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 ヴァルダス・デッガータは女に無縁というわけではない。

 城内勤務でそこそこ有望株、若く逞しい体躯に顔立ちもそう悪くないとくれば、火遊びに誘いたがる位の高い人妻や、嫁ぎ先を狙う召使の娘達が放っておくはずもなかった。

 だが元来女遊びが得意ではない彼にとって、正直な所そのような誘いはいささか迷惑な話だった。

 女嫌いというわけではない。柔らかな身体に甘い香り、紅をさした華ある顔立ち。汗臭い詰所で鍛錬をする日々において、女達の存在は癒しでもある。

 が、城に出入りする彼女達は洗練され過ぎているのだ。適当に口を合わせたり、色っぽい冗談を飛ばすといった楽しみ方がヴァルダスは得意ではない。以前、勘違いをしたせいで面倒事に巻き込まれたことがある彼は、中途半端な遊び事には手を出すまいと決めていた。

 そうした堅物な態度のせいで、幾つかの縁を逃がしている事実を彼は知らぬままであった。


 午前の訓練を終え、食堂に向かっていると「ヴァルダス!」と声がかかった。振り返ると同期のニコラウスが満面の笑みで手を挙げながら近付いてくるところだった。

「なんだ、えらく機嫌がいいな」

「なんだとはなんだ、水臭い! お前に女ができたって聞いたぞ、ついに春がきたか!」

 バンバン! とニコラウスはヴァルダスの肩を叩き脇腹をぐりぐりと小突いてきた。

「……待て、誰がそのような事を」

「お前、最近口元緩みっぱなしだぞ! おまけに城の図書室で温泉ガイドやら飲食店案内を読み漁ってたそうじゃないか! お前がそんなマメな事をするとは、女ができたに違いないともっぱらの噂だ」

 ヴァルダスは額に手をやった。迂闊だった。自分のような面白くもない男にまで色恋の噂がつくとは想定外だったのだ。

「堅物男を射止めた美女は誰だ? おい、相手が誰か教えろ。オレは食堂のローサに賭けてるんだが」

「いや……」

 掠れた声で首を振るヴァルダスにニコラウスは残念そうな顔になった。

「なんだ、絶対そうだと思ってたんだがなあ。こりゃ賭け金が跳ね上がるぞ。

 それじゃあ一体誰なんだか、答えろよ、おいヴァルダス!」

「……違う」

 ヴァルダスは渋面のまま呟く。噂がどこまで広がっているのか知らないが、早めに否定しておかねば大変な尾ひれがついてしまう。

「まだそんな相手はいない」

「『ま・だ』?」

 キラーン! とニコラウスの瞳が輝く。

「お前がそんなに歯切れ悪いということは、想い人がいるのは事実だな!?

 ひゅーう、こいつぁめでたい、やっぱり春の到来じゃないか!」

「待て。俺が勝手に好いているだけで」

「いやいやいや、ヴァルダス・デッガータ! 例えお前が否定しようとも、内気なカワイコちゃん達が毎夜胸を痛めてるってこたぁ事実だぞ! ま、それを慰める名目でおこぼれをあずかっている俺らなんだけどな、うはははは!」

 何が嬉しいのやら、ニコラウスは再びバンバン! と痛いほど肩を叩きながらニヤけ顔で追求してきた。

「ほれほれぇ、ここまできたら相手の名を言え! 今ここで吐かないと、俺らが勝手に調べ回るぞー」

 なんだかんだで城付きの兵達は能力値が高い。情報収集もお手のものだ。慌ててヴァルダスは「やめろ!」と叫んだ。

 そうして、余計な情報まで調べあげられる前に、自ら片想い中の相手の名を告げる羽目になったのだった。




「っしゅん!」

 リリィ・カーマイルは手を口に当てる暇もなく大きなくしゃみをしてしまった。

「あれぇー、リリィ。君がくしゃみなんて珍しいねー」

 同僚のフェントンの言葉に、

「あ、うん。何だかさっきから悪寒がして」

 とリリィは鼻をスン、と啜りながら返事をした。

 リリィは身体が丈夫だ。大病も大怪我もしたことがない。これは元よりの体質というわけではなく、おそらく自分が調合している香草茶のおかげだろうとリリィは思っている。

 香草を育て、まじないをかけて乾燥させたものをその日の体調に合わせて調合して熱い湯で煮出して飲む。味も香りもなかなか良い上に、ぽかぽかと身体がよく温まるのだ。たまに近所にお裾分けしているうちに、体調が良くなったと随所で評判になり、今では遠くからリリィに『自分に合った調合をして欲しい』と相談に来る者がぽつぽつと出てくるまでになっていた。

 同僚のロイ・スタンドラやフェントンにも香草茶を飲ませてみたことはあるのだが、

「悪くはないけど、クセがなあ……」

「うえー、ボクこれ苦手ー」

 と男性陣の評判はイマイチであった。その為、リリィは今までヴァルダスに香草茶を飲ませようと思ったことはなかった。

(けど、傷が痛むようなら、一度飲んでもらってみようかしら。

 もし飲めるようであれば、日頃のお礼に差し入れができるし……)

 本当は、好きな相手に理由をつけて会いたいのが第一の理由。

 ヴァルダスの言葉を思い出し、リリィの口元がゆっくりと綻ぶ。


『リリィ。良ければ、年末休みを俺と過ごしてはくれないだろうか』


 誘いは唐突だった。驚いて口をきけずにいるリリィに、

「いや、実は、毎年恒例にしているのだが――」

 とヴァルダスは教えてくれた。


 ヴァルダスは王宮付兵士で、尚且つ特殊護衛隊員を務めるだけの実力もある。その為、厳しい闘いの現場に駆り出される事も多々あるらしい。

 剣を振るい続けるうちに、大小なりとも多くの傷が彼の身体に残るようになった。体力はあるため癒えはするのだが芯から治るというわけではない。寒さ厳しい時期になるとたまに傷が痛み出す事があるという。

 故に、ヴァルダスを始め隊員の中にはまとまった休みに『湯治』を行う者も多いらしい。


「それで、良かったら君と行けないかと思ったのだが……少し場所は遠くなるが、その、近くに美味い飯を出す店もあるし、なかなか景色も壮観なのだ。

 何より、ピュルイは暖かい場所が好きだと赤のドラゴンから聞いたからな」

 ピュルイは青い瞳に赤褐色の鱗を持つドラゴンの子だ。父親は赤い鱗と瞳を持つ炎を好むドラゴンのため、その血を引いたピュルイは確かに高温を好む。ピュルイ、ピュルイと鳴きながら寝る前に暖炉の傍で熱いミルクを舐める様は何とも可愛く微笑ましかった。

「そうね、私、温泉ってどんなものだか見たことないし、話を聞く限りピュルイも確かに好きそうだし。良かったら同行させて頂戴」

 何気ないふうを装い答えながら、リリィは内心どきどきしていた。


 だって、これって旅行のお誘いってことよね?

 (ピュルイは一緒だけど)二人っきりてことよね?

 やっぱりヴァルダスも私の事、想ってくれてるって取ってもいいのかしら?

 ああ、恋愛なんて久しぶり過ぎて、どこまでうぬぼれていいのかよく分からないわ!


 何を着ていったらいいのかしら、どんな所に行くのかしら。そんな事ばかり考えていたため、

「リリィ、やっぱり君体調おかしいんじゃないか? いつもより仕事が進んでいないぞ」

 とロイにたしなめられる事となった。

(いけない、いけない)

 リリィ達集荷チェッカーは配達荷物を透視能力でチェックしていく仕事なのだ。集中力を持続させないとすぐに大量の荷物が滞ってしまう。

「あんまり具合が悪いようなら、今日は早退してもいいぞ」

「ううん、大丈夫よ。ごめんなさい、ちゃんと集中するわ」

 慌てて気持ちを切り替えるため大きくブンブンと頭を振り、リリィは再び「っくしゅん!」と大きなくしゃみをしてしまった。

 金縁眼鏡がくたり、とずれてリリィの小さな鼻先にかかった。




 ヴァルダスは大広場の壁時計を確認した。約束の時間をかなり過ぎてはいたが、馬車が出る予定時刻にはまだ間に合う。

 リリィは今まで約束の時間を破ったことはない。

(何かあったのだろうか)

 自宅まで様子を確認しに行くのは大げさだろうか……とヴァルダスが思案していると、

「ごめんなさい、遅くなってしまって!」

 リリィが慌てて大きなトランクを引きずりながらやってきた。胸の抱っこ布からはちょこんとピュルイが顔を出している。

「大丈夫だ。馬車の時間には間に合う」

 荷物を取って引きながら、ヴァルダスはリリィの様子が何だか少しおかしいことに気が付いた。

「? どうしたの?」

 動きを止め、じっと見られて動揺するリリィに、

「リリィ、その顔につけているのは――」

 とためらいがちにヴァルダスは訊ねた。

「あ、ああこれ? マスクっていうの。目の粗い薄布を重ねて口を覆うのだけれど、布を香草を煮出した液に浸しているから薬効があるの。

 ちょっと奇天烈な格好だけど、よく効くのよ」

 薄い枯草のような色合いの布で口元を覆ったリリィを見て、ヴァルダスは気になって訊ねた。

「それはつまり、体調が良くないということか?」

「あ、う、ううんっ、違うの! その、私今まで旅行ってほとんどしたことがないから、万が一乗り物酔いなんかしちゃったらいけないなって、えっと、それで念の為付けてきただけだから! 本当に大丈夫だから!」

「そうか。なら良いのだが。リリィ、無理はしてはいけない、具合が悪くなったらすぐに俺に言ってくれ」

「大丈夫よ。身体が丈夫なのが取り柄なの」

 曇る眼鏡を押し上げて、リリィはにこりと笑ってみせた。目元しか表情が分からぬとはいえ、久しぶりに会った好きな女性の微笑みにヴァルダスは心浮き立つ思いになり(最も、表立って表情には出さないが)、

「では、乗り場へ行こう」

 と荷物を引いて歩き出した。


 そうして、彼は後々『この時点でよく確認しておくべきだった』と、深く後悔する羽目になったのだった。

 

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