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この世は勇者であふれてる  作者: 栢瀬 柚花
紛争と敵意

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孤独の森


 廃屋が見えなくなるまで、あたしはとにかく走った。

 今思えば、到底走るなんて速度じゃなかったと思う。

 痛みと強制的な回復の余波でふらふらで、真っ直ぐ歩くことも出来ず、何度も木にぶつかった。

 木の皮や枝、葉がその度に服や髪についていたけど足を止めることだけはせず、廃屋から――テオドールから逃げた。


 

 見上げると日はまだ見える。

 けど鬱蒼とした森はすでに暗くなり始めていて、寒い。腕を擦りながら、たまに後ろを振り返り、前に前に進んだ。


 廃屋はすぐに木々で見えなくなった。けどどれくらい離れたのかが分からない……。

 まだ一キロも進んでないように思えたし、隠匿魔法で追ってきてるかも……。

 

 もう少し離れてから――。

 あともう少し進んだら……ラディウスに風話を送ろう。ここでテオドールに傍受されたら意味がない……。

 

 だからもう少し……もう少し…………。


 


 どれくらい彷徨ったのか、かなり太陽が沈んだ頃ようやく、もういいかな……と思えた。

 

「ラディウス……?」

 風話をしたけどラジオの雑音のようにキィンと高い音が耳につくだけだ。


 そんなにも遠く離れてしまったのかな?

 訓練で長距離風話した時は、こんな事にならなかった……。

 それとも魔力が少ないから、必要な魔力量が足りないの……?あるいは、風話が送らないように妨害されてる?

 

 悩んでいると、はっと思い出した。 

 そうだ、ナビ魔法……!

 これならいけるかもしれない。

 

 ソエイラの指輪は薄い黄色でもうほとんど魔力が尽きかけていたけど、一歩でもラディウスに近づきたくて魔力を発動させた。小さな竜巻の風が真っ直ぐに先を示す。


 このまま真っ直ぐ……。


 暗くなった森で小さな竜巻を見つめ続けるのは相当大変だった。

 5分もすると竜巻の僅かな風音だけを頼りにしなくちゃならず、あたしは全神経を集中させた。


 でもとうとうそれさえも諦めなきゃいけないほどに風で森の木々がざわめき、枝葉が揺れる。

 仕方なく魔法を解除した。


 あたりはほとんど視界が利かず、夜眼を利かそうにも月明かりがなかった。

 空を見上げると、あいにくの曇り。

 風が強いからそのうち顔を出してくれるかも……と淡い期待を持って、ゆっくり足を進める。


 

 足元は腐食した葉と枝、雪でふわふわしてた。足音が響かないから、音で追跡されることはなさそうだ。

 

 ゆっくりゆっくり進んでいると、ようやく月明かりが差し込む。

 奇妙に非現実的な、道もない森の中を当てもなく歩く。


 

 夜の森で遭難したら、どうするんだっけ……?


 サバイバルなんてしたことがないあたしにはなんの知識も打開策もなかった。

 ただ凍えそうに寒いこと、夜行性の獣に襲われるかもということだけが分かった。


 

 よく体力温存のために動き回らない方がいい、とは聞くけど、この寒さじゃじっとしてれば凍えてしまう。

 

 洞窟とかあればいいんだろうけど……。暗すぎて何も見えない。

 地面を掘って葉に埋まって暖を取る……?

 寒空よりは土や葉の中のほうが暖かそうだと思えたけど、それって正しいのかな?



 色々考えながらも結論はでず、結局足を進めた。

 月明かりの下では色々な物音が不思議な響き方をした。

 自分の足音が後ろから聞こえたり、全く別の方向から何物かの気配を感じたり……。

 

 時折、後ろからさっとかすめる音がして、びくっと振り返ったのは二度や三度じゃない。

 きっと夜の動物たちが不審なあたしを歓迎せず、立ち去るのを待っているんだ。

 森はあたしを迎え入れてはいない。そうと分かる重苦しさが漂っていた。景色も一向に変わらず、進んでいるのかさえ分からなくなる。ナビ魔法が示してくれた『真っ直ぐ』なんて、とうに分からなくなっていた。

 

 

 同じ場所をぐるぐる回ってたらどうしよう――。

 さすがに笑えない……。



 

 ひたすらに歩き、歩き、歩き続けた。

 あの廃屋は本陣からどれくらい離れた場所にあったんだろう?

 次元魔法で移動したから、距離も方向も分からなかった。

 もしかすると、ソルセリル国内ですらないのかも――。

 テオドールが旧アザルス国の人間であることを考えれば、大いにあり得る。

  


 夜の森は油断すると呑み込まれそうで、立ち止まるのが怖かった。

 疲労でどうしようもなく体が重かったが、あたしは朝まで歩き続けた。

 

 ただひたすらに、テオドールから逃げたかった。

 ラディウスに近づきたかった。


            ◆

  

 あたりが白み、動物が起き出す気配を感じると、体を休める場所を探した。

 

  何とか一晩を乗り切った。

 サバイバル経験ゼロのあたしが。

 

 自分で自分を褒めつつ、川や洞窟を探したけど都合よくそんなものがあるわけもなく、雪に濡れていない比較的乾いた大木の根元の地面を見つけると、やっと腰を下ろした。


 指輪の魔力はほとんど残されていない黄色を示している。

 

 ここで風話を飛ばすのは駄目だ……。

 水の確保が優先されるから、温存しなきゃいけない……。防御魔法もやめておこう。いざとなったら力を発動させればいい――。


 うつらうつらそんなことを考えていると、日が昇り気温が上がってきた。これなら眠っても平気だろう……。

 木の幹に寄りかかったまま意識が落ちるように眠った。



 たまに目が開き周りを見ると動物がやってきたが、どうやら魔獣は少ないようで、あたしを見ると逃げていく気弱なものたちばかりだった。

 

            ◆

 

 夕方までしっかり休むと、全ては妄想だったんじゃないかと思えた。

 ここは城かお屋敷で、ソファでおかしな姿勢で寝てしまい、変な夢を見た――。

 ありもしない期待にわずかな……ほんの僅かな光を見いだしたい気持ちから、懇願するようにゆっくりと目を開けたが――受け入れ難い深い森が目の前に広がっていて――現実に絶望した。

 

 夢じゃなかった……。

 夢であってくれなかった…………。


 

 足元がガラガラと崩れるような落胆に襲われたが、そんな中でも空腹は感じて、腹の虫が鳴った。

 現金な自分に、心底笑えた。

 

 ウエストポーチに手を伸ばすと水筒とスコーン、飴が出てきた。

 スコーンなんて口の水分をかなり持っていかれる。こんな物を非常食として入れたあたしは本当に無知だと笑えてきた。せめて砂糖の塊とかにしておけば良かった……。


 飴を口に放り込んで舐めると、ジワァと甘さが広がった。人生で食べた中で一番甘い飴だった。


 出来るだけゆっくり舐めてエネルギー補給すると、立ち上がって、また歩き出す。完全に昼夜逆転の行動になっていたが、寒い夜に体を動かして暖を取るほうがいい気がしていた。


 

 2日目も途方に暮れて歩く夜を過ごした。寒くて体がかじかんだが、動いていたのでなんとか耐えられた。でも気持ちは折れそうで、おぼつかない足は何度も転びそうになった。

 もうポーションはないから、体力回復はできない。

 痛み止めがわずかに残ってるけど、今は必要ない。

 

 抜け殻みたいにフラフラと歩き続け、あの太い木まで……次はあの大木まで……と目標物を決めてなんとか奮起させて体を動かし続けた。



  

 そして3日目の朝、また手頃な場所を見つけると倒れるように座り込む、泥のように眠った。舞台の暗転みたいな急激な眠りだった。



 日が陰り寒さを感じた夕方、目を覚ました。

 あたしの体力も気力も、相当に削られていた。

 たまらないほどの無力感に支配され、体は動かず、思考も停止したままだった。どんなにあがいた所で、どこにもいけやしないんだ、と思う。

 貴重な食料だったスコーンも飴もなくなり、食べる物が尽きた。魔力が残っているから水は生成できるけど、食べる物なしでは行く末は見えている。

 自然と涙が出た。

 地図もなく、ここがどこか分かりもせず、聞ける人もおらず、道もない場所をひたすら進んだ3日。

 あたしは否応ない現実を突きつけられていた。


  

 こっちに来て、初めて完全な一人を味わっている。

 これまでなんだかんだ言っても街にはいた。住む家があり、家財道具がある場所に身を置けていた。

 

 でも今は完全に違う。

 

 大自然の中にたった一人取り残され、身を救う方法も手段も分からず、ただ彷徨っている。

 頼りの魔法は使えないと言ってもいい。 

 残すはあたしの力と体力と知識だが、どれもこれも頼りないほどに乏しい。

 

 誰もいない。

 ヘルムートもエッダもグスタも田岸さんも――ラディウスも。

 完全に1人。


 

「……――ラディウス…………」


 

 あたしは太く固い幹にもたれかかり、初めて縋るように彼の名を呼んだ。

 もう何年もラディウスと会っていない気がした。


 

 助けて欲しかった。

 迎えに来て欲しかった。

 抱きしめて「よく頑張った」と温めて欲しかった。


 

 寂しい。恋しい。会いたい……。

 


 唇が震える。寒さ、孤独、恐怖……。その全てからくる震えだった。

 腕を擦る力も残ってなくて、ただ我が身を抱きしめた。

 

 座っているだけでもクラクラして、目の前の景色が回った。焦点が合わず、真っ直ぐ座っているのか斜めになっているのかも判然としなくなる。

 幹の下にうずくまったまま、冷たい地面と濡れた葉を感じた。でもそれ以上にあたしの体が冷えていた。

 

 このままじっとしていたら日が暮れる。

 そう分かっていても、体は動かなかった。


 

 夜更けになると一段と寒くなり、しかもこの日は運悪く霧が出てきた。

 露に髪が濡れてさらに体温を奪っていく。


 もう足は地面を踏みしめても何も感じない。指先も冷たいを通り越して感覚がない……。

 歯がガチガチ鳴って息が白い。

 何度か立ち上がろうとしたけど、膝が言うことを聞かなかった。自分の体が酷く重くて支えられない……。


  

 荒く口で息をするから喉が渇く。水を生成して水分を確保したけど、こんなことも直に出来なくなる……。


 たまに人の足音が聞いた気がする……。

 話し声も――。

 

『まだ歩くのか』


 はっとして目を開ける。

 もちろん誰もいない。


 幻聴……。

 極度の疲労でおかしくなったのかな……。


 せめて火を起こせればいいけど……。霧で湿った木や葉じゃ、もう無理だ。それに火起こしには火打ち石がいる。そこらに落ちてる石でいいとは思えない……。

 

 せめて……せめて太陽が昇れば――

 また日当たりがいい所で少し休める……。


 

 何度も自分に言い聞かせて慰め続ける。

 幻聴は幾度となく聞こえ、ラディウスが苦しんでいた『声』の恐怖が身に沁みてわかった。 

 こんな状態を長くて1ヶ月も耐えていたなんて……。

 すごく怖かったろうな……。

 もうあんな思いはして欲しくない……。

 次の気鬱期が来ないのが一番いいけど、もしまた同じことが起こったら、傍にいてあげるから……。


 …………。

 …………………………――あぁ。 

 でもあたしはまず生き残らなきゃいけないよね――。

 朝まで……朝まで……――耐えるから…………。


 

 目を開けたらラディウスがいてくれればいいのに――。

 


 うつらうつらそんな事を考えていると、また足音がした。

 また幻聴……。


 ………………。

 …………………………――あれ?

 それにしては音が……近づいてきてる…………?


 


 あたしは重たい瞼を持ち上げた。

 首も上げたかったけど、僅かに角度を変えることしかできなかった。


 

 視線の先には女性が一人立っていた。

 緑のロングヘアーの美しい女性だった。

 体が発光しているのか、深夜の森の中で彼女は淡く浮いて見えた。

 彼女は素足で真夏のような薄着。

 天界という場所があるなら、みんなこんな格好をしているのかな、と思うオフホワイトの薄くヒラヒラしたワンピース姿。足首まであるスカートの裾は地面についているのに、全く汚れてない。素足で地面を踏んでいるのに痛くもなさそうだ。

 ワンピースはなんの装飾もなく、胸元が空いてあるわけでもないのに、可憐に見えた。

 

 全く知らない女性だったが、恐怖はなかった。

 こんな真夜中の森に人がいるとか、季節に似合わない服だなとか、何も思わなかった。

 ただ綺麗な人がいる、と感じただけだった。


「あら……」 

 彼女は驚いて手を口に添えた。そんな姿も可憐でとても真似できない美しさだ。

  

「森が騒がしいと思って来てみれば……」

 

 彼女はあたしの姿に驚いたけど、警戒はしていないようだ。こんなにも弱々しい視線しか送れないのだから、それもそうか……。


 ささっと僅かな衣擦れの音だけで進み寄ってくると、彼女はあたしをじっと見下ろした。

「双黒……」

 呟くと、ふぅ……と春風のような溜息を漏らして困った顔をする。

 あたしが全て悪かったですと、ありもしない罪を認めたくなるような罪悪感をいだかせる表情だった。

 男性だけでなく、女性でさえも虜にしてしまうくらい、美しい困り顔だった。


 

「――仕方ないわね……」

 彼女はそう言うと、あたしの周りを囲うように腕をくるりと大きく回した。動きに合わせて花畑のようないい香りが鼻をくすぐる。

「あたくしに出来るのはこれくらいです――ごめんなさいね……」

 

 いえ、とんでもないです。

 何をされたのかも分からないのに、そう言いそうになった。


 彼女はあたしの顔を覗き込むと、

「朝までは効果があります。その後は――あなたに運があれば………あるいは――」

 

 もうじき命を落とす者を見るような、悲しい顔だった。

 不吉としか思えず、見捨てないで!と気持ちを込めて彼女の潤んだ薄緑の瞳を見返した。

 

 彼女はさらに瞳を曇らせると、

「ごめんなさい……」

 あたしに触れようと手を差し伸ばして、頬に触れる直前で止まり、迷ったあげく、引っ込めた。

 

「あなたにご加護がありますように――」

 

 囁く声は風のようで、祈る顔は女神のようだった。


 すくっと立ち上がるとまた衣擦れの音だけをさせながら静かに歩き、彼女は一度も振り返らず森の奥深くへと消えた。

  


 あれは何だったの……?


 花畑の残り香をかぎながら、あたしはぼうっと思った。

 また人っ子一人居なくなった森では、今の出来事さえあたしの幻覚なんじゃないかと思えた。


 

 でも彼女が施した結界を感じる。

 寒さが和らぎ、疲労が回復していくのが分かる。

 

 きっと僅かな情を避けてくれたんだ……。

 なんでかは、わからないけど――

 朝までは効果があるって言ってたから、それまでは安全ということだろう……。


 その言葉を信じて、あたしは意識を手放した。

 どのみち疲労で限界だった。



            ◆



 どれくらい眠っていたのだろう。

 空が白み始め、小鳥の声が爽やかに響き、重い空気が溶けて清浄な空気に変わっていく頃、あたしは目を覚ました。

 

 座ったままずっと頭をもたげていたから、首がすこぶる痛い。

 ゴリゴリと鳴くらい凝っていたけど、その程度で済んでいるのは御の字だろう。

 


 あの神秘的な女性のおかげだろうと思ったが、今となっては本当にそんな女性ひとがいたのかも疑わしい。



 あたしはソエイラの指輪を見た。

 まだ僅かに黄色く光っている。

 水を生成して飲み干すと、ついに暗転した。

 これでいよいよ魔法は使えない。

 

 

 飲み水の確保という新たなミッションが加わり、苦笑いする。いよいよ森を抜けられる可能性が減ってきた。

 この森に入って一度も川や湖、水たまりさえ見なかったからだ。 

 それに空腹も強い。

 最後に食事したのはいつだっけ……。

 


 立ち上がれるか試みたけど、膝は立つことを拒否し、体は動くことを拒んだ。

 仕方なく匍匐前進でもしようかと横になったが、それがいけなかった。

 体に重力がのしかかり、今度は起き上がることが出来なくなったのだ。

 どうやら座っていただけでも身体には負担だったようだ……。

 

 地面を虫のように少しずつ這ってみたが、到底進んでいるとはいえなかった。こんな動きで遠くにはいけない。そんな体力は残っていない。

 

 この世界の重力が否応なくあたしを襲い、体が何倍も重くなったのがわかる。


  

 彼女があたしの幻覚でないのなら、本当に朝まで生き延びられるようにしてくれただけなんだと分かった。


  

 ――その後は――あなたに運があれば………あるいは―― 

 昨夜の彼女の言葉。

 

 あるいは生き残ることができるかも、と続くんだろうな……。


 

 ラディウス…………。


 あたしはまたあなたに会えるのかな――。


 それとも…………――もう無理なのかな………………。


 

 絶望的な終末感が暗い夕闇のように胸に沈み込む。

 死が両手を広げてあたしを迎えにきている気がした。

 行きたくはない――

 

 でも…………

 

 もう涙もでなかった。


 

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