちに制裁を加えることができたのに、と精霊王は地団駄を踏む。
しかしそれをやられては後々ややこしいことになるのは目に見えていたので、とりあえず宥めておいた。
その様子を見ていたクラヴィッテは、なぜか不思議そうな顔をしている。
「精霊王は契約者以外の前も姿を表すことができるのは、兄上が帰国された日に見たので初めてではありませんが……他者の精霊を見るというのは奇妙な感じですね」
私には常に見えているからそうでもないが、確かに普通なら見えないはずだ。強大な力といい姿の顕現といい、精霊王というのはやはり特殊なようだ。
その精霊王はレネッタに何やら話しかけているが、生返事のためか拗ねている。
「……少しは、落ち着いたか?」
レネッタの横に腰掛け尋ねると、彼女は弱々しく頷いた。
「すみません。殿下には迷惑をかけてばかりで。クラヴィッテ殿下も、先程はありがとうございました」
そう言ってレネッタは深々と頭を下げる。
「考えが足りませんでした。私があんなことをしなければ、彼らは傷つかなかった。そもそも噂を気にするべきではなかったのかもしれません」
「違う。あなたは騙されただけで、罰を受けるべきは彼らだ。あなたは悪くない」
「私はまた、人を傷付けました。ダルネミアの時と同じ、それより酷い。私は何も成長していないんです」
レネッタは小さく首を振る。嗚咽混じりの声だ。
私が何と言おうが、彼女が神官たちの傷付けた事実は変わらない。しかし、むしろ傷付いたのはレネッタの方だ。
彼女は私を守ったときのように、自己より他者を優先するような人だ。自らの意思とは関係なく他の誰かを傷付けるようなことになれば、彼女はそれ以上に傷付く。
……彼らは神官たちの命を危険に晒しただけでなく、彼女の心を壊したのだ。
握り締めた拳が意味もなく震える。この場にもしあの2人がいたなら、迷わずその顔に一発加えていただろう。
「そうだ。殿下に報告することがありました」
唐突に、レネッタが口を開いた。感情のこもらない声だったが、わざわざ言おうとしてくれているのならば聞かなくては。
「何だ?」
神官たちに対する苛々を封じ込め、努めて優しい口調で促す。
「噂に関してです。ディーズ副神官長に、神殿が精霊王についてどこまで掴んでいるのか尋ねました。エディス滅亡に関してはそのきっかけであるという程度の認識のようです。ですが……」
レネッタはそこで一度言葉を切る。首を何度も横に振り、慎重に言葉を選んでいるようだった。
急かすことではないので、私とクラヴィッテは黙って彼女が口を開くのを待つ。
やがてレネッタは意を決したように顔を上げた。
「建国の頃の学者の文書を読みました。邪精霊の正体は、主人を殺した精霊である。そういった内容が書かれていました。ディーズ副神官長は、殿下の精霊王とその説を結び付け、広めると。その前に婚約を解消すれば、私は殿下の失脚に巻き込まれることはないから、と言われました」
邪精霊……人に取り憑き、その命を吸い取るとされる、精霊らしきモノ。その性質から忌み嫌われる存在だ。
そんなものを生み出す可能性がある精霊を制御できない王太子など、誰が認めるだろうか。
その噂が流れている状態で精霊使いとして名高い彼女の方から婚約の解消を求められれば、悪くなるのは私の立場だ。
婚約を解消しても、ダルネミアの後ろ盾もあるレネッタが不利になることはない。私が失脚しさえすればよいのだから、彼らはレネッタに婚約を解消するよう勧めたのだろう。
「それで、あなたはどう答えた?私との婚約を解消するか?」
口に出して、後悔した。今の状況でこんな聞き方をするべきでないのはわかっていた。だがどうしても尋ねたくなってしまったのだ。
彼らを断罪したところで、邪精霊に関する話は広まってしまう。そうなれば結局、彼らの思い描いたシナリオ通りに私は失脚するだろう。
元々この婚約に彼女の意志はなく、私の失言による一方的なものだ。それに、沈むことがわかっている船に乗りたくはあるまい。
「……断り、ました」
「そうだよな……ん?断った!?」
この文脈で断ったというのは、ディーズ副神官長の勧め、すなわち私との婚約の解消を断ったということだ。
レネッタがどう答えようと私は失脚する。いくら人の良い彼女でも、それに付き合う義理はない。
「殿下の将来をお守りしたかったからです。それができるのは私だけだと思ったから……」
そこまで言って、レネッタは突然顔を真っ赤にした。自ら発した台詞が信じられないと言わんばかりにぶんぶんと首を振る。
「これはですね、その……殿下に精霊王が制御できないはずがないと私は信じていますよ!でも、もし精霊王が何かの間違いで殿下を殺してしまうような状況になったとき、私が殿下を刺して私も死ねばいいと思ったからで……いえ別に私が殿下を殺したいとかそんなことは一切思っていませんから!」
必死の弁明が最後は全く違う方向に脱線していた。こんな状況なのに思わず笑ってしまいそうになっていたら、後ろでクラヴィッテが噴き出していた。
「それは……思っていたら反逆罪どころではないぞ」
クラヴィッテは込み上げてくる笑いを隠すように手を口に当てているが、堪えきれておらずその手はプルプル震えていた。
「お前……それはさすがに口に出したらまずいやつだろ」
アルでさえも、呆れながらその口もとを引きつらせている。
自分の発言に耳まで赤くして俯く彼女を、私は無性に抱き締めたくなった。




