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(5)

 夢の中でも父は相変わらず辛そうに咳き込んでいた。肺を患ったその咳は、喉が切れてしまうのではと心配になる程終わりが無かった。

「すまない……リリィ」

 背中をさすり、香草茶や薬を渡す度、父はいつも申し訳なさそうに謝ってきた。

「何言ってるの。さ、これを飲んで」

 思い返せば、父とのやり取りのほとんどがいつもそのような調子だった。


 リリィの父は生まれつき肺が弱かったため、魔女であった祖母は様々な療養魔術を試みていた。そうした中で取り入れた事の一つが、複数の香草をその日の体調に合わせて調合し、まじないをかけて煮出す事だった。おかげで父は完全な健康体とは言えずとも細々と生き長らえることができていた。

 月日は流れ、やがて青年となった父は療養所にて出会った若い看護師と恋に落ちた。孤児だった彼女は家庭を持つ事を切望し、そうして結ばれた二人から生まれたのがリリィだった。

 リリィが10歳の時、仕事帰りの母が馬車に跳ねられ世を去った。それから暫くは祖母がまじないの仕事をしながら生計を立ててくれていたが、リリィが公務員試験に合格した直後に倒れてしまい、以降、父と同じくベッドで寝たきりの生活を送る羽目になってしまった。

 本来なら仕事なぞせず家人の世話をすべきだった。だが、誰かが食い扶持を稼がなければとても生きてはいけない。

 リリィは連日定時上がりで帰宅し、家人達の世話をした。親睦会等に誘われても毎回断りを入れていたため職場では同部署のロイやフェントンくらいしか話す相手はいなかった。そうして彼女が配達通信局に勤務しだしてから数年後に祖母が世を去り、4年前に父も肺病が悪化し、いよいよ危篤状態となった。

「……リ……す……ない……」

 うまく息ができずに弱々しく悶えながらも、ひび割れた唇から父は最期までその言葉を紡ごうとし、リリィは震える細い手を取り懸命に励まし続けた。

 

 ――やがて、天涯孤独の身となってから、彼女はようやく自身の道を歩み始めたのだった。

 



* * *




 目を開けると、真っ暗な部屋の中でうっすらと小さな明かりが灯っているのが分かった。

 リリィはゆっくりを首を動かし、自分が何処にいるのかを把握しようとした。見慣れぬ天井板に不安が募る。

 ――何故私は此処にいるのだろう。ギィは? ピュルイは?

 そこまで考えてから、そういえば旅行中なのだった、とリリィは思い出した。黒猫のギィは自宅で留守番をさせている。餌も水もたっぷりとあるし、散歩をしたければ専用の扉からいつでも出入りができる。ドラゴンのピュルイは一匹ではまだ何もできないからと、この地に隠し連れてきたのだ。温かい温泉地はピュルイが喜ぶと、彼、ヴァルダス・デッガータはそう言っていた。

 ぼんやりと意識が途切れるまでの出来事を反芻しているうちに、ようやくリリィは自分がとんでもない失態を犯してしまったのだと気が付いた。

「ヴァ――」

 思わず大声を上げそうになり、慌ててリリィは口をつぐんだ。そろそろと慎重に身体を起こしながら辺りを見回してみる。頭が割れるように痛かった。身体も鉛のように重たく感じる。

 だがそれ以上に辛かったのは、部屋の中に誰もいない事だった。

 酔っぱらい客が数人で廊下を歩いているのだろう。扉の向こうから陽気で調子外れな恋歌が聞こえてくる。

 リリィはベッドから降りると身体にシーツを巻きつけたまま窓際まで移動し窓板をずらした。凍えるような風が入ってくるのに混じって肉が焼ける香ばしい匂いがした。下を覗くと、路地にはたくさんの人々が露店の中を行き交っていた。色とりどりの灯篭が灯り、白い息を明るく照らす。聞こえてくるのはざわめきと笑い声ばかりだった。

 じわり、と視界が滲みだす。ゆらゆらと灯篭の光が踊り、溢れた涙に混じって落ちた。

「ヴァルダス……」

 父がいなくなってからは、孤独が辛くてどうしようも無い時はいつも心で家族を呼んでいた。

 けれど今、リリィは自然とただ一つの名を呟いていた。

 呟きは震える願いとなって幾度も唇から溢れ、魔女の細いまじないの鎖となって相手の元へと流れていった。

 リリィ本人さえ、そうと知らぬ間に。




「――うまかったか?」

 問いかけに、腹袋から「ピュルイ! ピュルイ!」とご機嫌な鳴き声が返ってきた。

「そうか」

 頭の辺りを撫でてやりながらヴァルダスは帰路を急いでいた。

 本当は早々に帰るつもりだったのだが、氷店が真冬だというのに思っていた以上に混み合っていた。間もなく迎える新年の祝いに向けて氷の注文が殺到しているらしく、

「もうあと一時間ばかし待っててくれ!」

 と氷屋の魔法使いに悲鳴混じりに懇願されたのだ。大量の汗を流しつつ詠唱を唱える男を眺めながら、さて、他に看病には何か必要だろうか、と考えるヴァルダスに「ピュルゥ……」とドラゴンの赤子から餌の催促がきたのだった。

 ドラゴンであるピュルイは本来母親替わりのリリィ以外の人間になど懐こうとはしない。だがヴァルダスはこれまで幾度も威嚇を受けたり引っ掻かれたりしながらも、辛抱強くピュルイとの接触を試みてきた。釣り上げた魚を自らの手で食べさせたり、リリィと一緒に寝かしつけを試みてみたり等、地味な努力を繰り返した結果、今では(リリィを除き)触れられても嫌がられない唯一の人間となっていた。

 ヴァルダスが気を失ったリリィを部屋に運び込み医者を呼んで看てもらっている間、ピュルイは大人しく物陰に隠れてじっとしていた。だがヴァルダスが看病用の氷を買いに行こうと部屋の扉に手をかけると、『いく! いきたい!』と必死で鳴いて主張してきたのだ。

 ドラゴンの赤子を胸に抱くというのは何とも不思議な感覚だった。ほっそりとしたリリィと比べ分厚い胸板を持つヴァルダスは、余り布を最大限に引き伸ばしてみたものの抱っこ用の袋が鎖骨の下辺りでぱつんぱつんになって留まってしまい、何とも珍妙な格好となってしまっている。それでも隙間から肉や魚の焼いたものを少しずつ落とすことはできたので、狭いながらもピュルイは随分と機嫌良く食事を楽しんでいた。

「買い漏れは無かったか……」

 呟きながらヴァルダスは両の手に抱えた荷物の中身を反芻していた。具合の悪いリリィの回復の手助けになりそうなものをいろいろと探し回ってきたのだ。一番最後に氷を手に入れたものの、早く戻らないとすぐに溶けてしまうだろう。帰り道を急いでいた彼は、ひらひらと近付いてくる細い光の帯に気付いた。

 それはか細い光で編まれた鎖だった。ゆったりと煙が流れるようにヴァルダスの元へと近付き、触れるのをためらうように辺りをたゆたっている。

(魔法の類か)

 訝しく思うのと同時にヴァルダスの脳裏にリリィの顔が浮かんだ。荷物を抱えたままそっと指を伸ばして触れてみると、ちりっと僅かに火花が飛んだ。

 ――切ない。

 ――寂しい。

 飛び込んできたのは、言葉ではなく孤独な感情だった。

 そうして自分を求めて手を伸ばす、ほっそりとした指先の感覚だった。

 ヴァルダスは荷物がぶつかり合うのも構わずに駆けだした。がしゃんがしゃんと乱雑な音に合わせてピュルイが胸でぽんぽん弾み、「ピュッ!?」と慌てた声を上げた。  

 宿に着きどかどかと階段を駆け上がる。

「おっ、ヴァルダ~ス! 何だどうした、そんな顔して」

 祭りに乗じて声をかけてきたのだろう。数人の若い女と共にニコラウス達がご機嫌で部屋を出てくるところに遭遇した。

「もうすぐ年越し祭のメインイベントだからな、お前達も早く出てこいよ~」

「もう、ちゃんと歩いてよ~。ふふっ」

「よーし、俺は今年こそ絶対にパイくじを当ててやる」

「あ、当たったらあたしにちょーだい」

「あげるあげるぅ~」

 賑やかなやり取りの横をすり抜け廊下を曲がり、ヴァルダスは奥にある自分達の部屋の扉を開けた。

 キィ、というドアの軋みがやけに大きく響いた。中は出たとき同様、小さな豆ランプが一つ灯っているだけだ。

 だが、ベッドの上に彼が求める姿は無かった。

「リリィ!」

 声を上げながら部屋に入ったヴァルダスは、部屋の奥から身じろぐ気配を感じた。サイドテーブルに荷物を置き目を凝らしながらそちらに近付いて行くと、戸棚と窓辺の隙間にリリィがシーツにくるまりもたれかかっているのが見えた。

「何をしている」

 ヴァルダスは急いで傍に寄るとその頬に手をあてた。まだ熱い。

「ちゃんとベッドに横に」

「いや……」

 リリィはうわ言のように呟いて拒んだ。ヴァルダスが触れたその場所は外気のせいで冷たく湿り、月明かりに両の目から一筋の光が流れているのが分かった。

 有無を言わさず彼はその身体を抱き上げ、シーツの端を引きずりながらベッドまで運んだ。弱々しく起き上がろうとする身体を制し、

「――寝るんだ」

 と低く厳しい声でヴァルダスは諭した。

「……ごめんなさい」

 リリィの声がわなわなと震えだす。

「せっかく、あなたが誘ってくれたのに……こんなことになって……」

「何を言っている」

 ヴァルダスは荷物から革袋と大筒を取り出すと手桶の中にざらりと筒の中身をあけた。水差しの水を革袋に移し、筒の中身も詰め込むと革袋の口を金属製の留め具でしっかりと留め、分厚い手ぬぐいでその周りを包んだ。

「ほら、頭を上げて」

 リリィが大人しく従うとヴァルダスは枕を引き抜き代わりに包みを押し込んだ。頭を落とすとひんやりとした感覚と共に、水と硬いものが絡み合うごしょごしょという音がした。

「発熱時はこうすると落ち着くのだと医師から教わった。冷えすぎないか」

「ううん、気持ちいい……」

「そうか」

「あの……ヴァルダス」

「ん?」

「氷、高かったでしょ……」

「いや、寒期だからそれほどでもない」

 リリィは暫くヴァルダスを見ていたが、再び消え入りそうな声で「……ごめんなさい」と呟いた。

「侘びを言われるような事は特に何もしていないが」

「ううん。あなたには……いつも迷惑をかけてばかり」

「何を言う」

 ヴァルダスは包みをごそごそと掻き回すと中から小さな林檎を取り出し、

「食べるか?」

 とリリィに尋ねた。迷ったふうな素振りの後に彼女が小さく頷いたので、ヴァルダスは腰に刺したうちの最も小さな短剣を引き抜いて拭き布で拭うと、実に器用に林檎の皮を剥いていった。そうして八等分したうちの一切れをリリィの手に持たせてくれた。彼の手で少し温まった林檎の果肉を口に運ぶ。しゃり、という硬い歯応えがいつもなら心地良い筈なのに、今の気だるさでは噛み進めることが辛かった。

 ヴァルダスはそんな彼女の姿を見ていたが、残った林檎を手に一旦退出すると暫くして再び戻ってきた。手にしたゴブレットにカランカランと残していた氷を落とす。そうしてリリィの身体に手をかけ支え起こすとゴブレットを手渡した。

 中に入っていたのは茶色い林檎の果汁だった。口を付けると甘さが氷の冷たさで随分と和らぎ、すっきりと美味しく口にできた。

「おいしい」

「厨房の隅を借りてきた」

「……このジュース、ヴァルダスが作ってくれたの?」

「すりおろして絞っただけだ。少しばかり甘さが強かったからレモンの果汁も混ぜてみたが」

 つくづく、このヴァルダス・デッガータというのは若いのに何でもできる男なのだ、とリリィは感心してしまった。そつがないというか、落ち着いた態度も相まって、彼にできないことなど何も無いのではと錯覚してしまう。

 果汁を飲んで横になると、幾分か楽になった気がした。傍らではじゃれるピュルイをおもちゃであやしながらヴァルダスが付いていてくれている。

 彼の事だ。このまま何も言わなければ朝までこうしているつもりなのだろう。

 リリィはじんわりと胸の奥が熱くなっていた。

(なんだか、これって……)

 ベッドから身を起こし、勉強を教えてくれる父。ノートにペンを走らせる小さなリリィの傍では、帰宅した母がじゃがいもを剥きながら陽気な鼻歌を歌っていた。祖母は近くの炊事場で父に飲ませる香草茶を煮出していて。

(懐かしい感覚……)

 言葉にせずとも伝わる暖かな絆。これは、まるで、

「――家族みたい」

 気付ければリリィはそのまま口に出して呟いていた。言ってしまった後で妙に気恥ずかしくなってしまい、リリィは慌ててシーツを目元まで引き上げて目を閉じた。


 ヴァルダスはその言葉を聞いていた。初めこそ意味がピンとこなかったが、やがて今の彼女の台詞が自分達を指していたのだと気が付いた。

 嬉しかった。

 目の前のシーツを引っ張り、自分の想いを伝えたいと思った。

 だが、指が動きかけたものの相手が病人だったことを思い出し、ヴァルダスは伸ばしかけた指先を握り締めた。


 ゴーン……

 ゴーン……


 新年を迎える鐘の音が窓の外から聞こえてくる。

「新年おめでとう、リリィ」

 祝いの品を思い出し、ヴァルダスは包みに手を入れた。中から取り出したのは小ぶりのミートパイが一つ。上部にはパイ生地で国旗の紋章が描かれてある。

「――おめでとう」

 シーツを鼻まで引き下げ、恥ずかしそうにリリィも新年の挨拶を返した。

「リリィ、これが何だか知っているかい?」

「パイ……よね?」

「そう。これはこの地方に伝わる新年に一度のパイくじだ。

 本来ならば一人一つずつ貰えるのだが、俺一人だったものでな。残念ながら今年は一つだ。

 さて、年の初めの運試しだ。切ってみることとしよう」

 ヴァルダスはリリィの目の前にサイドテーブルを持ってくると、拭った短剣でゆっくりとパイを切り分けだした。


 

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