うさぎの親子
暗かった。
寒かった。
でもそれ以上に痛かった。
体じゃなくて、心が。
もうラディウスに会えないことが痛くて痛くて痛くて――寂しかった。
最後の最後の瞬間は、鬼籍に入った家族が迎えに来てくれるのだと、ずっとずっと思っていた。
「よく頑張ったね」
「ずっと見てたの」
「ずっと傍にいたの」
「ここからは、ずっと一緒にいような……」
そう言って笑ってくれるものとばかり思っていた。
でも実際は違って、あたしの頭に浮かぶのはラディウスのことばかりだった。
ちっとも暖かい場所にいけないし、心残りもありまくりだ。本当に成仏というものがあるから、あたしは絶対に成仏できない。
ラディウス。
ラディウス。
ラディウス……
………………――――最後に一目でいいから会いたい。
薄れてもなかなか意識は飛ばないもので、あたしは冷たい地面に倒れたまま何度か薄目を開けて、彼の顔が見えないか確認した。
でも何度開けても祈っても、地面と葉っぱと枝しか見えなかった。
なんて残酷なんだろう……。
こんなことならあの時、助けてくれない方が良かった――。
あたしは女神のように美しかった女性を思い浮かべ、呪いの言葉を吐きそうになった。
あの冷たい夜に目を閉じていれば、きっと睡魔に襲われて、そのまま死ねていた。
目を開けるたびに襲われる絶望に、心が苦しめられることはなかった……。
早く夜が来ないかな……。
寒さに耐えられず眠気がくれば、すべてが終わる……。
あたしははじめて凍死を願って日暮れを待っていた。
待っているとなかなかその時は来ないようで、僅かな温かみを届けてくれる太陽が恨めしかった。
そんな半端な温かみはいらない。
一層のこと、焦がすほど暑いか、死ぬ程寒くしてよ……。
太陽さえも睨みつけたくなっていた頃、足音がした。
昼間の幻聴は初めてで、やっぱり死期が近いんだと思っていると、足音はあたしの近くで止まった。
数秒ののち、ガサガサッと音がして、誰かが近くにやって来る気配がした。
あたしは瞼を開けることもかなわず、ただ耳を澄ませていた。
「……――双黒だ」
子どもの声とおぼしき足音の主は、立ち上がったのか風がヒユッと顔にかかる。
そしてまたガサガサと大きな音を立てて行ってしまった。
死んでると思ったのかな……?
無理もない。
微動だにしない転がった人間を見れば、子供ならそう思うだろう……。
あぁ……また眠気がきた――。
これは本当に眠気なのかな……。
意識を手放せば、もう目覚めないかもしれない……。
…………。
……………………。
…………――でも、いいや。
ラディウスに会えないのなら、死のうが生きようが同じこと。
あたしはすんなりと意識を手放した。
◆
次に目覚めた時、体は温かかった。
死ぬ前は川とお花畑が見えると言うけど、あったかくもあるのか……。
ぼんやりとそう思った。
…………。
………………あれ?
でもあったかいと言うには…………
どちらかと言うと暑い、が正しい。
それに固い地面のはずの背中は冷たくなく、体の上はフワフワしていた。
この感覚は……ベッド?
目を開けると、そこは森ではなかった。
見知らぬ木の天井が見える。
どういうこと?
三途の川は嘘だった?
それとも異世界だから三途の川はないとか?
どうにもぼんやりとした暑い頭で考えていると、
「あっ…………」
子どもの声がした。
声のした方に首を向けると、長いピョコンとした耳が見えた。
うさぎの獣人だった。
わぁ……かわいい…………。
まん丸な目にフワフワしたほっぺ、長い耳は触るとひくひくするんだろうな、と昔動物園のふれあいコーナーで触ったうさぎを思い出して思った。
うさぎ獣人の子どもはたっ、と部屋を出ていってしまう。
あぁ逃げちゃった……。
人間に驚いたのかな。いつかのトレニアードのように。
気にせずまた目を閉じると、すぐにドアが開いて人が……いや、獣人が入ってきた。
目を開けると、さっきのうさぎ獣人と瓜二つの顔があった。違うのは背格好だけで、どうやら子どもの親らしいとわかる。
「ほら、目を覚ましたよ?」
子どもが父親なのか、袖をクイクイと引っ張ってそう言う。
「大丈夫ですか?」
父親はあたしに歩み寄ってきて、心配そうに顔を覗き込んだ。
「熱が下がらなくて……。もう随分と高熱が続いています。目を覚まされないので、水分もあげられず……。少し飲めますか?」
水飲みのような物を見せられ、あたしはコクリと頷いた。
――知らない人からは何も施しを受けてはいけません
ヘルムートの忠告が聞こえた気がしたが、こんな状況だ。背に腹は代えられない。
あたしは口元にあてがわれた水飲みから水をもらった。
あれ?水ってこんなにも甘かったっけ?
どうしよう……。やっぱり毒でも入っていたんだろうか?
嚥下してしまったのでもう手遅れ。
あたしはヤケになって、水飲みの水を全部飲み干した。こうなれば一口も十口も同じだ。
水を飲むと喉が潤い、少し話せそうだった。
「こ……こ…………は……?」
考えていたよりずっとしわがれ、ガサガサした声だった。
聞き取りにくかったのだろう。うさぎ獣人の親子は目をパチパチさせ、顔を見合わせていた。
「ここは僕の家だよ。不可侵の森の中にあるんだ。お姉さん……ヒカリ様…………だよね?ヒカリ様は森で倒れてたの。ここに連れてきたのが4日前だよ。ヒカリ様はずっと熱を出してて、眠ってた」
子どもはスラスラと教えてくれた。
不可侵の森?
4日も寝てたのか……。
というか、素性があっさりとバレてる……。
ここは否定した方がいいのかな…………。
「違…………あたしは……ヒ…ヒカリ…………じゃ……な…い」
また目をパチパチさせると、
「双黒だもの。ヒカリ様だよ」
あっさりと否定された。
万事休す。
もう言い訳出来なくなった。
父親が慌てて、
「ヒカリ様。あなたの素性を外に話すような人はここにはいません。この家にはわたしと息子、妻しかいません。周辺に住んでいる人もいません。わたし達親子だけです。不可侵の森に人が住んでいるとは誰も思いませんので、ご安心下さい」
子どもがうんうん、頷いている。
「今はお体を休めてください。必要なら薬もあります。非魔法付与薬ですから、ヒカリ様のお体にも負担にならないはずです。あと、食べ物も……。少しでもお口にしてください」
「僕、持ってくる!」
子どもは部屋から出ていってしまった。
父親はカサカサと薬包をいじり、
「解熱剤です」
見せてくれた。
「毒ではありません」
そう言って、指先にチョンと数粒つけて自身の口に入れてみせた。
「少々苦いですが、それだけです。どうか飲んでください。これ以上熱が続けば……命に関わります」
あまりにも必死な顔で言うものだから、あたしは観念して口を開けた。
ざらざらと薬が入れられ、水を飲む。
確かに苦い。つぶつぶした顆粒が口腔内に残って苦いので、
「水……」
追加を頼んだら飲ませてくれた。
なんとか苦みが消え去った頃に、子どもが戻ってきて、
「甘いよ」
ひたひたした果物を見せてくれた。
「お砂糖にカリンを漬けたの。柔らかいし甘いから、おいしいよ」
確かに甘い匂いがした。
男の子はフォークで小さく切ると、口の前まで持ってきてくれた。
あーんしろ、ってことよね?
「ヒカリ様、ご自身で食べられますか?」
父親がまた慌てて尋ねてきた。
子どもといえど、さすがに王妃にあーんをさせるわけにはいかないと思ったのだろう。
あたしはゴソゴソと手を出した。
水分不足か低血糖か。
震えて上手く掴めなかったが、男の子が手を添えてくれたおかげでなんとか果物を刺し、口元に運ぶことができた。
じわぁ、と甘みが口いっぱいに広がってこの世で一番甘いんじゃないかと思えた。
「美味しい?」
無邪気な笑顔で尋ねられ、素直にコクリと頷いた。
そのまま二切れを平らげると、だんだん眠くなってうつらうつらしてきた。
「氷を変えます。次に目が覚めたら、また薬を飲みましょう。食べられそうな物はありますか?」
「…………同じ……やつ………」
「分かりました」
そこで意識は途切れた。
◆
次に目覚めたら、今度は女性がいた。単にスカートをはいてたから女性と分かっただけで、見た目は父親、男の子とあまり変わらなかった。
「ヒカリ様?ご気分はいかがですか?」
コクリと頷くと、レモン水と砂糖漬けの果物をお盆の上に出してくれた。
「お手伝いいたしますね」
水差しのようなものでレモン水をくれ、果物を一口に切って手渡してくれた。
レモン水は口の中がさっぱりして、果物は甘かった。
薬も飲ませてくれ、
「熱はだいぶ下がってきましたよ。果物以外も食べられそうですか?パン粥がありますよ?」
また頷くと持ってきてくれ、小皿一杯を平らげた。
そしてまた眠った。
そんな目覚めが何度も続いた。
そのうち目覚める時間が長くなってくると、男の子は話をしてくれた。
ここに来て6日が経ったこと。
不可侵の森は魔力が普通にある者は入れないこと。
彼の名前はラタンであること、母親はアナシア、父親はダナンであること。
「僕たちは魔力がほとんどないの。だからお父さんとお母さんも仕事が少ないから、貧乏なんだよ。でもヒカリ様が非魔法付与薬を作ってくれたから、色々と良いことがあった。薬を安く買えるようになったし、ちょっとキュウフキン?がもらえるようになったの。みんなヒカリ様がやった事だって、お父さんが言ってた。
だから森でヒカリ様を見つけて、びっくりした。人間はあんまり……好きじゃないけど……ヒカリ様だったから助けてあげようって、3人で話して決めたんだよ」
大まかな事情は分かった。
彼らは魔力がほとんどないから仕事に恵まれない“日陰者”らしい。給付金制度が始まり、少しは生活が楽になったのだろう。
でも全てあたしのおかげ、というのは過大評価だ。
その仕事をしたのはヘルムートで、あたしではない。
あたしはそんな制度に変更されたことも知らなかった。
親子はそれでも「ヒカリ様のおかげだ」と言ってくれるだろうが、あたしの心は納得できなかった。
もし……
もしまたラディウスに会えて……城に戻れたら……
もっと国民の力になれることをしよう。
医療改革だけじゃなくて、もっと貧困層を救える手立てをヘルムートと考えよう。
そう思った。
「ねぇ、お城に手紙を送れませんか?それか、ヒルスナイト領地の……カルシスに連絡が取れませんかね?」
ようやく体を起こすことができ、息切れせず喋れるようになった頃、夫婦に尋ねた。
夫婦は顔を見合わせて、
「ヒルスナイト領地になら、連絡がつくと思います。しかし……ヒカリ様の体力では移動は困難かと……」
「わたしがヒルスナイトまで行きましょう。徒歩で2日はかかりますので……時間を要しますが」
「構いません」
あたしはカルシスに手紙を書いた。
手紙が本物と証明されるよう、ソエイラの指輪を添えることにした。魔力が尽きた指輪はただの装飾品だ。
「エルマージ」
指輪を外すと中に入れ、手紙に封をした。
この家の場所を伝えることは困難だったので、無事であることだけ書いた。
テオドールの目論見を伝えたいが、うっかりラディウスの耳に入れば彼を苦しめることになる。
ヘルムートに直接、それもラディウスの耳に入らない方法で話さないといけない。
だからそのことは書かなかった。
手紙を渡し、
「必ず届けます」
固く誓ったダナンを見送って、半日後のことだった。




