時間停止能力を手に入れた男は欲望のまま活用する
目の前の蚊が羽根を広げたまま静止している。
最初は何かの夢かとも思っていたが家の窓外を見ると走り回る少年も、散歩している老婆に犬もその場で動かなくなっている事に気づいた。
「間違いない。これは時間停止能力というやつだ」
俺は頭の中で超速理解した。
発動条件は意外と簡単である。心の中で止まれと念じれば良いだけなのだ。意外どころか単純すぎて欠伸すら出ない。
こんな素晴らしき能力を得てしまったのだ。早速行動に移すしかないだろう。
「くっくっく……有意義に活用させてもらうぞ」
俺は足を弾ませ心ときめかせて最寄りの駅まで歩いた。そしてICカードをピッと押すと改札口を抜けて、適当なホームで電車を待つ。
『まもなく、三番乗り場に電車が到着します。黄色い線の内側までお下がりください』
電車が停車すると人が降りるのを確認して中にはいる。周囲は人で鮨詰めとまではいかないが、やはり混んでいる。電車で左右に揺れるほどの余裕はある分通勤ラッシュの時間と比べたらマシと言える。
ではさっそく使わせてもらおう。
俺は電車内で止まれと心に念じると電車の揺れは止まり周囲にいた人々も停止して音もピタリと止んだ。
ちょうど自分の立つ場所の正面には制服姿の女性が居た。
これは絶好のチャンスだ。俺はやる必要はないだろうが一応左右を確認する。よしやるぞ。
俺はそのまま手を伸ばし目の前の目の前の女子高生のーー
その隣にいるバーコード頭のおっさんのポケットに手を伸ばした。
「財布ゲット! やりやりやりー」
俺はおっさんの財布を広げた。
「万札が3枚か結構入ってんねー」
俺はそのまま財布の小銭入れ部分に手を突っ込む。そこから100円玉を抜き出した。万札なんぞ抜いてしまえば流石に怪しまれる。
だが100円抜いたぐらいで大の大人が気づくかと言えば多分大半は気づかない。
よほど金銭管理を徹底してる大人でもない限り、多少の違和感がある人もいるだろうが100円が消えたぐらいで働く大人達が大慌てする事もないだろう。
おっさんのポケットに財布を戻して抜き取った100円を自分の財布に入れる。
次は目の前の女子高生の財布をと思ったが流石に未来ある学生の僅かな資金を奪うわけにはいかず、俺は更に左隣にいた二十代ぐらいの男の財布から100円を抜き取る。
完璧だ。これを繰り返すだけで電車賃なんか浮くどころか大量の釣り銭が帰ってくる。
俺は本来ならストレスが溜まるであろう空間で欲望のままに突っ込んだ。
「ふぅー小銭入れがパンパンだ」
体感時間で言えば30分ほどであろうか。あっという間に俺の古銭入れは大食い漢の食後の如く膨れ上がっていた。
「これで5000円ぐらいは貯まったかな」
我ながら完璧な案だ。完全犯罪だ。
だが財布にはこれ以上入らなそうだ。次回からはもっと大きい財布を用意せねば。
「ん?」
俺は人をかき分けて元のスペースに戻るとあるコトに気がついた。
先程の女子高生の顔をチラりと覗いた時、何やら嫌そうな顔をしていた。なぜこのような顔になっているのか疑問に思ったが原因はすぐにわかった。
スーツ姿のおっさんが女子高生のスカートに手を突っ込んでいたのだ。
「うわっ! 何やってんだこのおっさん。親子ぐらい離れてるだろ。いやそれより駄目だろ痴漢は」
社会からのストレスを発散しているのかもしれないがこれは見過ごせない。こんな事をする人間がいるから痴漢冤罪も無くならないのだ。
こんな事は直ぐに辞めさせなければならない。
さて、どうしてやろうかこのおっさん。
俺は周囲を伺う。ふと茶髪で四角めの輪郭をした筋肉質のタンクトップ姿の兄ちゃんに目をやる。うほっ良い漢。
じゃなかった。このタンクトップスケべ過ぎる。
いや違うそうじゃない。
この漢なら丁度いいかもしれない。
俺はおっさんを少しずつ移動して手をタンクトップの兄ちゃんの双極に置いた。
さぁ、思う存分揉みやがれ変態ロリコン野郎。
ーー時間停止解除。
「うおっなんだこのハリ具合、ってうわぁぁ」
「なんだこのおっさん!?」
狭い車内でおっさんの叫び声がこだまする。
やかましい。本当に叫びたいのは前にいる女子高生なんだよ。
「何やってんだよおっさん!」
「うわぁぁ、すいませんすいません」
「すいませんじゃねーよオイ。気持ち悪いなぁ」
兄ちゃんごめん。でもこのおっさんには恥をかいてもらわないと駄目なのだ。
「ふぅー」
前方の女子高生はその光景を見て何が起きたかわかって無さそうな顔をするが、危機が去った事により何処か安堵していた。
怖くて自分から声を出せなかったのだろう。全く度し難い。
俺は次の駅で降りた後。駅内の行き来する大人達の財布から100円を時間停止能力を使い抜き取る。
ズボンのポケットにはまだまだ入りそうだ。神様ありがとうございます。
俺は再び電車に乗ると自宅に最寄りの駅に戻る。
帰宅すると机の上に銭貨を並べた。
「ひーふーみぃ……8500円か」
駅の往復で300円ぐらいだったからとんでもない利益である。財布をいちいちバッグから取り出して100円を抜くまでが少々手間ではあるが、人間手間を惜しめば得るものは得られない。
それに時給1200円のコンビニバイトと比べれば、ただ電車に乗るだけでこれ程の金が手に入るのだ。不満などあるはずが無い。
まぁ強いて言えば銀行で札に変換する際、手数料が発生するのが問題だった。このシステム本当にわけがわからないよ。銀行さんも集金に必死である。
この日から最寄り駅は俺の仕事場に変わった。
毎日同じ区間を利用して100円を抜き続ければ怪しまれる可能性を考慮して、上り線と下り線を交互に乗ったり遠出してショッピングモールで時間停止スリを行ったりもした。
そして俺は今日、銭湯に来ていた。
「くっくっくっ……俺はこんな事にも気づいていなかったとはな」
ある時俺は時間停止の能力を更に有効活用する方法を思いついた。何故今まで思いつかなかったのか。
俺は店に入ると同時に時間停止を行う。
「さぁ思う存分堪能するぞ」
周囲の店員が止まったのを確認すると俺は受付を通過する。
「あー気持ちいい」
服を脱衣場で脱いで身体を洗うと湯船に浸かる。
「無料で風呂に入れるなんて最高だ!」
これなら水道代やガス代も浮いてしまうのだ。勝ち確定だ。
金を払わず入っている事に多少の罪悪感があるが既に100円スリを繰り返している身だ。堕ちるところまで堕ちてしまった。
俺は姿を見せない神様に感謝した。
「サウナで整って帰るか」
俺は今人生を最高に謳歌していた。




