表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デフォルトネームの恋人  作者: 遠野 文弓
第1章:SPRING

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/12

8.誰を攻略するか?

 小ぶりな机に腰掛けてから、窓を開けた。どこかぬるさのある冷涼な空気がどっと流れ込んでくる。五月が近い。

 鞄からノートを出して、表紙を指で撫でた。学生の頃も、社会人になってからも、同じ表紙が棚に並んでいたものだ。新品の紙の匂いがするのに、懐かしさを覚える。


 ノートを開く。日付を書こうとして、やめる。日付なんて書いたら、ここがますます現実になりそうで嫌だった。

 代わりに、ページのいちばん上に小さく書き込む。


『誰と、どのように関わるか』


 そもそも『社内恋愛』は、コンシューマの乙女ゲームみたいに、コツコツとステータスを上げて攻略するシステムではない。むしろ、ステータスを上げるほど、恋愛フラグが潰れていくのだ。好意度や印象度を丁寧に積み上げると、誰のエンドにも行けない。取り返しのつかないバッドエンドに落ちることだってある。


 直感で関係を踏み越える。

 そういう選択を強制する意図がある。


 確かに、恋愛はストラテジーゲームみたいに戦略をなぞるものでもなければ、段階的に条件を揃えて攻略するものでもない。どうなるかわからない不安を抱えたまま、思い切って飛び込むという偶有性がある。その点で、『社内恋愛』は、恋愛のシミュレートとしては成功したのだろう。たとえ世間の評価が得られなかったとしても。


 ――つまり、わたしは本当に()()()()()()()()()()()


 誰ともくっつかず、ステータスをバランスよく上げた状態で迎えるエンディングは、〈昇進エンド〉だ。扇衣(ヒロイン)が仕事一筋になるノーマルエンドである。


 仕事に打ち込んで、周囲から認められる。

 たったそれだけのこと。


 〈昇進エンド〉ルートのストーリーはお気楽に、とんとん拍子に物事が進んでいった。しかし、その裏で扇衣(ヒロイン)は一体どれほど辛酸を舐めたことだろう。


 エロゲのヒロインが社会的に成功する、だなんて。


 わたしは笑った。そうしたつもりだったが、力無いため息みたいな声しか出なかった。

 コンプライアンスが整備された令和の価値観に馴染み、女の肉体を持ち、同じ悩みに直面したことのあるわたしをもってしても、()()()()()だとか、()()()()()()()()とか、()()()()()()だと感じてしまう、このおぞましさ。


「許されるなら〈昇進エンド〉を選びたいけどね……」


 このエンドだけが、ただ一つ、自分だけで完結できる。自分の能力(ステータス)を上げさえすれば済むからだ。誰も巻き込まない、誰の機嫌も取らない、()()()()()なプレイが許されるのは、実質この〈昇進エンド〉だけである。


 だが、ノーマルエンドでは現実に帰れない可能性が残る。


『昇進は目指せない』

『グッドエンドに行くほうが、確実』

 

 恋愛という作法に則って、人間関係を構築しなければならない。

 好きになって、好きにさせて、適切なタイミングで踏み込む。

 踏み込みすぎてもダメ、踏み込まなさすぎてもダメ。

 しかも、選択肢が多い。四人の中から選ばなくてはいけない。


 わたしは見開きを四つに区切るみたいに縦線を二つ引いた。一ページを半分ずつにして、名前を書く。


現原(ありはら)』『名嘉(なか)(じょう)』『(つな)()』『(さが)()


 現原(ありはら)くんは、楽だ。言い方は悪いが、つまり反応がわかりやすい。頼っても、甘えても喜んでくれる。対応を間違えると傷ついたことを表に出すので、すぐにわかる。軌道修正もしやすい。


現原(ありはら):制御がしやすく、反応が読みやすい。』


 名嘉(なか)(じょう)くんも、楽なほうだろう。ただ、現原(ありはら)くんとタイプは違う。わたしが何を言ってもへこたれない、という意味で楽だ。気を張らなくていい。からかわれても笑って返せばいいし、強く出てしまっても気軽にいなしてくれる。仕事の話も通じる。真剣な話はしにくいが、変な空気にはならない。


名嘉(なか)(じょう):折衝ができる。仕事仲間としての距離を維持できる。』


 わたしは、少し眉を寄せた。


「もし、帰れなかったら……」


 そのことも、考えておかなければならない。

 もし帰れなかった場合、くっついて安泰なのは(つな)()課長だろう。会社の中での立場が強いし、昇進ルートに乗っている。生活の安定という意味では確実だ。恋愛相手ではなく、現実の結婚相手としては、最適。

 でも、(つな)()課長はどうにも読めない。こちらの言葉に対して反応が薄い。好感度や依存度が数字が動いているかどうかすら、確信が持てない。


(つな)():フィードバックが弱い。ブラックボックス。エンド後の生活保障が強い。』


 そこまで書いて、手が止まる。

 (さが)()主任の欄は、依然として空白だ。


 〈せんぱい〉。


 ゲームの中で、いちばん刺さったのは(さが)()主任だ。だが、彼はグッドエンドの難易度が高い。初見ではまず到達できない、繊細なステータス管理を要する。


 ――絶対に避けるべきだ。


 確かに、わたしは初見とは言えない。攻略情報を知っている。だが、詳細のすべてを完璧に覚えているわけじゃない。攻略通りにわたしや(さが)()主任が動いてくれる保証はどこにもないのだ。


「はぁ……」


 わたしはペンを置いて、片手で額を押さえた。


(たったそれだけの理由で、拒絶してもいいの?)


 帰るためだから、と自分に言い訳をしても、彼らはこの世界に生きていて、わたしがやっているのは人間関係だ。


 一目見て刺さったから。顔がいいから。声がいいから。手がいいから。性格が合うから。


(そうやって人間を()()の? 骨董品を吟味するコレクターみたいに?)


 それに。

 二〇〇〇年代初頭といえば、わたしはまだ保育園に通っていたのだ。彼らは二十代から三十代の若者である。つまり、彼らはだいたい父と同じくらいの――。


 そこまで考えて、こめかみがじくじく痛んできた。余計な方向に思考が滑っていく感じがする。わたしはページをちぎり取って、念入りに引き裂いた。指の隙間から、細い紙屑がぱらぱらと落ちていく。


 やめよう。今のわたしも同年代だ。


 そういうことにしておく。そうでなければやっていけない。ここはゲームで、わたしはこの身体で生きている。わたしの現実を持ち込んだら、正気でいられなくなりそうだ。


 ページのちぎり取れなかった切れ端を丁寧に取り除いてから、ノートを閉じる。


 そのとき、鞄の中で携帯が震えた。折りたたみ式のガラケーは、わたしが持っていたスマホよりもずいぶん軽い気がする。

 メールの新着通知が一件。件名は短い。


『件名:久しぶり~』


 差出人の名前を見て、わたしは首を傾げた。


 ――尾串(おぐし)(みお)


 こんなひと知らない――と思った瞬間に、思い出す。「澪は明るくて、気の利くいい子だ」「絵文字をたっぷり使う」と、尾串(おぐし)(みお)の細部が勝手に揃っていく。


 ひやりとした。


(知ってる。親友だ。――扇衣(ヒロイン)の)


 メールの本文は、明るかった。


『久しぶり~! 11時に例の喫茶店で会いたいな~。どう?』


 例の喫茶店……? ――駅前の喫茶店だ。ミルクティーが絶品の。入口から見えにくい角の、窓際の二人席を選ぶことが多かった。


「……」


 わたしは携帯を握り直して、返信を打った。


『オッケー、わかった! 11時に行くね~!』


 送信ボタンを押した直後、なぜだかホッとした。

 何かが正常に戻ったような感覚があった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ