表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デフォルトネームの恋人  作者: 遠野 文弓
第1章:SPRING

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/12

9.見覚えのない友人

 わたしはクローゼットを開けて、ベージュのアンサンブルニットと膝丈のフレアスカートを引っ張りだした。トップもボトムスも保守的(コンサバ)なカジュアル。足元には(令和の感覚では)レトロかわいいTストラップパンプスを合わせる。


 鏡に向き合ってから、いつものように〈顔〉を作る。手は迷いなくメイクポーチから()()()()メイクセットを抜き取り、机の上に並べた。平日はパンツスーツに合わせてルージュを濃くするが、今回は服装に合わせてブラウンに寄せた。(チーク)も淡く、やわらかい色合いにする。


 駅前の喫茶店は、思い出したとおりの場所にあった。

 入口のガラスに、自分の姿が映る。表情が少し硬い。口角をほんの少し持ち上げてから、扉を押した。


 店内を一目見て思い出す。わたしは、ここに来たことがある。(みお)と一緒に、何度も来た。


(そう、来たことになっている)


 そう切り分けて、席を探す。窓際の奥。入口から見えにくい角の二人席に、女性が座っていた。


 明るいオレンジのトップスにブーツカットのデニム。強めのグロス。(みお)がいるだけで、店内の空気が一段軽くなる。わたしの顔を見つけると、ぱっと表情がほどけた。


(あお)()~! こっちこっち!」


(みお)! 久しぶりね」


 返事は咄嗟に出た。

 ()(ぐし) (みお)は、ぶんぶんと手を振った。


「遅いよぉ。寝てたの?」


 わたしは笑ってしまった。


(みお)が早過ぎるの。遅刻してないでしょ?」


 (みお)はわたしを見て、少しだけ眉を下げた。


「なぁんか疲れてない? 仕事しんどい?」


「そんなによ。まだ新年度だし」


 口に出した途端、思い出す。いつ、どこで、何を言ったか。その時のコーヒーの苦みまで、たった今作られた嘘の記憶が、わたしの脳髄に具体的な重さを持って根を張っていく。忙しさを一緒に愚痴った記憶が、ダウンロードされる。

 わたしはそれを、表情には出さない。(みお)はにっこりと笑って、メニューを手に取った。


「いつものでいいよね?」


「うん」


 わたしの口が勝手にそう言った。何を頼まれるかはもうわかっていた。砂糖たっぷりのミルクティー。

 注文を通すやいなや、澪は手を組んでいたずらっぽくこちらを見つめた。


「で。最近どう? 彼氏はできた?」


 わたしは言葉に詰まったが、すぐに軽い調子を取り戻す。


「ぜーんぜん!」


「ふーん。じゃ、まだ仕事優先ってわけ?」


「まあね。異動もあったし」


「異動?」


 (みお)が目を丸くする。


「宣伝部に異動したの」


「あんた、宣伝とかやるタイプだっけ?」


 (みお)の軽い言い振りで、また思い出す。「(あお)()は昔から文章がうまかった」「人前に出るのが苦手じゃなかった」という説明がすぐ生まれる。自分の過去が、勝手に整えられていく。

 わたしは、椅子の座り方を少し変えて、小さく呼吸を整えた。


「うーん……。ボーナスは少なくなっちゃうかもね」


 バブルが弾けた後ではあったが、堅実な会社だったから、経営は傾かなかった。成果さえ出していれば、女性でもたっぷりとボーナスを出してくれた。当時の空気感がうっすら残っていたからか、営業部は特に羽振りがよかったが、わたしはその額が気に入らなかった。


「どうしてボーナスがこれっぽっちなんですか?」


 そう言って、ほんのり膨らんだ――明け透けにいえば四十五万円が納められた――封筒を立てるように置く。当然パタリと倒れたそれを指差して、わたしは言い放ったものだ。


「ホラ、見てください。倒れちゃいました。こんなのってないです。あんまりですよ!」


 当時の上司は苦笑いしていた。そして、わたしは営業部から宣伝部に飛ばされた。左遷ではない。ただ、わたしが正論で上司を殴りすぎただけだ。たぶん。


 そんなことを()()()()()()()と、(みお)が話題を変えた。


「ていうかさ、最近、変じゃない? 連絡返すの遅いし」


「そう?」


「そうだよ~。前は、すぐ返してきたのに」


 前が、具体的に浮かぶ。いつ、どんな文面で返したかまで。


「寝てることが多いかも。せっかく休日の早い時間に連絡くれてるのに、ごめんね?」


 そう言うと、(みお)はまんざらでもなさそうに微笑む。彼女の気配りに、わたしは気づいている。だから、素直に謝る。――それが、(みお)の求める(あお)()という存在だろうから。


「……ねえ、(みお)


「なぁに?」


「わたしと(みお)って、どこで知り合ったんだっけ」


 (みお)は、きょとんとした。


「何それ。高校でしょ。ホラ、入学式の日、廊下で――」


 そこまで言った瞬間、背後から声が割り込んだ。


「お待たせしました。ミルクティーと、アイスコーヒーです」


 話が途切れ、二人とも無言で店員がグラスを置いていくのを見つめた。(みお)が話の続きを再開しようと口を開いた瞬間、今度は短い着信音が鳴った。


 (みお)の携帯だった。画面を見て、小さく舌を出す。


「ごめん、ちょっとだけ」


 (みお)が席を外す。


 わたしは、ひとりになったテーブルで、目の前に置かれたミルクティーのグラスを見つめた。まだ飲む気にはなれなかった。


 (みお)が質問に答えようとした瞬間に、割り込むようにイベントが発生した。これは、偶然だろうか。


(それとも、補正はこういう形で来るのか)


 (みお)が戻ってきた。


「ごめんね〜。で、どこで知り合ったんだっけ、って。何それ? 扇衣、ほんと変だよ」


 (みお)は笑いながら、わたしの手首をきゅっと掴んだ。


「なんか悩んでる? 何かあったら言ってよね、親友なんだから」


 純真な心配のこもった瞳が、わたしを射抜く。


(親友なんだから)


 その言葉を聞いた瞬間に、『わたしと(みお)が親友である理由』が脳内に溢れ出した。高校の放課後は毎日のように遊び倒した。失恋して泣きついた夜もあった。一緒に選んだリップの色も覚えている……。


 ――違う、それはわたしの記憶じゃない!


 頭の中で叫ぶ論理を、(みお)の圧倒的な共感の引力が、優しく、暴力的に塗り潰していく。


「……ううん。なんでもない。ただ、(みお)の言うとおりかも」


「言うとおりって?」


「ちょっと疲れてるみたい」


 わたしは笑って、ミルクティーに口をつけた。

 甘すぎる。次の瞬間には、『懐かしい』と思ってしまう。それはもう、完全に『わたしが一番好きなミルクティーの味』として脳に認識されていた。脳がひと足先に、この世界を本物だと認めはじめていた。


 帰り際、(みお)が言った。


「また会おうね!」


「うん!」


 わたしは手を振った。

 駅へ向かう道で、さっきまでの違和感を思い出そうとする。


 ――思い出せない。


 どうしてそんなことを考える? (みお)とは昔からの親友だったじゃないか、と自分の中の常識が囁く。


(……情報源か。ゲームでは、そうだった)


 わたしは歩きながら、呼吸をひとつ深くした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ