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デフォルトネームの恋人  作者: 遠野 文弓
第2章:SUMMER

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19.見せたくない本音

「でさー、妹ちゃん」


 名嘉(なか)(じょう)くんが、(けい)のほうへウーロンハイの追加を置きながら、ニヤニヤと笑った。完全に面白がっている顔だ。だが、(けい)はまったく意に介さず、ずけずけと訂正した。


「ケイです。名前。旧漢字でホタルって書いて、(けい)


(けい)ちゃん。いい名前だね! で、ぶっちゃけどうなの? 家でのお姉ちゃんは?」


 わたしはテーブルの下で、(けい)の足を軽く蹴った。「余計なこと言わないでよね」という意図を込めたものの、(けい)は痛がりもせず、淡々と枝豆の殻を皿に捨てた。


「別に、このまんまですよ?」


「このまんま?」


「はい。文句言いながらずっとビール煽ってますよ。『会社行きたくないー』って」


「ちょっ!!」


 わたしの悲鳴をかき消すように、名嘉(なか)(じょう)くんが「ぶはっ!」とビールを吹き出しそうになった。安っぽいテーブルをバンバンと叩いて爆笑する。


「まじかよ! 会社行きたくないとか言うんだ、あの『鉄の女』が!」


「ちょっと名嘉(なか)(じょう)くん! 何よその『鉄の女』って? ホント失礼な男ね!」


「休日は死んだように寝てます」


(けい)! ストップ!!」


 名嘉(なか)(じょう)くんは涙目になりながら、わたしの顔を指差した。


「聞きました、主任? 家ではちゃんと愚痴ってんですって」


 話を振られた(さが)()主任は、ジョッキを持ったまま、ゆっくりとわたしに視線を移した。笑い転げる名嘉(なか)(じょう)くんとは対照的だ。彼は困ったように微笑むだけだった。


「それは安心しました」


(なんでそこで、気遣うセリフが出てくるのよ……)


 居たたまれなくなって視線を逸らすと、(けい)が不思議そうに首を傾げた。


「姉ちゃん、会社でもこんなしかめっ面してんの?」


「はあ? してないわよ!!」


「だって今、すごい顔だよ。眉間のシワやば」


「あんたが! 余計なこと喋るからでしょ!」


「だって本当のことじゃん。……ねえ、ええと、静かなほうのお兄さん?」


 (けい)が、ふいに(さが)()主任に話を振った。ちら、と彼が視線を上げる。


「この人、会社ではどうなんですか? 仕事中はマシな顔してます?」


 その純粋な問いに、(さが)()主任が、ふっと目を細めて、静かな声で言った。


「ええ。会社での彼女は完璧ですよ。いつも助かっています」


 心臓が嫌な音を立てて、わたしは眉をひそめそうになった。

 褒め言葉のはずだ。同僚として、他部署の上司として、人材を評価する正しい言葉だ。

 だが、どうしてだろう。『完璧』という言葉の響きに、底知れない不穏さを感じるのは。




 わたしは二杯目のグラスを空にしたところで、席を立った。


「ちょっと、お手洗い行ってくるね!」


 名嘉(なか)(じょう)くんのペースに巻き込まれるのも悪くないが、この場には「攻略対象」が二人もいる。油断すれば、ゲームのシステムにどんなフラグを立てられるかわからない。その前に、アルコールでゆるんだ頭を冷やしたかった。


 トイレの鏡でメイクが崩れていないか確認し、屋上へ戻る。

 その途中、ふと冷たい風が通り抜けるのを感じて目をやる。奥の方で、非常階段の看板が光っていた。わたしはビアガーデンの喧騒から少し外れ、非常階段の扉を開け、踊り場へと足を踏み入れた。


「――あ」


 そこには、先客があった。

 階段を数段昇った先に、手すりにもたれかかる人影がある。苦い煙草の匂いと、小さな火種の赤。白い煙を吐きながら、見下ろすようにちらりと顔が向く。逆光になっていてわかりにくいが、ビアガーデンから洩れる明かりで、その顔がわずかに照らされる。

 (さが)()主任だった。


 彼は少しだけ目を丸くしたが、すぐにいつもの柔らかい、しかし少し距離を取るような笑みを浮かべた。


「……形桐(かたぎり)さん。こんなところでどうしたの?」


「少し、風に当たりたくて。主任こそ」


「僕も同じ」


 わたしは少し迷ってから、彼から少し距離を置いた手すりに寄りかかり、ピアニッシモを取り出した 。火を点け、細く煙を吐き出す。

 夜風は、半袖の腕には少し肌寒いくらいだ。梅雨の時期はあんなに暑かったのに。


「それにしても、ほんとに奇遇でしたね。まさかこんなところで会うなんて」


「そうですね。形桐(かたぎり)さんが妹さんと一緒にいるところは初めて見ました」


 (さが)()主任は指先だけで器用に灰を落としながら 、小さく笑った。


「妹さんと仲がいいんですね」


「まあ……。本当は一人で来たかったんですけどね」


 アルコールのせいだ。完全に、口が滑っていた。


「女が一人で飲んでいるといろいろ面倒で、だから妹を呼んだんです。渋々ね。二人なら、まだマシだから」


 するすると言葉が出てしまう。会社で見せる、愛嬌のある〈形桐(かたぎり)さん〉ではなく、(けい)に見せていた可愛げのない〈姉〉の思考回路のまま 。


「一人で来たことがあるんですか?」


 (さが)()主任の声が、少しだけ低くなった気がした。

 わたしは気づかずに、鼻で笑いながら答えてしまう。


「ありますよ。もう最悪。初っ端からジロジロ見てくるし。強引に口説かれたり、酌をしろって無理やり――」


 そこまで言って、ハッとした。


(しまった)


 血の気が引く。なんて可愛げのない、ひねくれた愚痴をこぼしてしまったのだろう。引かれたかもしれない。

 慌てて上の(さが)()主任を見る。彼は煙草を持ったまま、静かにこちらを見下ろしていた。相変わらずの逆光で顔がよく見えないが、その瞳には何かを特定しようとするような、いやに真剣な光が宿っていた。


 彼は紫煙を吐き出してから、ゆっくりと問う。


「無理やり?」


「す、すみません。なんでもないです。ちょっと酔ったみたいで。変なこと言っちゃって」


 わたしは咄嗟に、会社用の笑顔を作って誤魔化す。だが、(さが)()主任はわたしの笑顔をあっさりと無視した。


形桐(かたぎり)さん」


 彼が一歩、階段を下りて近づいてくる。

 肌寒い夜風の中で、彼の煙草の匂いが、やけに生々しく迫ってきた。


「あんまり、危ないことはしないようにね。君はうまくやるひとだけど、万が一があってはいけない」


 責めるでも、怒るでもない。ただの事実を置くような、短い言葉だった。

 だが、その響きには、有無を言わさないような重さがあって。


「僕は先に戻ります。君も、早くおいで」


「……はい」


 それ以上何も言い返せなくなって、わたしはただ小さく頷くことしかできなかった。

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