過去
王宮での昼の会議に必要な書類を部屋に一部忘れてきたことに気づき、取って戻ってくると、カーレル様が誰かと話をしているのが遠目に見えた。
後ろ姿では誰なのかよくわからない。
忘れ物をしたとはいえ、会議に遅れることはないだろうけど、早めに着席しておく方がいいので、私は小走りでカーレル様のいる方へ向かった。
あと数歩というところに来たところで、カーレル様と話していた人物が振り返る。
その人物の顔を見た瞬間、私は思わず足を止めた。
どこかで見たことがある顔。思い出せるはずなのに、思い出せない。
いつ、どこで見たのかを思い出す前に、言い様のない恐怖と不安に襲われて、その男から目を離せなくなった。
少し落ち窪んだ目に、白髪の混じった黒髪、痩けた頬、何年も外に出ていないような白い肌。しかも無表情で全体的に不気味ではあるが、なぜこんなにこの男が怖いんだろう。
私の恐怖が伝わり、精霊たちも動揺し始める。
「大丈夫ですか!?」
足に力が入らず、その場に膝をついたのを見て、カーレル様が駆け寄ってきた。
その間も、その男はそのなにを見ているのかわからない目で、じっと私を見下ろしている。
「補佐官殿は体調がすぐれないのですか?」
「そのようですね。そう言えば今朝も少し体調が悪そうでしたし、書類を取りに行くのに無理でもしたのでしょうか」
カーレル様はそう言いながら物理的に私の視線を男から逸らさせた。
もちろん、今朝の私の体調は万全だった。
私の様子があまりにおかしいから咄嗟に嘘をついてくださったんだろう。
そのお陰で少しだけ余裕ができ、私はなんとか精霊に動かないよう指示を出した。
「オスル殿、申し訳ありませんが、昼の会議に出席する大臣に少々遅れると伝えていただいてもよろしいですか?」
「……それは構わないが、何もカーレル殿直々に医務室にお連れする必要はないのでは?」
「レゲル君の体調不良に気付かず無理をさせてしまったのは私ですから。では、失礼します」
カーレル様の腕を借りて立ち上がって、ほとんどカーレル様に引っ張られるようにして王宮の廊下をいくつか曲がったところで、ようやく自分の足でまともに歩くことができるようになった。
「か、カーレル様、もう大丈夫ですから……」
声が僅かに震えているのがわかった。でも
もう一人で歩けるはずだ。
「事情は部屋で聞きます。それまでは病人らしくしていてください」
カーレル様の腕から手を離そうとすると、掴んで止められた。
「……はい」
いつになく心配そうにしているカーレル様の表情を見て、私はそれ以上何も言えなかった。
すれ違うメイドや使用人にとても心配されたが、カーレル様は私の腕を離すことなく、いつも仕事をしている部屋についてからやっと腕を離してもらえた。
「医務室ではろくに話もできないでしょう。誰に聞かれているかわかりませんし」
ソファーに座って深呼吸をすると、少しずつ落ち着いてきた。
それでもまだ全身が粟立っているような、そんな感覚が消えない。
「落ち着け、と言って落ち着けそうではありませんね」
少し困ったようにカーレル様は言う。
「あの……」
「何ですか?」
「さっきの人は誰ですか?」
思い出すだけで、再び恐怖に囚われる。あの人はいったい誰なんだろう。
「オスル・エルセム、屋敷に引き込もって滅多に公の場に顔を出さないことで有名な貴族です。名前くらいは君も知っているでしょう」
言われてみれば、名前だけなら知ってる。それにエルセム家は私の出身区、ハセ区のすぐ隣の区の貴族だ。
私は黙って頷いた。
「いったいどうしたんですか?」
「それは……」
思い出したくても思い出せない。
いつもあの事を思い出すときはこんなことにならないのに、ただ無性に苦しくて、悲しくなるだけなのに。
……ん?あの事?あの事ってなんだろう。
すぐそこまで出かかっているのに、思い出したくないという思いがその邪魔をしていた。
「少し、一人になってもいいですか?」
そう言うと、カーレル様は確かめるように私の目をじっと見て、小さくため息をつく。
「わかりました。では、私が昼の会議に出席している間、ここで大人しくしていてください。絶対に、部屋から出てはいけませんよ」
「はい。会議に遅刻させてしまってすみませんでした」
「そんなことはどうでもいいんです。とにかく落ち着きなさい」
最後にちらりと念押しするように私の方を見てカーレル様は部屋を出ていった。
しんみりムードなお話になっています。
ちょっとフワッとした感じのお話ですので、少々疑問符を残すかもしれません(^_^;)




